文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.233

| コメント(0) | トラックバック(0)


日本大学藝術学部文芸学科     2014年(平成26年)1月20日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.233
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
9/30 10/7 10/21 10/28 11/11 11/18 11/25 12/2 12/9 12/16 
1/20  1/27 
                 「2013年、読書と創作の旅」の皆さん

1・20ゼミ


 1. ゼミ誌と掲載作品紹介  
 2. 小倉百人一首大会  坊主めくり  カルタとり
         
12・16合同発表会報告(参加3ゼミ)

後期前半最終日12月16日は恒例の3ゼミ合同発表会 写真・下原ゼミ模擬法廷
 

 第9回になる3ゼミ合同発表会は、清水ゼミ、山下ゼミ、下原ゼミ参加で行われた。清水ゼミは、ドストエフスキー、チェーホフ、宮沢賢治研究から感想、寸劇を発表した。山下ゼミは、宮沢賢治研究の考察。主に「ブランドン農場の豚」についての感想。
・清水教授「いい発表だった。とくに『フランドン農場のブタ」は、人間生活についての根源的な問題。これからもを続けていってほしい』
・下原講師「ゼミ誌は形の成果だが、合同発表は、目に見えない成果。毎年、楽しみ」

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.233 ―――――――― 2 ―――――――――――――

ゼミ雑誌  ゼミ誌刊行ご苦労さまでした 納付期日前に

下原ゼミⅡのゼミ誌『読書と創作の旅』12・9納付

12月9日(月)下原ゼミⅡは、ゼミ誌『読書と創作の旅』を出版編集室に提出した。ゼミ誌作成は、後期に入ってから齋藤真由編集長を中心に嶋津きよら、南海洋輔、加藤未奈編集委員の協力ですすめてきました。編集作業は順調で、11月末には入稿の運びとなった。
齋藤編集長はじめ編集いい
【ゼミ誌紹介】ゼミ誌の中身は以下の通りです

目 次

信号         加藤未奈 ・・・・・・・・・ 3

信号が黄泉の境となって、亡くなった兄を思い出させる。

友人観察       齋藤真由香 ・・・・・・・・ 7

1.不器用な人  2.騙されやすいひと  3.大人になったひとたち

蚊帳の外       嶋津きよら ・・・・・・・・ 15

蚊帳の外で交わされる少年と爺やのファンタジックな世界。

モンパルナスの少女  南海洋輔  ・・・・・・・・ 21

1969年と1989年、変動する時代。絵描きを目指しパリをさまよう叔父。世界情勢と、日本の流行文学をも絡めたドキュメントタッチの作品。まだ、モームの『月と六ペンス』を読んでいなかったらおススメです。

☆12月9日(月)ゼミ誌の完成を祝いました。


他のゼミ(上坪ゼミ)

嶋津きよら エッセイ  なつやすみのじつわ

先週はオウムの平田裁判が注目された。オウム事件の特徴は、教祖が空を飛べる、壁抜けができる。未来を予言できる。こんな子どもだましのことに難関有名大学の、しかも理工学部の学生たちが次ぎ次ぎ入信して、手先となって殺人などの悪事を働いたことにある。

嶋津きよら 創作    『忍ぶ川』小論 ~三浦哲郎の見た世界~


―――――――――――――――――― 3 ――――― ☆文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.233

社会観察  現在、社会で問題になっていること

 現在、日本のことで世界から問題視されているのは、一つに昨年暮れの安倍総理の靖国参拝がある。中国、韓国はむろんアメリカも不快感をあらわした。アジアの国が拒絶するのは、戦争犯罪人、つまりA級戦犯も、一緒に祀られていることにある。日本人の根底には、死ねばみな仏になるという思いがある。批判されても信念を通すことについて、どう思うか。
 
靖国神社とは何か 閣僚が参拝するたびに問題になる靖国神社だが
           HPによると
靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
■靖国神社(正確には靖國)=国家を安泰にする、の意味。(大辞林)

 明治2年(1869)6月29日 明治天皇の命により「東京招魂社」として建立される。
        戊辰戦争(1868)の明治政府軍の戦没者を祭るために。
 明治12年(1879)「東京招魂社」を「靖国神社」と改称。
 昭和34年(1959)最初のA級戦犯合祀。
 昭和53年(1978)東条英機ら14人のA級戦犯を合祀。
靖国神社には、平成16年10月17日現在、246万6532柱の御霊が祀られている。
日本の国のために死んだ軍人・軍属・それに準ずる文官、民間、学徒である。内訳は以下。
・戊辰戦争7751柱 ・西南の役6971柱 ・日清戦争1万3619柱 台湾出兵1130柱
・義和団事変1256柱 ・日露戦争8万8429柱 ・第一次世界大戦4850柱 済南事変185
・満州事変1万7176柱 ・日中戦争19万1250柱 ・大東亜戦争213万3915柱

