文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.113

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日本大学芸術学部文芸学科     2008年(平成20年)10月27日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.113
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2008後期9/22 9/29 10/6 10/20 10/27 11/10 11/17 12/1 12/8 
12/15 1/19 1/26 
  
2008年、読書と創作の旅

10・27下原ゼミ

10月27日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2

 1.出欠・連絡事項・課題提出・課題配布

 2.課題・尾道幼女誘拐事件二審
    
 3.世界名作読み・家族観察『 にんじん』
 
  4.課題・『灰色の月』 & 時代観察(幕末の江戸)
     
 
車窓・外来種 
 テレビを見ていたら、西の方の町で外来種を退治するというニュースがあった。その外来種はアルゼンチンアリというハチ目アリ科に分類されるアリで、体長2.5mm、体高1.6mmと小さいが繁殖力、攻撃性が強く、たちまち蔓延するという。1993年に広島ではじめて発見された。輸入木材についてきたようだ。このアリはスピードも速く、土着のアリは短期間のうちに根絶された。人間を含む他生物の巣に侵入しその住人を襲う。世界の侵略的外来種ワースト100選定種である。天敵もいないし駆除しても根絶やしは難しそうだ。早晩、日本のアリは絶滅するだろう。アリばかりではない川には、ブラックバス、陸にはアライグマ、ヌートリア。22日の朝のテレビではウオーターレタスという水草繁殖被害の話題もあった。恐るべきは、外来種である。そんなことを思って見ていたら眠ってしまった。
 あるとき私は、彼らを連れて大銀河のはずれにある、この惑星にきた。水がある美しい星ということで調査にきたのだ。有機体成長の三原則は充分だった。酸素よし、水分よし、光りと温度よし。弱肉強食はあるが多くの生命体が関連してこの有機体惑星の調和を保っていた。幸い近くに似た星はない。このままにして置こう。私たちは、そう結論した。
 出発時に、警報がでた。私の手足となっていた有機体数体が不明。密林で迷ったか、逃亡したか。が、あまり心配しなかった。彼らでは、この惑星では生き残れない。彼らのひ弱さ、やがてくる氷河時代。病の微生物。彼らの生存確率は、0.00%と限りなく些少。この星にとって異物である彼らは必ずや自然に排除される。だが、私は不安を感じた。彼らの攻撃性、創造性、狡猾性を恐れた。杞憂だと誰かが笑った。「歯を磨き、ものを考える有機体は存在できない。この星は、多様な生命体から成り立つ一つの総合有機体だ」私は納得しこの星を去った。あるとき、私は彼らのことを思い出した。もしや、まだ生き延びている。そんな予感がした。私は、再び辺境のこの星にきた。大気汚染、温暖化。美しかった星は、汚れきっていた。原因は、あのとき不明になった有機体だった。星一面蔓延っていた。(編集室)

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.113―――――――― 2 ――――――――――――――

