文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.112

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日本大学芸術学部文芸学科     2008年(平成20年)10月6日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.111
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2008後期9/22 9/29 10/6 10/20 10/27 11/10 11/17 12/1 12/8 
12/15 1/19 1/26 
  
2008年、読書と創作の旅

10・6下原ゼミ

10月6日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2

 1.出欠・連絡事項・ゼミ誌原稿提出

 2.次回ゼミ課題・配布と説明
    
 3.世界名作読み・家族観察(家族事件から)
 
  4.課題発表(「尾道幼女誘拐事件公判・第一審)
     
 
車窓・大阪の個室ビデオ火災放火の闇 
  
 またしても雑居ビル火災で15人という大勢の犠牲者がでた。またしても、というのは、7年前、新宿歌舞伎町で44人もの死者をだした火災があったからだ。あのときは飲食関係の店ということで、半数近くが若い女性だったように記憶している。今回は個室ビデオ店だった。まだ身元は確認中だが、ほとんどが男性客のようである。狭い場所で大勢の人が死ぬ。都市型火災の恐ろしさもあるが、憎むべきは火をつけた犯人である。
 放火の動機は、秋葉原の通り魔殺人鬼と同じ「生きているのがいやになった」という身勝手な理由である。不幸にして事件に巻き込まれた人たち。個室ビデオ店というから、ビデオ目的の客もいただろうが、多くは、1500円という安さで一晩を過ごせる。その気軽さだったようだ。たまたま終電に乗り遅れた、職場が近いので休憩所がわりに利用していた。なかには「住所には別人」「親と音信普通」(朝日3日)という不明の人もいたが、殆どが毎日を一生懸命に生きていた人たちだったらしい。いったい、どんな人生を歩んだら、こんな凶行ができるのか。こんな人間になれるのか。新聞報道のなかから探ってみた。放火犯(46)の人生は、2000年頃までは順調のようだった。「大手電機メーカーに勤め、大阪府内の一戸建て住宅に妻と子ども2人、母親と5人で暮らしていた(読売)」という。「2001年に退職、その前後に離婚し、1000万円あった退職金もすぐに使い果たした」母親が亡くなってから一戸建ての自宅を売却、マンションを購入したが、それも昨年4月に手放し、犯行時はワンルームマンション住まい。事件1週間前には、知人に「2000円でいいから貸してほしい」と頼むほど困窮していたという。(読売)推測だが転落の原因はギャンブルか。近所の人の話だと、パンツ一つで歩きまわるなど奇行が目立っていたという。犯行時の所持金はゼロ。犯人は、後悔を口にしているという。発作的で無差別殺人の意思はなかったと弁解。その真意は。人間の闇は深い。失った命を思うと罪状を考えるのも虚しい限りだ。 (編集室)

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.111―――――――― 2 ――――――――――――――

車窓雑記

最近の新訳問題について
 
  古典文学が読まれなくなった、と云われて久しい。が、昨今は売る側の創意工夫によって注目され驚くほど売れているという。なかでも昨年来から突出しているのは、新訳出版されたロシアの文豪ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』全5巻である。
 この新訳、前号の新聞記事掲載で紹介したが、すでに100万部のベストセラーになっているという。古典としては驚異的数字らしい。出版界の慢性不況に加え古典離れ著しい現代にあって、まさに奇跡である。訳者の亀山郁夫氏は「買っても読まれる人は千人に一人か五千人に一人ですよ」と謙遜する。が、世界文学最高峰作品といわれながらも同書がこれほど脚光を浴び喧伝されたのは、明治、大正、昭和にもなかった快挙である。それだけに愛読者としては、このブーム的現象を大いに歓迎している。
 新世紀になっても世界は、混沌としている。家庭においても、社会においても、国家、民族においても、人間は、調和を希求しながらも、迷い苦しんでいる。ドストエフスキーの言葉を借りれば、この星は地殻まで、血と涙でびしょ濡れている。核汚染させながら、である。人類に救済はあるのか。『カラマーゾフの兄弟』は、その答えを論じたものだ。作中のどこかに人間の謎を解く鍵が秘められている。世界を平和と調和に導く道標がある。このことは世界の賢者の認めるところである。宇宙の謎に挑戦したアインシュタインは、「彼は(ドストエフスキー)はどんな思想家よりも多くのものを、すなわちガウスよりも多くのものを私に与えてくれる」と、書き残した。詩人萩原朔太郎は「私の神様」と公言して憚らなかった。だが、いつの時代も、この物語を読む人は少ない。そこで愛読者としては、このブームを千載一遇の機会とみて宣伝したい。『カラマーゾフの兄弟』をもっと多くの人に読んでもらいたいと思うわけである。この本には、ドストエフスキーの理念が書かれている。
 ところが、この折角の古典ブームに水を差す出来事が起きている。同書の新訳が、研究者のあいだで物議をかもしているのだ。日本語が変だ。解釈が間違っているなど喧々諤々である。思わぬ舞台裏の専門家たちの騒動に、読者は戸惑うばかりである。
 私が参加する読書会「ドストエーフスキイ全作品を読む会」は1970年に発足してから今日まで文豪の作品を読みつづけている。開催は年6回ペースで、今秋230回になる。そんなことからこの新訳問題について、ときどき意見、感想を聞かれることがある。NHK、アエラなどいくつかのメディアから取材があった。「新訳は、問題があるとか。どう思いますか」と。そのたび私は「読者にとって、誰が訳者かは、それほど重要ではありません」と答えている。好みはあっても、訳者や研究者の違いで作品の印象が変わるとは思っていない。たとえばハムレットの「死ぬべきか、生きるべきか、それが問題だ」が「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」との訳になってもハムレットのすばらしさは同じである。ヴェルレーヌも訳者が違っても詩の魅力はかわらない。つまるところ名作は、常に研究者や訳者を超えたところにある。私は、そう信じている。 
 今回の新訳をめぐる論争は、研究者の信念もあるが、多くは読者が間違った解釈をせぬようにとの老婆心からと聞く。読者としては、ありがたい限りである。が、まったくの杞憂であるとお答えしたい。読書会では、これまで多勢の訳者の作品を読んできた。しかし、それによって翻訳問題が起きたことは一度もない。これは、訳者の違いは読者に何ら影響を及ぼしていない証明でもある。もし、真に作品を損ねる誤りがあれば、読者は決して見逃さない。訳者も研究者も、お互い対峙し合うのではなく、読者を信じて、より新しい翻訳と研究をすすめていって欲しいと願うばかりである。
(編集室)


――――――――――――――――― 3 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.111
2008年、読書と創作の旅

後期「2008年、読書と創作の旅」

10月6日ゼミ・プログラム

はじめに  → 出欠、「ゼミ通信」配布、連絡事項、その他
         
司会進行決め  →  まだの人に(あと2名で一巡)