中国など周辺国が問題にしているのは、この中に、14人のA急戦犯が入っていることもある。A級戦犯とは、東京裁判で判決が決まった人たちのことで、東条英機、広田弘毅はじめ7人が絞首刑になった。このA級戦犯はじめ極東アジアで裁判にかけられた軍人軍属も合祀しようという運動が1956年ごろからはじまり、1978年10月17日に国家の犠牲者「昭和殉難者」として合祀されることが決まった。
しかし、翌年79年4月19日にマスメディアの知るところとなり、以後、宗教問題としても論争されるようになった。(靖国神社HPより)
現在、分祀案もでている。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.233 ―――――――― 4 ――――――――

 最近、この問題を思わせる映画を観た。「ハンナ・アーレント」という映画だ。(2012年/ドイツ・ルクセンブルグ・フランス/114分)『不屈の精神で「悪」と真実に立ち向かったハンナ・アーレントの愛と信念が胸打つ感動の実話。宣伝のサブタイトルは「誰からも敬愛される高名な哲学者から一転、世界中から激しい非難を浴びた女性がいた」「彼女は世界に真実を伝えた」

ドイツに生まれ、ナチス政権による迫害を逃れてアメリカへ亡命したユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントを描いた歴史ドラマ。1960年初頭、ハンナ・アーレントは元ナチス高官アドルフ・アイヒマンの裁判の傍聴記事を執筆・発表するが、記事は大論争を巻き起こし、アーレントも激しいバッシングを受けてしまう。その顛末を通して絶対悪とは何か、考える力とは何かを問うとともに、アーレントの強い信念を描きだしていく。

ハンナ・アーレント(1906-1975)69歳没

著作
• 『革命について』(志水速雄訳、合同出版、1968年/中央公論社、1975年/筑摩書房[ちくま学芸文庫]、1995年)
• 『イエルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』(大久保和郎訳、みすず書房、1969年、新装版1994年)
• 『歴史の意味―過去と未来の間に.1』(志水速雄訳、合同出版, 1970年)
• 『文化の危機―過去と未来の間に.2』(志水速雄訳、合同出版, 1970年)
• 『暗い時代の人々』(阿部斉訳、河出書房新社、1972年、改訂版1995年/筑摩書房[ちくま学芸文庫]、2005年)
• 『全体主義の起原(1・2・3)』(大島通義・大島かおり・大久保和郎訳、みすず書房、1972-74年、新装版1981年)
• 『暴力について』(高野フミ訳、みすず書房、1973年/山田正行訳、みすずライブラリー、2000年)
• 『人間の条件』(志水速雄訳、中央公論社、1973年/筑摩書房[ちくま学芸文庫]、1994年)
• 『カント政治哲学の講義』(ロナルド・ベイナー編、叢書ウニベルシタス・法政大学出版局、1987年)
o 『完訳カント政治哲学講義録』(仲正昌樹訳、浜野喬士編訳書、明月堂書店、2009年)
• 『パーリアとしてのユダヤ人』(未来社、1989年)
• 『過去と未来の間―政治思想への8試論』(みすず書房、1994年)
• 『精神の生活 (1・2)』(佐藤和夫訳、岩波書店、1994年)
• 『ラーエル・ファルンハーゲン―ドイツ・ロマン派のあるユダヤ女性の伝記』(みすず書房、1999年)
o 別訳『ラーヘル・ファルンハーゲン―あるドイツ・ユダヤ女性の生涯』(未来社、1985年) 
• 『アーレント政治思想集成 (1・2)』(ジェローム・コーン編、みすず書房、2002年)
• 『暗い時代の人間性について』(情況出版、2002年)
―――――――――――――――――― 5―――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.233
• 『アウグスティヌスの愛の概念』(みすず書房、2002年)
• 『カール・マルクスと西欧政治思想の伝統』(大月書店、2002年)
• 『政治とは何か』(ウルズラ・ルッツ編、岩波書店、2004年)
• 『思索日記(1).1950-1953』(ウルズラ・ルッツ、インゲボルク・ノルトマン編、叢書ウニベルシタス・法政大学出版局、2006年)
• 『思索日記(2).1953-1973』(ウルズラ・ルッツ、インゲボルク・ノルトマン編、叢書ウニベルシタス・法政大学出版局、2006年)
• 『責任と判断』(ジェローム・コーン編、筑摩書房、2007年)
• 『政治の約束』(ジェローム・コーン編、筑摩書房、2008年)
熊谷元一研究 

2013年度における熊谷元一研究の活動

 平成25年度、2013年における熊谷元一研究の主な活動は、写真展の見学だった。文

岩波書店創立百年展

銀座・教文館で開催された岩波書店創立百年展に熊谷元一の『一年生』が展示された。岩波書店から招待券。郊外授業として見学。文芸研究Ⅱから、嶋津きよら 齊藤真由香が参加。懇親会も参加。熊谷元一研究対象事業は、以下の日にち。