車窓雑記

ロス疑惑事件とは何か
 
 通称「ロス疑惑事件」とは何か。今年2月22日サイパンで米当局が容疑者の身柄を拘束したことで、再びマスメディアを賑わわせた。そして、今月10日、移送先のロス市警で突然の終幕。「2008年の旅」途中の皆さんには殆どどんな事件かわからないに違いない。
 この事件が起きたのは1981年、皆さんは、影も形もなかった。もしかして小黒君は生まれていたかも? とにかく28年も前の遠い昔の事件である。世間の注目度から、どのような大事件かと思うところだ。が、連続殺人でも猟奇殺人事件でもない。被害者は、容疑者の妻1人。旅行中に妻が物取りに襲われて死亡した。それが保険金殺人ではないかと疑われた。現代では、ありふれた事件といえる。それが、何ゆえにこのような騒動になっているのか。ひとえに容疑者の特異な性格にある。平凡な保険金殺人疑惑の犯罪事件だが、容疑者の功績は、これを劇場型にしたことである。容疑者は、よくしゃべり、よく動き、よく訴えた。おまけに怪しげなクラブの会員という人物。事件が起きたことで、米国を手玉にとり、マスメディアを利用した。裁判では疑わしきは罰せずを逆手にとって、名誉毀損判決を次々勝ち取った。この容疑者のおかげで、多くのレポーターやコメンティターが生まれ、いまでも活躍している。写真雑誌フォーカスが売れたのもこのころか ? 容疑者の周辺で起きた騒動と事件を簡単に紹介すると、およそこのようである。
・ロスの砂漠地帯で、発見されたゴミ袋に入れられた腐乱女性死体は、歯型から容疑者と同
 棲していた女性と判明。
・1981年 8月、容疑者の妻がロス市内のホテルで何者かに襲われ後頭部を負傷。
・1981年11月、その妻がロス市内の駐車場で銃撃を受ける。容疑者も足を撃たれ入院す
 るが、ニュース撮影時、容疑者はなぜか上半身裸になって涙ながらに訴える。
・容疑者、犯罪責任は、米政府に有ると非難。医師の反対を押し切って重体の妻を米軍の特
 別機で日本に搬送。ニュース「悲劇の夫」を大々的に伝える。妻死亡。
 容疑者、再婚。阿佐ヶ谷の方に一戸建て購入。マスコミ連日押しかける。著書『不透明な
 時』を出版。家族でロンドン旅行。マスコミも一緒。
・1985年、容疑者の愛人、元女優が、ロスホテルでの妻襲撃告白。殺人未遂罪で逮捕。
・1987年、殺人未遂罪共犯で懲役6年の実刑判決。この間、再婚妻、毎日、面会でファッ
 ションが話題になる。週刊誌、毎週掲載。
・1994年、保険金疑惑妻銃撃事件に、東京地裁、無期懲役の判決。
・2003年、保険金疑惑妻銃撃事件に、最高裁、無罪判決。疑わしきは罰せず。
 以後、万引きなどでときどき話題。
・2008年、観光旅行先のサイパン島で米当局に拘束される。
 なんとも、騒々しい半生を送った容疑者である。彼はなぜ、このような劇場型の人間になったのか。それを解明するには、子供時代をみる必要がある。容疑者は61歳とあるから1947年頃の生まれ。当初、彼の出生はあいまいだった。彼の叔母は、映画界の大物女プロデューサーである。テレビがはじまったころは、NHKのレギュラー出演者として人気あった。容姿が似ていることから、彼女の子供かも知れないという噂が絶えなかったという。日活撮影所にも、遊びにきていたらしい。映画の「少年ケニヤ」でワタル少年役になったこともあるという。出入りの俳優たちから、お小遣いをもらっていたという証言もある。スポットライトを浴びることが、癖になってしまったようだ。高校生になってから、火事通報者として、たびたび表彰された。が、後でマッチポンプと判明。善意の輸血運動で新聞に載ったこともある。これも自作自演の疑いがもたれた。常に誰かの、みんなの注目を集めていたい。その欲望が高じて嗜癖となった。犯罪現場に登場する疑惑人生。真相は知らないが、皮肉なことに幕引きも自殺、他殺、事故死疑惑となった。 (編集室)

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2008年、読書と創作の旅

後期「2008年、読書と創作の旅」

10月27日ゼミ・プログラム

はじめに  → 出欠、「ゼミ通信」、課題テキスト配布、連絡事項、その他
         
司会進行決め  →  (16名一巡しました。二度目になります)

司会者進行

1.ゼミ誌作成に関する報告、原稿集め、予定  
 (川端・大野編集長、小黒副編集長、坂本・瀧澤・橋本・飯島編集委員から)    

2.配布課題テキストの説明・(編集室から)

 『范の犯罪』から被告人・范への告訴、弁護、量刑

3.再審・尾道幼女誘拐事件公判(11~17頁掲載の初審、二審判決を報告しながら)
 妥当な量刑を決めて結審する。

4. 世界文学名作読み 
 ジュール・ルナール(1864-1910)『にんじん』訳・窪田般彌(くぼたはんや)
 前回ゼミのつづきを読む。「尿瓶」「うさぎ」「鶴嘴」「猟銃」「もぐら」
 
考察 → これら作品の中から母親とにんじん、兄姉とにんじん、父親の存在を考えてみる。

・「尿瓶」 → 母親のにんじんに対する行為について、

・「うさぎ」 → にんじんの気持は本当か 

・「鶴嘴」 → 皆の兄と弟へのいたわりの違い

・「猟銃」 → 兄と弟の関係は普通か

・「もぐら」 → にんじんは残酷か

5.課題発表・『灰色の月』

『灰色の月』、この作品は、昭和21年(1946)1月1日発行の『世界』創刊号に発表された。
【続々創作余談】には、『灰色の月』はあの通りの経験をした。あの場合、その子供をどうしてやったらいいか、仮に自家へ連れて来ても、自家の者だけでも足りない食料で、又、自身を考えても程度こそ違うが、既に軽い栄養失調にかかっているときで、どうすることもできなかった。まったくひどい時代だった。