司会者進行

1.ゼミ誌作成に関する報告、原稿集め、予定  
 (川端・大野編集長、小黒副編集長、坂本・瀧澤・橋本・飯島編集委員)    

2. 次回ゼミの課題テキスト配布(10月27日に各自発表・但し10月27日
  ゼミで「尾道幼女誘拐事件公判、第二審で結審しないときは、11月ゼミに
  ズレこみます)

配布テキスト=志賀直哉『灰色の月』

 志賀直哉の『灰色の月』は、日本文学全般からいうと評価はかなり高い。(そうでないという人たちもいるが、私は高いと思っている。で、その観点からの話になります)
 この作品は、400字原稿用紙で僅か10枚にも満たない話。それも物語ともエッセイともつかない作品です。なぜ、この作品が名作といわれるのか。説明するのは、かなり難しい、不可能かも知れません。ですが、何かにたとえるとすると、山登りです。まだ、ふもとの林の中を歩いている人が、すでに頂上付近を登る人に携帯か何かで
「どうですか、景色は」と聞きます。
「絶景だよ。すばらしいながめだ!!」
こんな答えが返ってきたとします。
 林の中を行く人は、想像はしますが、実際に絶景かどうかはわかりません。が、そこに到着したときほとんど100㌫の確率で、眼下にひろがる景色が絶景とわかります。しかし、文学作品の難しいところは、必ずしもそうでないことです。読了しちとたん、どこが面白いのか、と感じることが大半です。
 というわけで、名作を理解させ、納得してもらうのは、大変に難しいことです。が、説明するとしたら、やはり、この山登りしか思いつきません。かく云う私も、志賀直哉という作家はさっぱりでした。学校の国語の教科書の定番ということもあったせいか、テストのための読書でした。青春時代に再読したときも、他の日本の作家とかわりありませんでした。本当に志賀直哉がわかったのは、50を過ぎてからです。なぜ、車中作品をゼミでとりあげているか。ある日、電車に乗っていて、ふと気がついたのです。毎日、利用している電車。いつもは、乗っていることさえ意識しない車内。そんな車内が、ひどくなつかしく感じたのです。なんだろう、これは・・・そのとき突然、志賀直哉の車中作品を思い出したのです。小説は好きで探偵、推理、官能、恋愛、冒険、怪奇なんでも読んできた。だが、それらはたいてい時間の流れの中に塵芥となって消え去っていった。過去の体験がよみがえり現在を楽しく希望あるものにする。その研究に回想法というのがあるそうです。名作と呼ばれるものは、そんなものか知れません。すっかり忘れていても、あるとき時空を超えて突然に現れる。

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.111 ――――――――4 ――――――――――――――――

 志賀直哉の『灰色の月』を読んで、下記について発表してください。

1.あなたが作者だったら、どうするか。

2.この作品は(当時)作者批判の一つにされたが、どう思うか。

3. 『網走まで』と『灰色の月』との間には37年間の歳月がある。車内に時代
  背景の接点はあるか。
  『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか。

そのへんのところに注意して読んでください。
※原稿、配布しますがメール送信でも大丈夫です。

3. 世界文学名作読み ジュール・ルナール(1864-1910)

 最近の新聞で驚くのは、母親による子殺しである。九州福岡で、小1の男の子が公園で殺された。犯人は母親だった。そのニュースがまだ耳に残る最中、こんどは神奈川で小6の男子が、これも母親の手によって殺された。今年は、同様な事件が6件も起きているという。家庭で、母子のあいだで何が起きているのか。『にんじん』を読んで考えてみましょう。

『にんじん』 訳・窪田般彌(くぼたはんや)

 この作品については、あまり説明はしない方がよいようだ。本書の解説をしている宗佐近も、このように述べている。

 明快でだれにでもわかるやさしい文章で書かれたこの小説は、在来の通年を裏切って、意外に、複雑で不透明で謎に満ちた小説であることを、必ず、読者は発見することであろう。

「めんどり」と「しゃこ」を読みます。

 複雑で不透明で謎に満ちた小説。先入観なしの素直な感想が必要ということですが、皆さんの感想はどうですか。
 
□ 2作品から、この家族に感じること(普通、何か変だ、他)変ならどこが
□ にんじんの性格について(普通、反抗期、異常、他)
□ 母親の性格について(普通、変、他)
□ 兄の性格は(普通、変、他)
□ 姉の性格は(普通、変、他)

4.課題発表・「尾道幼女誘拐事件」について 第一審

中立役(裁判官)をやってみたい人は申し出てください。
 
・誘拐犯は有罪と思う人は事件のあらましを(起訴状) → なぜ有罪かを説明

・誘拐犯は無罪と思う人は弁論内容を → なぜ無罪かを説明する

―――――――――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.111

『兒を盗む話』初出 大正3年4月『白樺』

 この作品は、最初、以下の形で発表された。(が、旧い漢字や言葉づかいから難読との声もあったため、勝手ながら編集室で現代表記にした)
 犯罪における作者=主人公=犯人の心内はこのようであった。

(尾道幼女誘拐犯の告白)『兒を盗む話』

  私は五つになるその女の子を盗んだ。しかし三日目にもうあらわれて、巡査が二人と探偵らしき男が一人と、その後ろに色の浅黒い肉のしまった四十ばかりのその子の母親と、これだけが前の急な坂を登ってくるのを見たときには私は、苦笑した。そして赤面した。
 が、私はちょっと迷った。やはりできるだけの抵抗はやってみろ。いまもし素直に渡してしまうくらいなら最初からこんなことはしなくてもよかった。こう思うと急いで部屋の隅の行李(こうり)からから出刃包丁をだして、それを逆手ににぎって部屋の中に立った。そのとき女の子は次の三畳間でぐっすり寝込んでいた。
 しかし私は結局、出刃包丁を振り回すことはしえなかった。その気になれない。実際それほどの感情は出刃包丁をだすときから自分にはなかったのである。そして私は尋常に縄にかかった。女の子はそのまま母親に連れられていった。
 警察署での訊問は感嘆だった。私はその女の子がどんなことを申し立てたか聞きたかったが、これは知ることができなかった。
 翌日、私はそこから汽車で3時間ばかりかかる県庁所在地の地方裁判所へ回された。それから3日目に私は法廷へ引き出された。そのときは私の経歴でも、仕事でも、また血統でももう大概向かうで調べてしまったらしかった。その結果は裁判官は、私は気違いと鑑定したらしかった。私は、初めの調べと一緒に健康診断を受けることになっていた。審問に対しては私は、なるべく簡単な答えで済まそうと務めた。
 裁判官は、繰り返し繰り返し私の盗んだ目的を聞いたが、私は同じこときり答えなかった。
「可愛く思ったからです。貰(もら)いたいといっても、もらえないと思ったからです」といった。
 若い医者も色々と聞いた。私は聞かれることだけにただ簡単な返事をした。
 医者は、気違いではないといった。ただよほど烈しい神経衰弱にかかっていると報告した。
「烈しい神経衰弱というものが、こんな非常識なことをさせるものですか」と裁判官が聞いた。
「もちろん、いくらもあることです」
 こういう二人の問答からも、またいったいに裁判官や医者やその他の人々までも私に好意を持っているということが感じられた。少なくも普通の罪人に対するとはよほど変わった心持で調べているということがわかった。事件そのものに露骨な目的を持っていないこと、私にまったく悪びれた様子のないこと、それらが皆に好意を持たしたらしかった。
 私は裁判の結果を想像した。私は法律のことは知らなかった。しかしよく新聞などで見る示談とか、刑の執行猶予とか、そんなことだろうと思った。
 東京からは誰が来るか。父が来るか、叔父が来るか、それとも友達が来てくれるか。誰にしろ、この結果はきっと、そんなことにしてくれるだろうと思った。私はにぎっていた出刃包丁をついに振り回す気になれなかったように、この出来事もそれだけの結果で終わるだろうと思うと、罪せられるのを望むのではないが呆気ない気がした。

