文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.232

| コメント(0) | トラックバック(0)


日本大学藝術学部文芸学科     2013年(平成25年)12月9日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.232
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/30 10/7 10/21 10/28 11/11 11/18 11/25 12/2 12/9 12/16 
1/20  1/27 
                 「2013年、読書と創作の旅」の皆さん

12・9ゼミ


 1. 12・16の3ゼミ合同発表会、模擬裁判稽古&ゼミ誌刊行お祝い
 2. サバイバル・生き残れるのは 3.世界文学紹介・詩篇「ミラボー橋」
         

12・1ゼミ報告 (参加3名)

後期前半最終日は12月16日
 前回、勘違えしました。後期前半の最終日は16日でした。従って、この日が合同発表会
です。ということは模擬裁判稽古、もう二日できるということで、ほっとした。9日は、全
員で稽古ができれば・・・。

【3名で模擬裁判稽古】
課題、事件再現の打ち合わせ。弁護と検察の台詞。
【社会観察「赤ちゃん取り違え」60年後発覚についての感想】
 先週、報道された「60年後にわかった赤ちゃん取り違え事件」についての感想。もし自分だったら、どちらの家庭に育った方がよかったか。
 Aさん...本当は、金持ちの家の長男だが、取り違えられて育った家は貧乏な家の4男、上に3人兄がいた。2歳のとき父親は死亡。母親は生活保護をうけながら子供たちを育てる。全員中卒。現在独身でトラック運転手。病気の次男を介護しながら暮らしている。
Bさん...本当は貧乏な家の4男だが、金持ちの家の長男として育った。後に弟が3人できる。4人全員4大卒、弟3人は一流企業。Bさんは家業を継いで社長。が、親の介護をめぐって3人の弟たちと対立。3人の弟たちは、血筋を怪しんで探偵に依頼。本当の兄Aさんを探し当てる。
【観察から創作作品へ、文豪モーパッサンの短編を読む】
『狂人』立派な裁判官だと思っていた人は、本当は...もしこんな裁判官がいたら――
『田園悲話』貧乏でも両親に育てられた子。金持ちの養子になって育った子。残酷な結末。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.232 ―――――――― 2 ―――――――――――――

サバイバル観察 あなたの状況判断は ? 単独と複数では

【米国、特殊部隊で出された課題】山で遭難、生命の危機あり

あなたは、深い山で道に迷いました。季節は晩秋の午後、つるべ落としの夕暮れは、もうすぐです。寒さと濃霧。正体の知れない獣の咆哮。救助は不明。食料もありません。心細い限りですが、このとき以下のものが手に入るとしたら、あなたは、生き残るために、何を必要としますか。1人の場合と、複数の場合があります。必要と思うものに優先順位をつけてください。近くの林の中から谷川の水音がします。夜は迫っている。

・多目的ナイフ  ・2リットルの灯油入りの空ポリタンク  ・麻縄ロープ

・毛布一枚    ・ごみ用ポリ袋5枚    ・古タイヤ2本

・使い捨てライター1個   ・木綿のシーツ1枚

優先順位を決めてください

               1人の場合の順番        複数の場合の順番

●ライター1個

●タイヤ2本

●毛布1枚

●ナイフ

●ポリタンク

●ロープ

●ポリ袋5枚

●シーツ1枚

順位の理由はなんですいか。説明してください。(なぜこの順位にしたのか)

一人の場合 →

団体の場合 →

※他人の順序に納得できない場合は、なぜ納得できないか、意見を述べてください。

※正しい答えはありませんが、皆が納得できる説明が必要です。(特に複数の場合)


―――――――――――――――― 3 ――――― ☆文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.232

名作読み詩篇 師走といえば第九ですが、アポリネール(1880-1918)のこの詩を思い出す人も少なくありません。木枯らし吹く夕暮れ、この詩を思い出してください。
「ミラボー橋」は1913年の作品。これはセーヌ川にかかる鉄製の橋の名前です。(詳しくはネット「アポリネール」検索ください)