文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.113 ――――――――4 ――――――――――――――――

灰色の月
志賀直哉

 東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。連れの二人は先に来た上野まわりに乗り、あとは一人、品川まわりを待った。
 薄曇りのした空から灰色の月が日本橋側の焼跡をぼんやり照らしていた。月は十日位か、低くそれに何故か近く見えた。八時半頃だが、人が少なく、広い歩廊が一層広く感じられた。
 遠く電車のヘッドライトが見え、暫くすると不意に近づいて来た。車内はそれ程込んでいず、私は反対側の入口近くに腰かける事が出来た。右に五十近いもんぺ姿の女がいた。左には少年工と思われる十七八歳の子供が私の方を背にし、座席の端の袖板がないので、入口の方へ真横を向いて腰かけていた。その子供の顔は入って来た時、一寸見たが、眼をつぶり、口はだらしなく開けたまま、上体を前後に大きくゆすっていた。それはゆすっているのではなく、身体が前に倒れる、それを起こす、又倒れる、それを繰返しているのだ。居眠りにしては連続的なのが不気味に感じられた。私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけていた。有楽町、新橋では大分込んで来た。買出しの帰りらしい人も何人かいた。二十五六の血色のいい丸顔の若者が背負って来た特別大きなリックサックを少年工の横に置き、腰掛に着けて、それにまたぐようにして立っていた。その後ろから、これもリックサックを背負った四十位の男が人に押されながら、前の若者を覗くようにして、
「載せてもかまいませんか」と云い、返事を待たず、背中の荷を下ろしにかかった。
「待って下さい。載せられると困るものがあるんです」若者は自分の荷を庇うようにして男の方へ振り返った。
「そうですか、済みませんでした」男は一寸網棚を見上げたが、載せられそうにないので、狭い所で身体をひねり、それを又背負ってしまった。
 若者は気の毒に思ったらしく、私と少年工の間に荷を半分かけて置こうと云ったが、
「いいんですよ。そんなに重くないんですよ。邪魔になるからね。おろそうと思ったが、いいんですよ」そう云って男は軽く頭を下げた。見ていて、私は気持よく思った。一頃とは人の気持も大分変わってきたと思った。
 浜松町、それから品川に来て、降りる人もあったが、乗る人の方が多かった。少年工はその中でも依然身体を大きくゆすっていた。
「まあ、なんて面をしてやがんだ」という声がした。それを云ったのは会社員というような四、五人の一人だった。連れの皆も一緒に笑いだした。私からは少年工の顔は見えなかった
が、会社員の云いかたが可笑しかったし、少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。車内
には一寸快活な空気が出来た。その時、丸顔の若者はうしろの男を顧み、指先で自分の胃の所を叩きながら、「一寸手前ですよ」と小声で云った。
男は一寸驚いた風で、黙って少年工を見ていたが、「そうですか」と云った。
笑った仲間も少し変に思ったらしく、
「病気かな」
「酔ってるんじゃないのか」
こんなことを云っていたが、一人が、
「そうじゃないらしいよ」と云い、それで皆にも通じたらしく、急に黙ってしまった。
 地の悪い工員服の肩は破れ、裏から手拭でつぎが当ててある。後前に被った戦闘帽のひさしの下のよごれた細い首筋が淋しかった。少年工は身体をゆすらなくなった。そして、窓と入口の間にある一尺程の板張りにしきりに頬を擦りつけていた。その様子が如何にも子供ら
しく、ぼんやりした頭で板張りを誰かに仮想し、甘えているのだという風に思われた。
「オイ」前に立っていた大きな男が少年工の肩に手をかけ、「何処まで行くんだ」と訊いた。