□2013年7月3日(金)岩波書店編集部桑原氏レクチャー 芥川先生・下原参加。
□2013年7月5日(日)銀座・教文館「岩波書店創業百年展」見学9名(2)齋藤・嶋津
 
熊谷元一賞写真コンクール審査会

新宿のホテル市ヶ谷で行われた熊谷元一賞写真コンクール最終審査会で選考過程を見学。
文芸研究Ⅳから大野純弥君参加。懇親会も出席。

□2013年9月30日(月)第16回熊谷元一写真賞コンクール最終審査 見学5名(1)

第16回熊谷元一賞写真コンクール授賞式 不参加

熊谷元一の郷里、長野県阿智村で、授賞式があり、新しく審査員になった日芸の飯沢耕太郎先生が記念講演した。が、都合で不参加。

□2013年11月9日(土)第16回授賞式、飯沢先生講演、「一年生展」開催 不参加

熊谷元一写真童画館で『一年生』展開催 2013年11月~12月

28会が地元同級会を開く。参加したなかで9名が見学参加

□2013年11月24日(日)熊谷元一写真童画館「一年生展」見学9名(28会)

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・233 ――――――― 6――――――――――――――――

小倉百人一首
百人一首とは何か

天智天皇(平安末期)から藤原家隆・雅経(鎌倉)の時代までのもの

小倉山荘で藤原定家(1162-1241)が勅撰集から選んだ。男79名、女21名。
春夏秋冬の歌32首 恋歌43首 その他、旅など25首などで構成されている。

 百人一首とは何か。カルタひろいから入れば、それほど縁遠いものではない。おそらく苦手とする人は、学校教育の一環、古典文学と考えるからと思う。昔の人が優雅に風景や、四季、恋、失恋を詠んだもの、文法ではなくリズムで思い描いてみよう。
 百人一首とは、何か。HPでは、このように紹介している。
 藤原 定家(ふじわら の さだいえ、1162年(応保2年) - 1241年9月26日(仁治2年8月20日))は、鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と有職読みされることが多い。藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。最終官位は正二位権中納言。京極殿または京極中納言と呼ばれた。法名は明静(みょうじょう)。
 平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期を生き、御子左家の歌道の家としての地位を不動にした。代表的な新古今調の歌人であり、その歌は後世に名高い。俊成の「幽玄」をさらに深化させて「有心(うしん)」をとなえ、後世の歌に極めて大きな影響を残した。
 摂関家藤原北家道兼流・宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)が京都嵯峨野に建築した別荘、小倉山荘の襖色紙の装飾の為に、蓮生より色紙の依頼を受けた鎌倉時代の歌人藤原定家[1]が、上代の天智天皇から、鎌倉時代の順徳院まで、百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ百首選んだものが小倉百人一首の原型と言われている。男性79人(僧侶15人)、女性21人の歌が入っている。成立当時まだ百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」や「嵯峨山荘色紙和歌」などと称された。
  いずれも『古今集』 、『新古今集』などの勅撰和歌集から選ばれている。歌道の入門書として読み継がれた。江戸時代に入り、木版画の技術が普及すると、絵入りの歌がるたの形態で広く庶民に広まった。より人々が楽しめる遊戯として普及した。関連書に、やはり藤原定家の撰に成る『百人秀歌』があり、『百人秀歌』と『百人一首』との主な相違点は「後鳥羽院・順徳院の歌が無く、代わりに一条院皇后宮・権中納言国信・権中納言長方の3名が入っている」「源俊頼朝臣の歌が『うかりける』でなく別の歌である」2点である。現在、この『百人秀歌』は『百人一首』の原撰本(プロトタイプ)と考えられている。
2010年読書と創作の旅 百人一首一覧
 1.秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ     天智天皇 
 2.春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山        持統天皇  
 3.あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む  柿本人麻呂
 4.田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ  山部赤人
 5.奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき       猿丸大夫
 6.鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける       中納言家持
 7.天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも      安倍仲麿
 8.わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり     喜撰法師
 9.花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに   小野小町
―――――――――――――― 7 ―――――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.233