  Le pont Mirabeau            ミラボー橋

Sous le pont Mirabeau coule la Seine.  ミラボー橋の下をセーヌは流れる
Et nos amours              そして私たちの愛も
Faut-il qu'il m'en souvienne       思い出さねばならないのか?
La joie venait toujours apres la peine  悲しみの後に必ず喜びが来たことを

Vienne la nuit sonne l'heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s'en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。

Les mains dans les mains         手に手を取り
restons face a face         顔に顔を合わせ
Tandis que sous le Pont         私たちの腕が作る橋の下を
de nos bras passe          永遠の微笑みが流れる間に
Des eternels regards l'onde si lasse   水は疲れていった

Vienne la nuit sonne l'heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s'en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。

L'amour s'en va comme cette eau courante 愛は流れ行く水のように去っていく
L'amour s'en va comme la vie est lente  愛は人生は遅すぎるかのように
Et comme l'Esperance est violente    そして望みは無理であるかのように
                     去っていく

Vienne la nuit sonne l'heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s'en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。

Passent les jours et passent les semaines日々が去り、週が去って行くのに
Ni temps passe              時は去らず
Ni les amours reviennent         愛は戻らない
Sous le pont Mirabeau coule la Seine   ミラボー橋の下をセーヌは流れる

Vienne la nuit sonne l'heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s'en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。

 句読点を使わないという画期的な手法を使った作品集「アルコール」の特徴
がこの詩にも出ています。(検索)
 去っていった恋人、マリー・ローランサン。詩人は38歳の短い生涯。が、彼女への愛は永遠に終わらない。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.232 ―――――――― 4 ――――――――

熊谷元一研究 

2013年度 熊谷元一写真保存会

11・9第17回総会終わる

熊谷元一写真保存会は、11月9日(土)長野県昼神温泉郷にある「熊谷元一写真童画館」にて第17回総会を開催した。今回は、第16回写真コンクールから審査員となられた飯沢耕太郎氏が、「熊谷元一の写真」を記念講演された。氏は、午前中も、校高生を対象に「写真の撮り方」をレクチャーされた。
総会の内容は以下の通り

1.24年度事業報告 ・・・25・9・30 第16回写真コンクール審査会(東京)
2.24年度会計報告・・・・総会欠席者に資料送付
3.会計監査報告・・・平成25年11月1日 適切に処理されているを確認
4.25年度事業計画・・・第17回熊谷元一賞コンクールの後援等
5.25年度予算・・・・・・(25・11・1~26・10・31)
6.その他・・・・・・・他館等の展示研修

記念講演 飯沢耕太郎氏(日芸講師)「熊谷元一の写真」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2013年(平成25年)熊谷元一展研修

□2013年7月3日(金)岩波書店編集部桑原氏レクチャー 芥川先生・下原参加。
□2013年7月5日(日)銀座・教文館「岩波書店創業百年展」見学9名(2)
□2013年9月30日(月)第16回熊谷元一写真賞コンクール最終審査 見学5名(1)
□2013年11月9日(土)第16回授賞式、飯沢先生講演、「一年生展」開催 不参加
□2013年11月24日(日)熊谷元一写真童画館「一年生展」見学9名(28会)
□2014年 1月31日(土)新宿ポートレートギャラリー見学予定

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「長野県生まれの写真家たち」展見学予定 

平成26年研修計画
 
熊谷元一を含め22人の『写信州』展が東京で開かれる。詳細は以下の通りです。

日 時  2014年1月31日(金)~2月1日(土)
会 場  ポートレートギャラリー(東京都新宿区四谷1-7)
宿 泊  ホテルグランドヒル市ヶ谷 費用(宿泊・はとバス含む)
見 学  2月1日は、はとバス半日コース。スカイツリーなど見学。
※2014年ゼミⅢで下原ゼミを選択する人の参加歓迎。2014・1・31見学
―――――――――――――――――― 5―――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.232