 東京を出る二ヶ月ほど前のことだった。私は私の最も親しい友達の一人と仲たがいをした。同時に私はある若い美しい女を恋した。
 初めてその女と会って1時間しないうちに私は珍しく何年ぶりで、甘ったるい恋するよ

芸研究Ⅱ下原ゼミNo・111―――――――― 6――――――――――――――――

うな心持になってきた。それは女が私に好意を持っていると思い込んだのも一つの力だった。その席には親しい友達が3人いた。なかでも一番仲のよかった一人が、私のその心持を見ぬくことから、快くない気持の上の悪戯を私に仕掛けた。私はそれでその友に腹を立った。   その女を恋する心持とその友を憎む心持とが私の胸で燃えあがった。たんちょうな日を続けていた私にはそれがいい心持だった。
 私は三四日して一人でその女に会いに出かけた。私はそのとき美しいイリュージョン(幻影)を作っていった。ところがそれはその場で1時間しないうちに見事に打ち崩されてしまった。苦しいが涼しいような快感があった。
 私は間もなくまた別の美しい女に出合った。美しい肉体をしてコケティツシな表情を持った女だった。ソーダー水に氷を入れて、それを電燈に透かしながら振ると風鈴のようないい音がする。女はそんなことをしながら度々それへ美しい唇をつける。そして仕舞いに飲み干す。で、酔えばいっそう美しくなった。襟から頬へかけていっそうに白くなった。それよりも眼が美しくなった。唇もいい色になる。だんだん調子が浮気っぽくなる。これも人を惹きつけた。
 私はこの女をとても補足しがたい奴と一人決めていた。私は三四度続けてあった。すると、案外補足しがたいという気がしなくなった。しかし結局は前の女でしたことを再びこの女で繰り返したに過ぎなかった。私はまた単調な生活に帰ってしまった。もう仲たがいした友達に対してもそれほどの怒りは感じられなくなった。何となくいらいらしながら物足らない心持で一日一日を無為に過ごしていた。(以下完成作品冒頭に続く)

(発表時の末尾)
 翌朝ぼんやりと障子の硝子越しに前の景色を見ている時だった。巡査や女の子の母親が前の坂道をこの方を見い見い登ってきた。母親は興奮からか恐ろしい顔をしていた。私には逃げようという気は少しも起こらなかった。私は赤面した。そして苦笑した。私はしまいまで進ませた出来事を途中で笑い出すようなことはことはしたくないと思った。私は出刃包丁を持ち出した。しかし、かって人の顔(あるいは犬でも馬でも)を真正面から殴った経験のない私には出刃包丁を逆手ににぎったものの、それで身がまえする気にはなれなかった。私は恐ろしく平凡な姿勢で出刃を持ったまま突立っていた。
 母親と女の子は抱き合って泣いた。母親は泣きながら激しく私を罵った。私は黙って立っていた。母親は娘を抱いたまま私の後ろにへきて、私の背中をドンと強く突いた。巡査がしきりとそれをなだめた。
 私は警察へ曳かれた。それからの経験は総て初めての経験であるが、私は学校時代に何かでこんな経験をしたような気がした。
  
 私には気違いじみた気分は少しもない。しかし裁判官がそれに近いものと解しようとするのを反対する気はない。
 私は多分近日許されてここをでるだろうと思う。それから私はどこへ行こう?やはり東京へ帰るより仕方がなさそうだ。もうあの町に行くこしはできない。東京へ帰らないとすれば、どうするだろう。私はまた同じような生活に落ちていかなければ幸せである。もし同じ生活が繰り返ってくれば私は今度は、更に容易に同じようなことを起こし兼ねないという気がするから・・・・・・・・女の子はどうしているだろう?

■ 被告人の罪状と量刑 (この日、結審しなければ次回ゼミの課題)

・有罪なら、量刑は


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参考資料
 いよいよ来年2009年5月21日(平成20年)から裁判員制度が施行される。これにより同年7月以降から実際に一般市民が裁判に参加することになる。「裁判院制度とは何か」を知りたい人はHPにあったWiKiPediaを以下に転載したので読んでください。
 裁判員制度は、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての裁判である。例外として、「裁判員や親族に危害が加えられるおそれがあり、裁判員の関与が困難な事件」は裁判官のみで審理・裁判する(法3条)。被告人に拒否権はない。裁判は、原則として裁判員6名、裁判官3名の合議体で行われ、被告人が事実関係を争わない事件については、裁判員4名、裁判官1名で審理することが可能な制度となっている(法2条2項、3項)。裁判員は審理に参加して、裁判官とともに、証拠調べを行い、有罪か無罪かの判断と、有罪の場合の量刑の判断を行うが、法律の解釈についての判断や訴訟手続についての判断など、法律に関する専門知識が必要な事項については裁判官が担当する(法6条)。裁判員は、証人や被告人に質問することができる。有罪判決をするために必要な要件が満たされていると判断するには、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない(一部立証責任が被告人に転換されている要件が満たされていると判断するためには、無罪判決をするために合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない)。以上の条件が満たされない場合は、評決が成立しない(有罪か無罪かの評決が成立しない場合には、被告人の利益に無罪判決をせざるを得ないと法務省は主張しているが、法令解釈権を持つ裁判所の裁判例、判例はまだ出ていない)。なお、連続殺人事件のように多数の事件があって、審理に長期間を要すると考えられる事件においては、複数の合議体を設けて、特定の事件について犯罪が成立するかどうか審理する合議体(複数の場合もあり)と、これらの合議体における結果および自らが担当した事件に対する犯罪の成否の結果に基づいて有罪と認められる場合には量刑を決定する合議体を設けて審理する方式も導入される予定である(部分判決制度)。裁判員制度導入によって、国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている一方、国民に参加が強制される、国民の量刑感覚に従えば量刑がいわゆる量刑相場を超えて拡散する、公判前整理手続によって争点や証拠が予め絞られるため、現行の裁判官のみによる裁判と同様に徹底審理による真相解明や犯行の動機や経緯にまで立ち至った解明が難しくなるといった問題点が指摘されている。裁判員の負担を軽減するため、事実認定と量刑判断を分離すべきという意見もある。
 最高裁によると、全国の裁判員裁判対象事件は2004年の3791件から減少傾向にある。都道府県別で昨年、対象事件が最も多かったのは①大阪306件、②東京255件、③千葉214件の順。最も少なかったのは福井県の7件。罪名別では、①強盗致死傷695件、②殺人556件、現在建造物など放火286件、強姦致死傷218現在と続いた。(新聞8・5)
選ばれる確率は4911人に1人(全国平均)