10.これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関    蝉丸
11.わたの原 八十島かけて 漕き出でぬと 人には告げよ あまのつりぶね  参議篁
12.天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ      僧正遍昭
13.筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる    陽成院
14.陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに     河原左大臣
15.君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ     光孝天皇
16.立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む    中納言行平
17.ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは    在原業平朝臣
18.住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ     藤原敏行朝臣
19.難波潟 短かき蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや     伊勢
20.わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ   元良親王
21.今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな    素性法師
22.吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ   文屋康秀
23.月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど   大江千里
24.このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに   菅家
25.名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな   三条右大臣
26.小倉山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ      貞信公
27.みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ    中納言兼輔
28.山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば     源宗于朝臣
29.心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花      凡河内躬恒
30.有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし      壬生忠岑
31.朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪      坂上是則
32.山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり     春道列樹
33.久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ        紀友則
34.誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに        藤原興風
35.人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける      紀貫之
36.夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ     清原深養父
37.白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける     文屋朝康
38.忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな     右近
39.浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき     参議等
40.忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで     平兼盛
41.恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか   壬生忠見
42.契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは      清原元輔
43.逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり        権中納言敦忠
44.逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし   中納言朝忠
45.哀れとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな    謙徳公
46.由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな      曽禰好忠
47.八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり    恵慶法師
48.風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな     源重之
49.みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ   大中臣能宣朝
50.君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな      藤原義孝
51.かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしもしらじなもゆる思ひを   藤原実方朝臣
52.明けぬれば暮るるものとはしりながら なほうらめしき朝ぼらけかな  藤原道信朝臣
53.なげきつつひとりぬる夜のあくるまは いかに久しきものとかはしる  右大将道綱母
54.忘れじのゆくすえまではかたければ 今日を限りの命ともがな      儀同三司母
55.滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞えけれ      大納言公任
56.あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな   和泉式部
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・232 ――――――― 8――――――――――――――――

57.めぐりあひて見しやそれとも わかぬまに雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
58.有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を忘れやはする       大弐三位
59.やすらはで寝なましものをさ夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな    赤染衛門
60.大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立         小式部内侍
61.いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな       伊勢大輔
62.夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ     清少納言
63.いまはただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな   左京大夫道雅
64.朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木     権中納言定頼
65.うらみわびほさぬ袖だにあるものを 恋にくちなむ名こそをしけれ   相模
66.もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかにしる人もなし       前大僧正行尊
67.春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなくたたむ名こそをしけれ     周防内侍
68.心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな     三条院
69.あらし吹くみ室の山のもみぢばは 竜田の川の錦なりけり       能因法師
70.さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづくもおなじ秋の夕ぐれ   良選法師
71.夕されば門田の稲葉おとづれて 蘆のまろやに秋風ぞ吹く       大納言経信
72.音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ    祐子内親王家紀伊
73.高砂のをのへのさくらさきにけり とやまのかすみたたずもあらなむ 前権中納言匡房
74.憂かりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを   源俊頼朝臣
75ちぎりおきしさせもが露をいのちにて あはれ今年の秋もいぬめり   藤原基俊
76.わたの原こぎいでてみれば久方の 雲いにまがふ沖つ白波 法性寺入道前関白太政大臣
77.瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ      崇徳院
78.淡路島かよふ千鳥のなく声に 幾夜ねざめぬ須磨の関守       源兼昌
79.秋風にたなびく雲のたえ間より もれいづる月の影のさやけさ    左京大夫顕輔
80.長からむ心もしらず黒髪の みだれてけさはものをこそ思へ     待賢門院堀河
81.ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただありあけの月ぞ残れる   後徳大寺左大臣
82思ひわびさてもいのちはあるものを 憂きにたへぬは涙なりけり   道因法師
83.世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる     皇太后宮大夫俊成
84ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき   藤原清輔朝臣
85.夜もすがら物思ふころは明けやらで 閨のひまさへつれなかりけり   俊恵法師
86.なげけとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな        西行法師
87.村雨の露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕ぐれ       寂蓮法師
88.難波江の蘆のかりねのひとよゆえ みをつくしてや恋ひわたるべき  皇嘉門院別当
89.玉の緒よたえなばたえねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする   式子内親王
90.見せばやな雄島のあまの袖だにも ぬれにぞぬれし色はかはらず   殷富門院大輔
91.きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む 後京極摂政前太政大臣
92.わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 人こそしらねかわくまもなし   二条院讃岐
93.世の中はつねにもがもななぎさこぐ あまの小舟の綱手かなしも    鎌倉右大臣
94.み吉野の山の秋風さ夜ふけて ふるさと寒く衣うつなり        参議雅経
95.おほけなくうき世の民におほふかな わがたつ杣に墨染の袖      前大僧正慈円
96.花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり     入道前太政大臣
97.こぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くやもしほの身もこがれつつ    権中納言定家
98.風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける     従二位家隆
99.人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆえに物思ふ身は    後鳥羽院
100.ももしきやふるき軒ばのしのぶにも なほあまりある昔なりけり   順徳院
・・・・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・・・
□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net携帯 090-2764-6052

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.shimohara.net/mt/mt-tb.cgi/233

コメントする

最近のブログ記事

文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.234
日本大学藝術学部文芸学科     2…
文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.233
日本大学藝術学部文芸学科     2…
文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.232
日本大学藝術学部文芸学科     20…