熊谷元一研究   11・24 28会、「一年生」展を見学

 28会は、11月23日(土)郷里長野県で同級会を開催した。会場となったのは、阿智村の隣村下條村にあるホテル「月下美人」。懐かしい「一年生」の面々が各地から集まって楽しい夜を過ごした。翌日24日(日)は、リンゴ園でリンゴ狩りの後、昼神温泉郷にある熊谷元一写真童画館を訪問。目下、開催中の「一年生」特別企画展を見学した。

「一年生」特別企画展

会場 長野県昼神温泉郷 熊谷元一写真童画館・常設展示場

第1回展 :  9月18日(水) ~ 12月16日(月)

12月18日に作品の入れ替え

第2回展 : 12月19日(水) ~ 2014年2月中旬迄

入館料、一般350円 火曜日休館

常設作品の他、普段は展示されない作品、計95点が

 2010年11月に101歳で亡くなった写真家熊谷元一(1909-2010)の代表作といえば、1955年に出版された写真集『一年生―ある小学教師の記録』(岩波写真文庫)である。この作品展が、熊谷の郷里にある熊谷元一写真童画館で開かれる。今年は、没後3年に当たることから特別企画展として2014年2月中旬まで開催される。


『一年生』出版まで

1949年4月 (40歳)母校会地小学校に転勤になる。
1951年 (43歳)岩波写真文庫の仕事として蚕の写真を撮る。『かいこの村』
1953年4月1日 (44歳)小学1年生を担任。写真撮影を開始する。
1954年3月30日、小学1年生写真撮影終了
1955年3月 (46歳)、岩波写真文庫『一年生』出版。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・232 ――――――― 6――――――――――――――――

「一年生」展第1回展に展示されていた主な作品


←の写真 「一年生」は2学期から教室の掃除をはじめた。木造校舎なので雑巾がけが主な作業だが、まだ遊び感覚の子が多かった。熱心に掃除する子もいれば、写真のように、おうまさんごっこをはじめてしまう子もいた。掃除は、教室の他に廊下と下駄箱などがあった。


←の写真 さんすうの時間。苦手の子は、大変だ。からだぜんぶをつかっての計算。ちなみに写真の子どもは、下原本人。5を頭に入れて、2を加えると・・・なかなかできない。生涯とおしてさんすうが弱かった。


「一年生」誕生秘話

1952年(昭和27年)名取さん(岩波写真文庫の主任)は、「かいこ」の撮影中、次は何を写しますかと言って下さったので、私は、昭和28年に新しく担任する一年生の生活を一か年撮影したいと申し上げると、それはよい、きっとおもしろいものが出来ますよ、とはげまして下さった。それに力を得て、4月1日入学の日から毎日子どもたちの日常を克明に追った。途中から新しく手にしたキャノンで写したが、手ごたえがあるような気がしてうれしかった。/一年生では、新しいこころみとして、教室のマイクを通じたお話をどのように聞くのか、その様子を2分ごとにシャッターをおしてみた。これは子どもたちのあきる様子が実に面白く撮れた。ほかにも意外に子どもたちのありのままの姿が撮れた。
 撮影した全部のネガが2千余枚に簡単な説明をつけて、岩波書店にとどけた。編集を担
―――――――――――――――――― 7―――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.232

当したのは編集部の伊坂達孝さん。そして「一年生」と題して、昭和30年(1955年)3月、写真文庫の143として出版された。第一回の「毎日写真賞」を受賞した。
(熊谷元一著『三足のわらじ』より)