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少年工は返事をしなかったが、又同じ事を云われ、
「上野へ行くんだ」と物憂さそうに答えた。
「そりゃあ、いけねぇ、あべこべに乗っちゃったよ。こりゃあ渋谷の方へ行く電車だ」
 少年工は身体を起こし、窓外を見ようとした時、重心を失い、いきなり、私に寄りかかってきた。それは不意だったが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思うのだが、その時ほとんど反射的に寄りかかってきた少年工の身体を肩で突返した。これは私の気持を全く裏切った動作で、自分でも驚いたが、その寄りかかられた時の少年工の抵抗が余りに少なかった事で一層気の毒な想いをした。私の体重は今、十三貫二三百匁に減っているが、少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。
「東京駅でいたから、乗越して来たんだ。―― 何処から乗ったんだ」私はうしろから訊いて見た。少年工はむこうを向いたまま、
「渋谷から乗った」と云った。誰か、
「渋谷からじゃ一回りしちゃったよ」と云う者があった。
少年工は硝子に額をつけ、窓外を見ようとしたが、直ぐやめて、漸く聞きとれる低い声で、
「どうでも、かまはねえや」と云った。
少年工のこのひとり言は後まで私の心に残った。
 近くの乗客たちも、もう少年工の事には触れなかった。どうすることも出来ないと思うのだろう。私もその一人で、どうすることも出来ない気持だった。弁当でも持っていれば自身の気休めにやることも出来るが、金をやったところで、昼間でも駄目かも知れず、まして夜九時では食い物など得るあてはなかった。暗澹たる気持のまま渋谷駅で電車を降りた。
 昭和二十年十月十六日の事である。
                   (『志賀直哉全集』を現代読みに・編集室)
 
 『灰色の月』は400字詰め原稿用紙にして僅か6、7枚の作品である。見方によれば、エッセイのような小説とも呼べない小話である。だがしかし、この作品は、数百枚の作品以上の重みや憤怒を潜ましている。時代の声を訴えている。そこに、この作品の普遍性と名作といわれる所以がある。
 たんに面白いだけの小説、昨今流行の感動もの。それらはどんなにベストセラーであったても時代の流れとともに消え去るだけ。『網走まで』や『灰色の月』は、何の変哲もない短編。だが、両作品とも文学の手本として、こうして読み継がれている。
 課題は、そのあたりを考えてもらいました。

課題発表

1.車中で.飢え死にしそうな少年が、あなたの隣りにいたら

小黒貴之

 彼の行動は咄嗟の反射であって意識のなしたものではないと思える。潜在的には少年をどれだけ忌避していたのかもしれない ―― 自分だったら ? 多分そのときの心模様しだいだろう。手を差しのべることもあるかもしれないが、舌打ちして身をさけることも十分考えられる。


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臼杵友之

 主人公自身が、自分の事で手一杯なら同じ行動をとったかも知れない。

飯島優季

  たぶん何もしないと思う。なぜなら、何かしら行動しても、それは全て気休めでしかな
 かったり、欺瞞でしかないような気がするので、それがブレーキとなって何も行動には移
 せないと思う。

2.この作品は、当時、作者批判の材料にされたが、あなたの感想は

小黒貴之

 批判される材料になるということ自体がうまく理解できない。少年に肩をかしてやれなかったことに咎があるのだとすれば、、それは人間の理性や知性とやらを過剰評価・期待しすぎるというものだろう。現代文明の不幸は肉体も心も知識で制御できると過信したことにある。

臼杵友之

  時代に取り残された少年と、現在を生きる人々とを作品の中で対峙させた反社会的な1
 本であると思う。

飯島優季

  時に作者の何を批判するということはない。

3.『網走まで』と『灰色の月』との間には37年間の歳月がある。
 
小黒貴之 

○ 車内から時代を読みとることができるか
  「―一頃とは人の気持も~」など終戦を迎えてしばらくたったのがうかがえる。
○『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか
 予見という言葉が相応しいかわかりかねるが、人間の動作の機微から人間の本質をうかが
 うというスタイルは共通しているといえよう。いうならば『網走まで』は37年前に書か
 れたある日記の1ページとみれるのではなかろうか。

臼杵友之

○ 車内から時代を読みとることができるか
  少年の行動から"笑い"と"不安"を感じ取った。まだら模様の心情を人々は抱いている。
○『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか
  わからない ?