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.111―――――――― 8 ――――――――――――――――

土壌館ニュース(9・29ゼミ報告)

後期、出立2日目に秋風

参加者は11名、5名欠席でした。

司会進行は、大谷理恵さん
 市会社の読書。愛読書アンケートでは桜庭一樹のものが多かった。『少女には向かない職業』『青年のための読書クラブ』など。他に米澤穂信の推理ものなど。

参加者紹介(敬称・順番略)
 
阪本義明、 大野菜摘、 川端里佳、 本名友子、 長沼知子、 大谷理恵、
瀧澤亮佑、 秋山有香、 田山千夏子、橋本祥大、 小黒貴之、 野島 龍
臼杵友之  飯島優季

1.ゼミ雑誌『ドレミファそらシド』について

□10月6日(月)編集会議を開く。レイアウト、活動日を決める。
□10月18日までに。頁数を増やしたい人は、この日までに連絡を。
□10月19日までに原稿を送る。最終日。メールは橋本君へ(但し12日以降)

2.軽井沢ゼミ合宿の件

 他ゼミから誘われていた合同ゼミ合宿参加希望者の受付。希望者なし。清水ゼミの清水教授説明も申込者はゼロでした。

3.世界文学名作読み

 ヘミングウェイの短編『殺し屋』を輪読した。文体の簡潔さ。作品背景の深さに注意して読んでもらった。

4.選挙と世襲について
 毎日、報道される政治ニュースと、政治家の言動。国会は、いまや劇場と化しているが、そこで決まることが、私たちの日常生活に響いてくる。そんなところから、近々行われるかも知れない選挙について考えてもらった。(一部アンケート形式で、総て11名中)
□ 選挙権の有無 有る6名   無い5名
□ ある人6中で投票所に行く人  投票する3名  棄権1名  浮動票2名
□ 投票率を高めるには 1.税金を減らす 2.罰する  3.教育 1と2が多い

世襲について
 日本の政治を蔽っているものの一つに世襲がある。民主主義の基盤である選挙。これを勝ち抜くためには、地盤、看板、カバンの三要素が必要である。名も金もない庶民は無理。結局は、代々の政治家一家がつづく。年金、医療費、暮らしにも困ったことのない人たちが、年金や医療について考えるわけである。世襲政治は、社会の閉塞感を強くし、国民から活力を奪う。が、ゼミでの反応は意外なものだった。多くの人が、世襲を問題ないと考えていた。理由は、その人がいい人ならば。親が誰かわかっている。知らない人よりいい。納得できる意見だけに、返事に窮した。思えば日本は、ずっと階級社会だったのだ。 

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ゼミ誌について

ゼミ雑誌発行12月15日を目指して

 ゼミの実質的成果は、決められた期日までのゼミ雑誌発行にあります。毎年、納品日の遅れが指摘されています。一年間の大切な成果なので、しっかり守って、よい雑誌をつくりましょう。本ゼミは、二人編集長と一人副編集長に四人の編集委員が、アシスト、全員が協力します。ゼミ誌は自分の作品でもあるので、全員一丸となって当たりましょう。
・編集委員長=川端里佳 大野菜摘
・編集副委員長=小黒貴之
・編集委員=阪本義明 橋本祥大 飯島優季 瀧澤亮佑 
・補助委員=本名友子 長沼知子 大谷理恵 野島 龍 田山千夏子 臼杵友之 
      秋山有香 神田泰佑 刀祢平知也

ゼミ誌作成の進行状況と予定は以下の通りです

○決定事項 6月9日報告 → 印刷会社、フジワラ印刷(株)決定             
      6月16日 テーマ決め → 「空」内定
      ゼミ誌表紙デザイン、奥付など → 小黒、田山が担当
      原稿締め切り → 夏休み明け
      タイトル決め → 7月14日に決定「ドレミファそらシド」              

1. 6月中旬 → ①「ゼミ誌発行申請書」の提出。出版編集室に
2. 6月~  → ゼミ雑誌の装丁を話し合う。表紙デザインなど
3. 7月下旬 → 原稿依頼し、締め切り日、夏休み明け9月22日(月)。

4. 10月18日 → ページ数を増やしたい人は連絡。
  10月19日 → 
  11月10日  → ゼミ誌原稿の最終締め切り。

5. 10月上旬 → 編集委員は、内定の印刷会社から②「見積書」をもらう。
6. ~11月 → 「見積書」の提出。印刷会社と相談しながらゼミ雑誌作成。
7. 12月 → 15日までにゼミ誌提出、③「請求書」提出

注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。


正月休みにゼミ誌を読んできてもらい、新年明け最初のゼミで合評会を行います。

☆ 2009年1月19日(月) ゼミ誌合評会


文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.110―――――――10 ―――――――――――――――――

土壌館創作道場・プレイバック青春観察

汐留青春グラフィティ


もう10年近くも前になるが晩秋のある日、私はこんな新聞記事を読んだ。
――鉄道発祥の地、東京都港区の汐留貨物駅跡地、その再開発地区「汐留シオサイト」の玄関となる都営地下鉄大江戸線と新交通ゆりかもめの汐留駅が二日、開業した。――(朝日)
「【汐留再開発】東京・新橋と銀座に隣接する、旧国鉄の貨物跡地と周辺一帯(約三十一ヘクタール)を、東京都が95年から1463億円をかけて基盤整備を進めた。民間投資は四千億円強、全体で一兆一千億円の経済効果を生むと見られており、首都圏で最大級の事業規模。高級マンションや大企業の本社など、10棟を越す超高層ビルが05年までに次々と立ち上がる。全体の完成は06年で、就業人口六万一千人、居住人口六千人の街になる。」
はたして6年後、この地は、あの新聞記事通りの街になった。この地に移った民放テレビ局の朝の番組からそれとわかる。スタジオのガラスに映る並木や瀟洒なビル群。新しい都会の顔がそこにあった。
だが、「汐留」という地名を聞くたびに私の脳裏に浮かぶのは、その瀟洒な街角とは違ったある光景である。林立するビル群に囲まれた広い操作場。日本全国から到着する貨物列車。日本全国に向かって出発する貨物列車。ごった返す鉄道荷物の山。飛び交う怒鳴り声と鳴り響く発着ベルの喧騒。私が汐留の名から思い浮かぶのは、広い貨物駅の構内とそこで出会った人々のことだった。
いまはない40年前の貨物駅。そこにはいろんな奇妙な連中がいた。いろんな青春があった。彼らのことが、突然になつかしく思い出された。
 そう・・・私が、汐留貨物駅に行ったのは、まったくの偶然からだった。