撮影者は誰

【「一年生」の謎】 「一年生」は教室内で撮った作品が多い。まだカメラが珍しかった時代だったが、子どもたちの顔に、それがない。撮ることも、撮られることも自然になってしまったのか...。被写体の「一年生」は、写真に撮られた記憶があまりない。
 「先生、おしっこ」と題された、この写真も、そうした記憶にない写真の一つである。被写体は、下原本人だが、はたして「せんせい、おしっこ」と言ったかどうかは、おぼえていない。おそらく言ってないのが正解だろう。このころ下原は、吃音だったのでほとんど話さなかった。最大の謎は、この写真は誰が撮ったのか、である。子供の一人に撮らせた。西組の先生が撮った。たまたま教室にきた他の先生が撮った。可能性をあげれば、この3つがあげられる。たが、どれも記憶にない。子供たちの視線が熊谷先生と被写体に向けられている。一人我関せずで勉強している子がいるが、ほとんどの子は熊谷先生を見ている。何か面白いことを言ったのだろうか。皆、笑っている。子供だとしたら、こんなにタイミングよく撮れただろうか。
 この謎について生前、熊谷先生になんどか尋ねたことがある。その度、先生は首を傾げて思い出そうとした。が、とうとうだれとも言わなかった。永遠の謎として残った。
 この時代、自動シャッターのカメラはなかったと思う。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・232 ――――――― 8――――――――――――――――

ゼミⅡの記録・後期前半

□ 9月30日(月)郊外授業 写真賞審査会見学 ホテル市ヶ谷 参加1(ゼミⅣ)
□10月 7日(月)ゼミ誌編集作業報告、作成会議 表紙の紙質選定 参加3名
□10月21日(月)司会・南海洋輔 ゼミ誌編集報告 テキスト読み『范の犯罪』疑似法廷
         劇の配役を決める。4名全員参加
□10月28日(月)参加者3名、ゼミ雑誌編集報告、模擬裁判・稽古、南海さん演出・監
 督、齋藤、嶋津。『兒を盗む話』南海さん課題報告、人生相談「大学を
やめたい」私のアドバイス。
□11月11日(月)ゼミ誌編集報告、「竹取り物語事件」、「尾道幼女誘拐事件」「継子殺人未遂事件」についての考察と刑量について、参加者3名
□11月18日(月)3名参加、嶋津、斉藤、南海 『剃刀』読みと脚本読み
□11月25日(月)2名参加、齊藤、嶋津で『にんじん』読み。「めんどり」「もぐら」など。
         「にんじん」家族の肖像。
□12月 2日(月)3名参加、嶋津、齊藤、南海、「ナイフ投げ美人妻殺害事件」裁判稽古、
取り違え60年の話。モーパッサンの『狂人』を読む。
ゼミ雑誌『読書と創作の旅』近日刊行
1. 12月12日までに見本誌を出版編集室に提出してください。
2. 12月下旬までに印刷会社からの【③請求書】を出版編集室に提出してください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

掲示板

◇2014年2月1日(土)、ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」

会 場 東京芸術劇場小5会議室   時 間 午後2時 ~ 4時45分迄 
作 品 『いやな話』     報告者 國枝幹生氏

◇募 集 第17回【熊谷元一写真賞コンクール】応募テーマ「かんどう」
締切平成26年9月20日まで。応募先・〒395-0304 長野県下伊那郡阿智村智里331-1 熊谷元一写真童画館内「写真賞コンクール事務局」0265-43-4422 

・・・・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・・・

□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
 メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
       携帯 090-2764-6052

来週は12月16日は、2013年の最終ゼミです。合同発表会なので「ゼミ通信」の発行は、お休みします。「ナイフ投げ奇術師美人妻殺害事件」模擬裁判です。はたして、どんな判決が・・・・頑張りましょう。(裁判の号外ビラは発行です)

「2013年読書と創作の旅」の皆さん どうぞ、よいお年を!

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.shimohara.net/mt/mt-tb.cgi/232

コメントする

最近のブログ記事

文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.233
日本大学藝術学部文芸学科     2…
文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.232
日本大学藝術学部文芸学科     20…
文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.231
日本大学藝術学部文芸学科     20…