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飯島優季

○ 車内から時代を読みとることができるか
  少年工の存在から、少しは読み取れる。
○『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか
  『網走まで』の内容を、もうほとんどうろ覚えなので、何とも言えないが、この『灰色
 の月』を読んでも『網走まで』の内容を思い出したりすることがなかったので、そこまで
 予見しているとは思えない。

小林多喜二と志賀直哉

 本通信でも、何度か取り上げ新聞コピーも配布したが、昨年あたりからか小林多喜二の『蟹工船』がよく読まれている。なぜいま、読まれているのか。ワーキングプア、若者たちの貧困が要因の一つにあげられている。早い話、政治の無策が、読ませているといえる。それほどに小林多喜二の作品は、現実社会を的確に捉え、反映しているのかも知れない。
 完璧なまでのプロレタリア作家・小林多喜二と、貴族趣味作家と揶揄される志賀直哉。両作家は、対極にあると見える。が、両者は、お互いを理解し、尊敬しあっていた。多喜二(29)は、昭和8年(1933)2月20日東京築地署で特高警察により拷問死させられた。歴史に「たら、ねば」はないが、もし戦後まで生き、『灰色の月』を読んだら、どんな感想をもっただろうか。おそらく、すぐに直哉の家に駆けつけ、「はじめて文学の真髄がわかりました」と熱く文学談議するに違いない。両雄相識る。志賀直哉は、昭和43年、『小林多喜二全集』の推薦を書くにあたり、こんな文を寄せている。

 人柄については真面目で、立派な人だと思う。あんなふうに死んだのはそんなことがなければ今でも生きていて、自由に仕事が出来たのにと思うと非常に残念な気がする。

 志賀直哉の悔しさが滲む一文である。『灰色の月』を一番読んでもらいたかった人間、それは小林多喜二だった。編集室はそのように想像している。
 昭和6年(1931)11月、小林多喜二(28)は、奈良に住む志賀直哉(48)を訪ねた。我孫子時代から度々手紙をやりとりしていた。二人は一晩、旧知の友のように親しく語り明かした。
 なぜ、ガチガチの新進気鋭プロレタリア作家、小林は、優雅な貴族的作家の志賀直哉を訪ねたのか。度々、手紙をだしていたのか。親友のように語り明かしたのか。おそらくプロレタリア作家という衣の奥に、真の文学の炎が燃えていた。それが向かわせた。社会の現状を憂い嘆いて糾弾する。それも文学。だが、本当の文学は違う。多喜二には、そのことが薄々わかっていたに違いない。『網走まで』は、文字通り網走、でないことがわかっていたのだ。美しき明治の奥に潜む暗部。日本という列車は、その闇に向かって走っている。網走を過ぎれば次は奉天。列車は満州鉄道の壮大な大陸をひた走る。そうして、その先には、想像もつかない終着駅が待っていた。ヒロシマ、ナガサキという駅が。多喜二は読み解いたからこそ、玉座の直哉を訪ねたのだ。20歳も年下の文学革命青年。だが、直哉は彼の中に本物の文学の炎を見た。だからこそ惜しんで、やさしく諭した。早く、その衣を脱ぎなさい、と。しかし、時は待ってはくれない。多喜二は、その姿がわからないほどに叩かれ殴られ虐殺された。「小説を書いただけで殺された」多喜二の母の嘆きに直哉は悔やみの手紙をしたためるしかなかった。夏目漱石『三四郎』の同席者は、日本は「滅びるね」と言った。『網走まで』から37年。灰色の月の下の東京は廃墟と化し、走る山の手電車の車両のなかでは、乗客の少年が飢えて死のうとしている。こんな国に誰がした。『灰色の月』から志賀直哉の静かな怒りが聞こえてくる。文学は表層ではない。多喜二にそう諭したはず。が、直哉の怒りは次第に大きくなった。稚拙、とち狂った。直哉は、そんな嘲笑をよそに「銅像」を発表した。まるで多喜二や嘉納治五郎師範に手向ける敵討ちのように。(編集室)

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.113―――――――― 8 ――――――――――――――――

『灰色の月』関連批評

 私が発行している「読書会通信」の読者で「ドストエーフスキイ全作品を読む会」の会員でもある、エッセイストの藤原栄子さんが、『灰色の月』について、こんな評を寄せているので紹介します。1991・3・1篠原セミナー会報「交差点」第13号より抜粋 