秋の終りだった。その日、私は日比谷公園で行われた「ベトナム戦争反対」集会に参加した。当初は、集会の後、銀座周辺をデモ行進するだけの予定だった。が、過激派が大挙して押し寄せ、集会は大荒れとなった。機動隊と小競り合いがはじまり、最後には石や火炎ビン、催涙弾が飛び交う応戦状態となった。大勢の逮捕者がでた。私は、やっとのことで警察の包囲網を潜り抜けヤジウマにまぎれて、神田にある友人の下宿に逃げ込んだ。友人はノンポリだった。「また行ったのか」苦笑いして部屋に入れてくれた。その夜、二人でウイスキイーの角ビン一本空けた。翌日、昼に目を覚ました私は二日酔いで割れんばかりの頭を押さえて荻窪にある自分の下宿の大家に電話した。仲間から連絡が入っているか知りたかった。
「Kちゃん、あんた、いまどこにいるの」いきなり大家の女将さんの金切り声が鼓膜に響き渡った。「警察の人がきたわよ。聞きたいことがあるからって。帰ってきたら電話くれって名刺、置いてったから、早くしないと」
大家の女将さんは、興奮気味にまくしたてた。刑事が二人訪ねてきたことが、よほどショックだったらしい。彼女は、私が学生運動に参加していることをうすうす知っていた。それだけに過敏な反応をみせた。私も警察と聞いて、ひどく慌ててしまった。「なぜ幹部でもない私に・・」そんな疑問はあった。が、他方では、はじめての警察訪問にすっかり舞いあがってしまっていた。郷里の両親に知れたらマズイという思いとこれで運動家として一人前になれる。そんな思いが交差した。さっそく幹部に電話すると、「しばらく地下にもぐれ」の指示だった。私の投げた石が誰かに当り大ケガをさせ、そこを写真に撮られたかも知れないというのだ。そんなわけで私は一時的に身を隠すことにした。私はいっぱしの逃亡者になったつもりで、そのまま学校と下宿から姿を消した。所持金は二千三百円。
私が潜伏場所として選んだのは、都会のど真ん中にある貨物駅だった。駅で拾ったスポーツ紙で見つけた。「急募!貨物駅作業員。八時~十八時三千五百円、二十四時間勤務六千円」

――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.111


私は、その足で貨物駅に向かった。そこは、身を隠すのに絶好な場所だった。新橋駅から歩いてすぐの所に一つの閉ざされた世界があった。文字通り高い塀で閉ざされた世界だ。そこには、仮眠ベットもあれば、食堂も風呂もある。ちゃんと生活できる一つの社会があるのだ。 だが、そこから門を一歩外にでれば、大都会の街角、新橋の街。朝はサラリーマンがぞろぞろと行き交い。夕方はガード下の屋台に鈴なりになっていた。しかし、だれも塀の向こうに広大な貨物駅がひろがっていようなど思ってもみない。貨物駅にいれば、人知れず生活することができ、逃げ延びることができる。私は、砂浜に落ちた一粒のゴマとなった。
身を隠していて、おまけにお金ももらえる。まさに一石二鳥。これ以上の隠れ家はあるだろうか。はじめ怪しまれたりしないだろうか。そんな心配があった。が、まったくの杞憂だった。年末年始を迎える貨物駅は、大忙しだった。連日連夜、荷物を満載した貨車が到着し発車していて、積み替え作業に猫の手も借りたいほどだった。二十四時間勤務希望の私は歓迎され、即、偽ハンコ一つで採用してもらえた。時の総理の苗字を借りて佐藤と名乗った。下の名前は忘れた。若い事務員は、書類を書きながら質問をした。
「サトウさんは、学生運動は」
 一瞬、私はどきりとしたが、型どおりの質問だった。事務員は、もう次の項目に書き込んでいた。私は、ほっとして言った。
「ぼくはノンポリですよ」
「それが一番、近ごろの学生さんはデモばっかしやってて、きてくれないから、助かるよ」そう言って事務員は当然のように言った。「いまから働いてもらえますね」
私は、差し出された紺色の作業衣と41番の名札、それに手カギを受け取った。ロッカー室のカギもわたされた。着替えると初老の荷物会社の職員が待っていた。
「すぐなれますよ」
彼は、笑って言った。私は、彼の後について更衣室を出た。
 職員は、ラセン階段をおりて貨物駅構内に案内した。広い構内は森閑としていた。私は、その広さと静けさに圧倒されて黙っていた。
「あのホームで働いてもらいます。もうすぐ貨車が入るんです」
 職員が、指し示すホームに数人の若者が休んでいた。その日から、そこで働くことになった。そこにいたのは、積み込み班のバイト連中だった。愉快なマルメラードフ、ヒゲのバンドマン、パチキチ、日芸出身の劇団役者、プロ野球投手、三回戦ボーイ、17歳の家出少年、30歳のフリーカメラマン。彼らと一冬、過ごした。変な奴もいた。が、いまは皆、いい奴で、オモロイ連中だったように思える。皆、どこに行ったかしらないが、彼らのことを書きたくなった。
                                   つづく

名作案内

レマルク『西部戦線異常なし』訳秦 豊吉

エーリッヒ・パウル・レマルク(1898-1970・9・25) この作品は1929年1月に出版された。

青春の衝撃
 この物語が第一次世界大戦と知ったとき、愕然とした。というのも、若い頃、はじめてこの本を読んだとき、戦争の悲惨さ馬鹿ばかしさを知った。ドイツは、二度と戦争をしないだろう、と思った。それが、・・・文学作品の無力さを感じた本でもあった。
 ちなみに日本の戦時中、本書は、日本陸軍から要注意本とみなされていた。


文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.111―――――――12 ―――――――――――――――――        
掲示板

提出原稿について

○ 車内観察 → 電車の車内で観察したこと(創作・事実どちらでも)
○ 1日の記録 → 自分の1日を観察する(自分のことをどれだけ晒せるか)
○ 社会観察 → 社会の出来事を観察、自分の意見もいれてみる
○ 生き物観察 → 人間、動物、草木、生あるものすべての観察(宇宙人の目で)