志賀直哉のもう一つの魅力

~『灰色の月』をめぐって~
藤原栄子
 志賀直哉に『灰色の月』という、文庫本でたった4頁の作品がある。発表当時の世評はかんばしくなく、太宰治などは「この作品には、少年に対するシンパシーは少しもない。つっぱなして愛情を感ぜしめようという、古くからの俗な手法を用いているらしいが、それは失敗である」と手厳しい。
 この作品は、志賀直哉の戦後第一作で、終戦直後、作者が電車のなかで餓死しかかっている子供を見た体験をもとに書いたものである。太宰の発言には、私怨のようなものが含まれているので割り引いて考えるとしても、作者自身、「私がこの子供の為に何もしなかった事を非難した人が何人かあった」とわざわざ続々創作余談に書いているところをみても、この種の非難がかなりあったことはうかがえる。果たして『灰色の月』は非難されるような作品なのだろうか。
・・・・・・・・・・ 作品あらすじ 略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 草稿と照らし合わせてみると、草稿に書かれて、いかにも可哀想とか、どうか出来ないものか、などといった私の感情を表す言葉は省かれ、変わりに少年の哀れさを浮き立たせるように工夫していることがわかる。非難の的になった突返す場面では特に入念に推敲している。また、私の気持は妙に疲れていた、などという弁解がましい言葉は一切のぞかれている。題名も『灰色の月』に落ち着くまで、白い月、白いつき、しろいつき、と模索した様子がみられ、敗戦直後の暗い、灰色の時代を象徴しようと苦心したのがわかる。つまり、作者は、少年に対するシンパシーを持っていなかったどころかその対極にあり、自分の問題にとどめず少年の事件を客体化させ普遍的社会問題として提起したのだった。
 続々創作余談をみると、「あの場合、その子供をどうしてやったらいいか、仮に自家へ連れて来ても、自家の者だけでも足りない食料で、又、自身を考えても程度こそ違うが、既に軽い栄養失調にかかっているときで、どうすることもできなかった。まったくひどい時代だった。」とある。少年の事件は、少年に対するシンパシーがないとか、なぜ何もしてやらなかったのか、などという問題をはるかに超えていることを、現代を生きる人間は知っている。
 志賀直哉は社会を書かなかったとよくいわれる。たしかに、宮本百合子とか小林多喜二のように社会は書かなかった。しかし『灰色の月』では敗戦直後の社会の一断面を切り取ってみせ、戦争という不条理に対して、なすすべもない、人間のやるせなさを描いてみせた。
・・・・・・略・・・・・・人間が社会の不条理に立ち向かうとき、どのようになるか、作者は『小僧の神様』で既に知った。『灰色の月』では暗澹たる気持に沈まざるを得ない。薄墨色のスチール写真をみるように、灰色の月が鈍く照らす夜の帳の中で、車内のひとこまひとこまが、印象深く読者の脳裏に焼き付けられていく。・・・・略・・・・・・・・・・
 彼の強烈な自我をもってしてもどうにもならない、社会不条理を前に立ちすくむ志賀直哉、社会の底辺にあって、必死に生きる人間、巨大な時代のうねりの中に呑み込まれていく人々、これらの姿を描いた志賀直哉の世界も、魅力の一つなのではあるまいか。

※ 【不幸な出来事を前になにもしない作品】 芭蕉の『野ざらし紀行』でも冒頭、富士川のほとりで捨子が泣いているのに出会う。作品では「袂より食物なげてとをるに」とあるが、本当にそれだけか ? 実際は、捨て子を拾って役所に届けたと思いたい。

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土壌館ニュース(10・20ゼミ報告)

後期4日目は、順調の旅路

参加者は14名、2名欠席でした。

司会進行は、神田泰祐さん
 
 司会が一巡しました。どことなく風の又三郎のイメージをたたえる神田さんが大トリでした。今度からは2階目になりますが、16名の人数なので再指名できない人もあります。ご容赦ください。合同研究発表のときに、何かをと考えています。

参加者紹介(敬称・順番略)
 
阪本義明、 大野菜摘、 川端里佳、 本名友子、 長沼知子、 大谷理恵、
瀧澤亮佑、 秋山有香、 田山千夏子、橋本祥大、 小黒貴之、 神田泰祐
臼杵友之  飯島優季  

1.ゼミ誌作成経過報告 編集委員

 ・川端編集長 → 原稿は、順調に集まっています。
 ・小黒副編集委員 → 10月20日現在、11名から原稿が寄せられている。
            来週というか26日までに橋本編集委員の方に。ワードで。
 ・橋本編集委員 → 補足、名前を忘れないで。書式なし。テキストで。
          
 サイズについて、候補
      文   行             文   行
サ1 →  40   17      サ6  →  47   17 
サ2 →  41   16      サ7  →  50   20
サ3 →  52   18      サ8  →  52   18
サ4 →  49   18
サ5 →  47   18

サ1、サ2、サ6が候補にあがる。編集長より、決定は編集委員でとの提案。了承。

 ・田山編集委員 → 出来上がった表紙カラー見本をみせる。
 ・小黒副編集長 → 添削、校正は、他人がチェックした方がよいのでは。担当を決めな
           いでできる人、手の空いた人にコツコツやってもらいたい。
「・・・」→「......」  漢数字   ダッシュは二つ  ? は一字空けて  
「行く」は統一して 11月10日までに校正を。

2.観察原稿読みと感想

家族観察・小黒貴之「父よ母よケロヨンよ ! 」
 マンガの映画化『20世紀少年』をめぐって家族間の新密度が伝わってくる。登場人物のあだ名「ケロヨン」から、父親の思い出と体験。そして作者自身の現在に繫がる。世の中は、いろんなところで関係している。不思議な因縁を思う。
・作者らしい文体  ・他人の家族の会話をはじめて聞いた   ・いい家族

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.113―――――――10 ―――――――――――――――――

車中観察・小黒貴之「さみしき缶けり」
 車中での靴観察。何かの推理小説にあったが、靴でその人の経済度をチェックできるとか。車中では、驚くほど高額・高級靴は見かけない。そうした人種はハイヤーなどの送り迎えがある。ちなみに編集室の私はスパーで3000円前後を目安に選んでいる。このあいだ2000円で、履き易い靴があった。散歩には、その靴をずっと履いているのでボロボロ。
 缶けりは、子供のころの遊びの一つ。山国の集落だが、暗くなるまで遊んだ。若者が、その遊びに興じているのが、懐かしい。いま道場に来る子供たちは、皆で遊ぶということを知らない。先日も、ただふざけあっているので「ダルマさんごっこ」をやったら教えたところ、夢中になって遊んでいたが、後日、誰かがやろうといっても「面白くない」そんな声があがって、ふざけあっていた。リクルートスーツの若者たちは、社会に出る前、子供に帰った。
・車中観察なのに、車中光景が少ない。  
・靴の男女別があったらよかった。(色で、それとなく分けたつもり=作者)
・話が靴、リクルートスーツと缶けりに分かれているが。(二つの話を繋いだ)
・「ポコペン」は。(缶けり用語)

余談 ケロヨンから「けろっぴー」の話題で、作者がカエルを飼っていることがわかりました。珍しい輸入カエルを十数匹飼っているとのことです。
 実は、編集室の私も、最近ですがカエル(ヒキガエル=ガマガエル)を飼っていたことがあります。そのことを新聞に投書したところ、反響があり、カエル愛好家から、愛玩ガエルの手紙や写真、そのカエルを歌ったCDまで送ってもらい吃驚しました。
以下、朝日新聞『声』欄の投稿記事2006年3月19日・7月28日付けと送られてきたCD。

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提出課題・擬似裁判結審

志賀直哉『兒を盗む話』初出 大正3年4月『白樺』
 この作品を「尾道幼女誘拐事件」としてみて考えてみます。擬似裁判で判決を下してください。文芸研究なので専門の法律的にではなく、自分自身の感受性で考えください。狙いは、作品を読み込むこと、来年からはじまる裁判員制度を知ることです。