 締め切りはありません。書けた人は、どんどん提出し、皆の評価をみてみましょう。何事も切磋琢磨です。
ゼミ誌・課題・その他+提出原稿(2×)+出席(1×)=評価(60~120)

ドストエフスキー情報

11月22日(土) : ドストエーフスキイの会例会 会場は千駄ヶ谷区民会館
           午後6時から「ドストエフスキーとヴェイュ」清水正氏 
10月11日(土) : ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」『未成年』
                会場は東京芸術劇場第1会議室 午後2時から
12月20日(土) : 同全作品読む会「読書会」、講演・講師は高橋誠一郎氏
           会場は東京芸術劇場第1会議室 午後2時から
出版
 ☆復刻版・岩波写真文庫『農村の婦人』6月25日発売「ひとくちばなし」下原
☆新刊・熊谷元一白寿記念写真集『信州 昭和の原風景』一草舎2200円
☆新刊・清水 正著『ドストエフスキー論全集3』D文学研究会2007
☆森閑・山下聖美著『宮沢賢治のちから』新潮新書 680円
★旧刊・下原敏彦著『伊那谷少年記』鳥影社「昭和30年の原風景」
 理論社 2008・3・21 定価1200
★下原敏彦著『ドストエフスキーを読みながら』鳥影社2006 2月点字図書
★國文学別冊『ギャンブル』下原敏彦・文「ドストエフスキーとギャンブル」
                                  
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編集室便り

☆「2008年、読書と創作の旅」内容は、本通信に掲載します。
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。

土壌館・下原ゼミ課題           2008・10・6配布

『灰色の月』について
           名前・
1.その時、あなたが作者だったら、どんな行動を


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2.この作品は作者批判の材料にされたが、あなたの意見は


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3.『網走まで』と『灰色の月』との間には37年間の歳月がある。

□ 車内から時代を読みとることができるか

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□ 『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか。

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時空船「2008ゼミ2」号搭乗員名簿
 「2008年、読書と創作の旅」、後半もひきつづき人間とは何か」を知るために、読むこと書くことの習慣化を目指します。参加の隊員の皆さんは16名。前期からまだ一人も欠けていません。(希望カード提出順・敬称略)
・阪本 義明 ・大野 菜摘 ・川端 里佳 ・本名 友子
・長沼 知子 ・野島 龍  ・大谷 理恵 ・瀧澤 亮佑
       ・秋山 有香 ・田山 千夏子・神田 泰佑 ・小黒 貴之
・刀祢平知也 ・橋本 祥大 ・飯島 優季 ・臼杵 友之
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「2008年、読書と創作の旅」班長・副班長
 ◎ 班長・小黒貴之さん      ○ 副班長・瀧澤亮佑さん

ゼミ雑誌『ドレミファそらシド』作成編集委員

 ◎ 編集長  ・ 川端里佳さん   大野菜摘さん
 ○ 副編集長 ・ 小黒貴之さん
   編集委員 ・ 坂本義明さん   橋本祥大さん   
          飯島優季さん   瀧澤亮佑さん  補助委員・全員

前期の平均出席者数と提出原稿本数
 
 大所帯は、欠席者が多くなる。提出原稿が少なくなる。そんな風評がありましたが、全くの杞憂でした。定員近い16名は、長期欠席者もなく前期を乗り切りました。
 実質的授業が開始された4月21日~7月14日まで、11日の統計は以下の通りです。

平均的出席者 → 13.2名  145名(11日間) 16名中13名 8割
提出原稿 → 32本(車内12、1日5、生き物3、愛読書12)一人平均2本

新刊紹介

清水 正著  D文学刊  3500+税 2008・9・20
『ドストエフスキー論全集3』
「罪と罰」の世界

謎解きを超えた『罪と罰』論の決定版!!

山下聖美著 新潮社 新潮新書新刊  定価680 2008・9・20
『宮沢賢治のちから』

【新書で入門】

構内は騒然としていた。三十五列車の発車時間が迫っていた。大小さまざまな鉄道荷物がごった返す積み荷ホームに、けたたましくベルが鳴り響き、怒鳴り声が飛び交った。
山陽本線方面の貨車の前には、小郡、防府、尾道と表示された荷物がまだ山積みにされていた。私は、手当たりしだい手カギに引っ掛け貨車の中にポンポン投げ込んだ。【横倒し厳禁】や【割れ物注意】の荷物もあったが、選別する余裕はなかった。
「おーい、早くしろ!」
「早くしろ!」
荷物会社の職員が、走りまわって大声でせかしまくった。
 三十九番の家出君は、最後の荷物を両手で持ち上げると
「これで、おしまあい!」
叫んで、思いっきりデッキの奥に投げ込んだ。
荷物は、白地にUSAと印された岩国米軍基地行きのサンドバックのような兵隊袋で、毎朝きまって一個小隊分ほどあった。何が入っているのか、かなり重かった。
 はじめのうち、このアメリカ兵の荷物を積みこむたびに緊張した。ベトナム戦争反対のデモ活動しているものが、先棒を担いでいるようで、妙な気持ちだった。が、いまでは積みやすい荷物の一つでしかなかった。
「オーライ!」「オーライ!」「オーライ!」
積み荷作業終了を確認する合図が最後尾の車両方向から、連呼して聞こえてきた。
「オーライ!」
家出君は、大声で前の車両に手を振った。
合図の声は、またたくまに最前部の車両まで伝わった。そのとたん
「発車するぞ!さがれ!さがれ!」
の叫びが返ってきた。
蒸気が白煙となってたちこめる中で紺服の機関士は赤い小旗を打ち振って怒鳴つた。
「おーい、発車するぞ!」
 突如、警笛がピィーと鳴り渡って喧騒を引き裂いた。つづいて荷物を満載した貨物列車はレールをきしませながらゆっくり動きだした。連結器のかみ合う鈍い金属音が玉突きのような連続音を響かせていった。ガシャン、ガシャン、ガシャン。重量感あふれるその響きは、凍てついた朝の空気を震えさせながらしだいに間隔を早めていく。積み荷班の連中は、ぼう然と佇んでいた。だれもかれもまるで湯上りのように体から湯気立ち上らせていた。
 誰もが汗だくだった。が、一仕事を終えた爽快感があった。作業員たちは、目の前を過ぎて行く貨物列車を見送った。ワム15829、ワラ39764、ワム1759――貨車にかかれた数時は、すぐに読み取れなくなった。十余輌編成の長い貨物列車は、さらに速度をまして、操車場のはるか前方にあるトンネルの中に吸いこまれるように消えていった。最後尾の車両が完全に見えなると、途端、構内から轟音が消えた。すべての動力エンジンが切られ、構内はまるで時間が停止したような静寂に押し包まれた。


「おーい、一服だあー」
静まり返ったホームに鬼班長の甲高い声が響いた。
鬼班長は、元、といっても二十何年か前のはなしだが、職業軍人だったと自慢するだけあって痩せて筋ばった老体ながら、その声はよく通った。皆は軍曹と呼ばっていた。
 班長の声を合図に、棒立ちに佇んでいた積み荷班の連中は、魔法が解かれたかのように一斉にホーム先端に向かって歩き出した。
「行きますか」
家出君は、なまりのある言葉で、まだ放心状態で立っている二十五番のギャンブラーに声をかけた。「おじさん、行きます」
「やれやれ、やっと休めるか」ギャンブラーは、ハンカチで禿げあがった額の汗を拭きながらため息まじりに愚痴った。「今朝は、やけにあったねえ」
「二百トン。今日は」
「ええっ、冗談でしょう」
「見てきたんです。事務所で」家出君は、笑いながら言った。彼は父親ほど年齢差がありそうなギャンブラーと気があって、からかい半分で話していた。「いまの列車なんか軽いです」
「ほんとかい、だったら休めばよかった。ああ、ついてない」
ギャンブラーは、真顔でがっくり肩を落とした。
ギャンブラーは、四十歳ぐらいで、まだそんな歳でもないのに、髪の毛はかなり薄くおまけに白いものが混じっていた。貨物駅に臨時雇用でくる人は、なかなか自分のことは話さなかったが、ギャンブラーは、こだわらない性格か、なんでも話した。昨年の秋に勤めていた印刷会社が倒産して、一時しのぎに日勤するようになったこと。家は横須賀の方にあって家族は奥さんと小学生の子供が二人いることなどあっさりと他人事のように話した。ときおり「早く、職をみつけなきゃあな」と、焦燥気味につぶやいて、皆の笑いをとっていた。まったくだらしないおじさんギャンブラーだが、映画については博学だった。
休憩時間、映画の話になると昔の映画名をあげては、さも自分が監督したような口ぶりで、解説した。ただ鉄骨が組んであるだけの殺風景の貨物駅の高い天井を見上げて
「ここの、貨物駅、好きなんだ。この景色がねパリやローマの駅に似ているんだよ」
と、さも行ってみてきたようなことを言った。
いつもは口数の少ない松宮さんだったが、こと映画に関しては饒舌で自信にあふれていた。しかし、その映画への情熱が、どこでギャンブルにすりかわってしまったのか、いまの松宮さんは、かなりの競馬狂だった。近ごろの競馬は猫も杓子も手を出すようになってつまらん、とぼやきながらも暇さえあればズボンの裏ポケットにねじこんでいる競馬新聞をひろげて熱心に見入っていた。若い三十九番がのぞきこむと
自嘲気味に笑って
「こんなものやらんほうがいいよ。おじさんみたいになっちゃうから」
と、言っていた。
 三十九番君は、十九歳と話していたが、まだ高校生のようにみえた。言葉づかいも地方から東京にきて日も浅い、そんな感じがした。だが、そのことをたずねたことはない。自分から話すのなら別だけれど、ここで他人のことなど、誰も興味がなかったし、抱いても質問しないのが常識だった。私にとってはまさに最高の隠れ家だった。
だがしかし例外もあった。奇声をあげながら追いついてきた三人組は、ここですっかり意気投合し、仲良しになっていた。作業は、たいてい三人でやっていた。
「はーい、お先に」
三人組の一人、二十七番の団が笑顔をふりまいて追い抜いた。

――――――――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.109


彼は、小さな劇団の役者だといっていた。いつもボサボサの髪に赤タオルで鉢巻していた。小太りで、愛嬌があった。つづいて小柄な高槻がシャドウボクシングしながら。そして、そのあとは、曼陀羅模様の布切れをヘアーバンドにしたヒゲの磯村が鼻歌まじりに「やあ」と一声かけて行った。三人とも二十代後半といったところだった。
「相変わらず、仲がいいね、あの三人」松宮さんは言った。「もとからじゃなくて、ここで知り合ったっていってたよね」
「そうみたいですね」
私は、軽く頷いた。
「ともだちができるっていいですね」
三十九番君は、羨ましそうにぽっつりつぶやいた。
「でも、結局は一人になっちまうよ」松宮さんは、寂しそうに笑って言った。「この年になるとね」
  

休憩場所は、引き込み線ホームの最先端にあった。休憩場所といっても粗末なベンチが二つと石油缶を半分にした吸殻入れが一つ置いてあるだけの吹きっさらしだった。が、天気がよければ日なたぼっこに最適の場所だった。風が強い日や寒い日は、タバコを吸う人だけが集るだけで、吸わない人は空貨車の中か、荷物の間で休んだ。晴天で風もない今朝は、積み荷班も積み下ろし班もみんなぞろぞろ集ってきた。南条班長と、職員、それに古参の季節のおっちゃんたちがベンチを陣取ると、その回りに若い職員や、臨職のおっちゃん連が腰をおろした。みんな一斉にタバコを吸うので、ものすごい煙りがたちこめた。
「おれ、下に行きます」 
正雄は、二人に言って線路に飛び降りた。
広い操車場のうえには、抜けるような青空がひろがっていた。遠くの塀の隙間から新幹線の白い車体が音も走っていくのが見えたが、とてもここが都会のど真ん中とは思えなかった。ラッシュアワーの時間なのに、静寂そのものだった。
「ぼくはここにするよ」
ホームの上から松宮さんが言った。
彼は、日当たりのよい柱にもたれて座って、さっそく競馬新聞をひろげていた。大学生だという四十一番さんは、正雄にちらっと手をあげたあと、ホームの先端に行って青空に向かっての背のびをした。そのあと、段ボール箱を並べてその上に寝転んだ。
正雄は、ホームの下から板切れを探しだしてレールに渡した。腰をおろすと、ようやくほっとした気持ちになった。霜が朝日を浴びてキラキラ光っていた。その光りは郷里の吊り橋の欄干の上に降り積もった霜を思い出させた。学校に行く朝、霜を人差し指でこすった。霜の粒子が空中に弾け飛んでいくのが面白かった。なつかしい気持ちになってレールの霜をさっとこすったが、霜は、もう溶けかかっていて、濡れただけだった。正雄は、冷たくなった指先を頬に押し当て温めながらホームに目をやった。
 忙中閑あり。ホームでは皆、思い思いに休んでいた。元気者の仲良し三人組は団と磯村が、喫煙組の仲間入りしてタバコをふかしていた。高槻は、一人離れたところであきもせず、シャドウボクシングをつづけていた。上体をくねらせながらのフットワークが軽快だ。本当にボクシングを習ったことがあるらしい。大男の小林は柱にもたれてうつらうつらしながらも、ときどき大あくびしていた。彼は、いつも浅黒い顔をニタニタさせて、ひとり言を言っているので、薄気味悪かった。平田は、空台車の上でぼんやりしていた。彼も、たいてい一人でいた。口数が少なく、誰かと会話しているのを見たことがなかった。それで、本当かどうかはわからなかったが、彼は現役のプロ野球選手だという噂があった。プロ野球通の高槻は真

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.109―――――――14 ―――――――――――――――――

顔でみんなに
「大洋のリリーフ投手だよ。ちょっと前まではワンちゃんキラーで有名だった。ほんとだよ」
 と、説明していた。が、団と磯村は
「だったら一軍の選手だぜ、そんなのがくるかよ。こんなとこに」
と、てんで相手にしなかった。
正雄も信じられなかった。どう見たって平田は失業中のおとなしい青年にしか見えなかった。たまに風呂場で一緒になるが、体格は、野球部の連中の方がよかった。
 自称フリーのカメラマンで株の相場師というという早川は、布団袋をベットがわりに寝転んで、週刊誌を読んでいた。ウソか、ほんとか、彼はここには痩せるために働きにきていると自慢していた。そのことを証明するような小太りの体で、上下揃いのジーンズがはちきれそうだった。彼は、いつも冗談をとばす陽気な性格だった。血色のよいてかてかした顔と、糸くずのようにちじれさせている長髪は、自称三十三という年齢より若く見えた。荷物の多い日は、彼は荷物の山を前に
「これで、痩せられるぞ」
と大張りきりするのだが、なぜかそんな日に限って、トイレにちょくちょく行った。
 ど近眼の畑野は、鉄柱に背をもたせて居眠りしていた。本人は自分のことを受験生だといっていたが、だれも信用していなかった。青白くむくんだ顔はどう見ても二十歳過ぎだったし、それに第一この季節、ここにいるのも変だった。
「だれも本気になんかしちゃあいないさ。グズラが大学を受けるなんて」
高槻は、笑って皆に話していた。
三人組は、畑野にグズラとあだ名をつけて呼んでいた。畑野は、一応受験生というだけあって、ホームの柱に英和辞典を置いていて、休憩時間には、ひろげてながめていた。今朝はよほど疲れたのか、手にしていなかった。ボサボサ髪の頭がガクンとなるたびに度の強い眼鏡の光がキラリと流れた。
 突如、爆笑が起こった。見ると、南条班長が大口を開けて笑っていた。季節のおっちゃんたちもニヤついている。猥談をしているのは想像ついた。朝、栃木や茨城から出勤してくる季節のおっちゃんたちが、よく電車の中の痴漢話しをしているからだ。
 いつも憔悴しきった顔の倉持社長も、皆より一テンポ遅れでニヤついていた。倉持社長は、下町で工場を経営しているとかいう人で、それで社長と呼ばれていた。ベンチ周辺にいる人間で一人だけ笑っていない者がいた。パチキチの須藤だった。彼は、話の輪には入らず、一人きょろきょろしていた。たぶん誰かにタバコをもらおうとしているのだろう。彼は、だれかれとなく借金を申し込むことで有名だった。はじめ三百円、貸してほしいと頼む。断わられると二百円、百円と落として、最後には、十円でもいいからというのだ。松宮さんは、二百円貸したが、なかなか返さないとボヤいていた。
 貨物駅には、いろんな人たちが働いていた。国鉄職員、荷物会社職員、荷物会社に雇われた季節のおっちゃんと臨時雇用の人連中。それに郵便列車の職員。国鉄職員は、ここでは特権階級だった。制服も靴も、荷物会社の職員より立派なものだった。
 ホームをぼんやり眺めているうちに眠くなった。正雄はうつらうつらしながら明け方みた夢をおもいだしていた。

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文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.109―――――――16 ―――――――――――――――――

速報!第7回千葉県少年柔道大会 

 9月7日(日)千葉市武道館で開催された第7回千葉県少年柔道大会に出場した土壌館下原道場の団体、個人戦の試合結果は、以下の通りです。応援の保護者の皆様には酷暑のなかご苦労様でした。また、選手諸君は、試合において、日頃の練習の大切さがわかったと思います。次の試合を目標にいっそうの稽古に励んでください。

団体戦 2回戦進出!! 監督・代表 下原敏彦

      土壌館     ×     富田道場
先鋒 : 中澤紀和選手(2)×  ―  ○米田光矢選手(2)
次鋒 : 坂本遼季選手(3)○  ―  ×      (3)
中堅 : 辻元翔太選手(4)○  ―  ×      (4)
副将 :  (5)×  ―  ○青柳元気選手(5)
大将 : 小柏駿太選手(6)○  ―  ×松本拓海選手(6)

※小柏選手が1本勝ちした相手の大将は、身長163cm、体重76kの巨漢選手でした。

     土壌館      ×    武秀館小坂道場
先鋒 : 中澤紀和選手(2)○  ―  ×生井澤貴飛選手(2)
次鋒 : 坂本遼季選手(3)×  ―  ○井坂歩夢選手 (3)
中堅 : 辻元翔太選手(4)×  ―  ○鹿糖翔吾選手 (4)
副将 :  (5)×  ―  ○岡田裕弥選手 (5)
大将 : 小柏駿太選手(6)×  ―  ○渡辺 駿選手 (6)

※小学生で体重105k、95kの超重量級相手でしたが、よく戦いました。

個人戦

2学年 : 中澤紀和選手 2回戦進出 惜敗でした。背負いを。

3学年 : 坂本遼季選手 1回戦 よく頑張りました。背負いを練習。

4学年 : 辻元翔太選手 1回戦 頑張りました。積極的な技が。

4学年 : 三好弘将選手 1回戦 頑張りました。

6学年 : 小柏駿太選手 2回戦 惜敗でした。腰技をよく練習しよう。
       
6学年 : 柳下 誠選手 1回戦 頑張りました。

6学年 : 青柳尚慈選手 1回戦 よく頑張りました。

講評 試合前後の礼は、だいたいできていたと思います。試合は、決定的な技がでなかった。足技の他、背負いや腰を使った大技をしっかり練習しましょう。
審判・辻村英紀先生(第7会場担当)
  

後藤辰巳選手は、体調不良のため欠場しました。次期大会で頑張ってください。

SF 人間や宇宙の謎を空想で解明してみよう。

収穫

 時間と距離のある世界では、長い旅の終わりに、というべきか。私たちは、少しも苦にはならないが、物質的には、相当な時間と距離とを積み重ねて、ようやくに、この惑星に着いた。ここは、大銀河の辺境である。これより先は、何もない無である。この小天体は、その命である恒星は、まだ燃え尽きてはいなかったが、私たちの目的の惑星は終焉を迎えようとしていた。この小天体でただ一つ有機体が存在した星。何億年、孤独の中で生きてきた星。

日本大学番外地

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