幼女誘拐事件・犯人の自白調書
 私は五つになるその女の子を盗んだ。しかし三日目にもうあらわれて、巡査が二人と探偵らしき男が一人と、その後ろに色の浅黒い肉のしまった四十ばかりのその子の母親と、これだけが前の急な坂を登ってくるのを見たときには私は、苦笑した。そして赤面した。
 が、私はちょっと迷った。やはりできるだけの抵抗はやってみろ。いまもし素直に渡してしまうくらいなら最初からこんなことはしなくてもよかった。こう思うと急いで部屋の隅の行李(こうり)からから出刃包丁をだして、それを逆手ににぎって部屋の中に立った。そのとき女の子は次の三畳間でぐっすり寝込んでいた。
 しかし私は結局、出刃包丁を振り回すことはしえなかった。その気になれない。実際それほどの感情は出刃包丁をだすときから自分にはなかったのである。そして私は尋常に縄にかかった。女の子はそのまま母親に連れられていった。
 警察署での訊問は感嘆だった。私はその女の子がどんなことを申し立てたか聞きたかったが、これは知ることができなかった。
 翌日、私はそこから汽車で3時間ばかりかかる県庁所在地の地方裁判所へ回された。それから3日目に私は法廷へ引き出された。そのときは私の経歴でも、仕事でも、また血統でももう大概向かうで調べてしまったらしかった。その結果は裁判官は、私は気違いと鑑定したらしかった。私は、初めの調べと一緒に健康診断を受けることになっていた。審問に対しては私は、なるべく簡単な答えで済まそうと務めた。
 裁判官は、繰り返し繰り返し私の盗んだ目的を聞いたが、私は同じこときり答えなかった。
「可愛く思ったからです。貰(もら)いたいといっても、もらえないと思ったからです」といった。
 若い医者も色々と聞いた。私は聞かれることだけにただ簡単な返事をした。
 医者は、気違いではないといった。ただよほど烈しい神経衰弱にかかっていると報告した。
「烈しい神経衰弱というものが、こんな非常識なことをさせるものですか」と裁判官が聞いた。
「もちろん、いくらもあることです」
 こういう二人の問答からも、またいったいに裁判官や医者やその他の人々までも私に好意を持っているということが感じられた。少なくも普通の罪人に対するとはよほど変わった心持で調べているということがわかった。事件そのものに露骨な目的を持っていないこと、私にまったく悪びれた様子のないこと、それらが皆に好意を持たしたらしかった。
 私は裁判の結果を想像した。私は法律のことは知らなかった。しかしよく新聞などで見る示談とか、刑の執行猶予とか、そんなことだろうと思った。
 東京からは誰が来るか。父が来るか、叔父が来るか、それとも友達が来てくれるか。誰にしろ、この結果はきっと、そんなことにしてくれるだろうと思った。私はにぎっていた出刃包丁をついに振り回す気になれなかったように、この出来事もそれだけの結果で終わるだろうと思うと、罪せられるのを望むのではないが呆気ない気がした。
 東京を出る二ヶ月ほど前のことだった。私は私の最も親しい友達の一人と仲たがいをした。同時に私はある若い美しい女を恋した。
 初めてその女と会って1時間しないうちに私は珍しく何年ぶりで、甘ったるい恋するような心持になってきた。それは女が私に好意を持っていると思い込んだのも一つの力だった。


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その席には親しい友達が3人いた。なかでも一番仲のよかった一人が、私のその心持を見ぬくことから、快くない気持の上の悪戯を私に仕掛けた。私はそれでその友に腹を立った。   その女を恋する心持とその友を憎む心持とが私の胸で燃えあがった。たんちょうな日を続けていた私にはそれがいい心持だった。
 私は三四日して一人でその女に会いに出かけた。私はそのとき美しいイリュージョン(幻影)を作っていった。ところがそれはその場で1時間しないうちに見事に打ち崩されてし

まった。苦しいが涼しいような快感があった。
 私は間もなくまた別の美しい女に出合った。美しい肉体をしてコケティツシな表情を持った女だった。ソーダー水に氷を入れて、それを電燈に透かしながら振ると風鈴のようないい音がする。女はそんなことをしながら度々それへ美しい唇をつける。そして仕舞いに飲み干す。で、酔えばいっそう美しくなった。襟から頬へかけていっそうに白くなった。それよりも眼が美しくなった。唇もいい色になる。だんだん調子が浮気っぽくなる。これも人を惹きつけた。
 私はこの女をとても補足しがたい奴と一人決めていた。私は三四度続けてあった。すると、案外補足しがたいという気がしなくなった。しかし結局は前の女でしたことを再びこの女で繰り返したに過ぎなかった。私はまた単調な生活に帰ってしまった。もう仲たがいした友達に対してもそれほどの怒りは感じられなくなった。何となくいらいらしながら物足らない心持で一日一日を無為に過ごしていた。(以下完成作品冒頭に続く)

(発表時の末尾)
 翌朝ぼんやりと障子の硝子越しに前の景色を見ている時だった。巡査や女の子の母親が前の坂道をこの方を見い見い登ってきた。母親は興奮からか恐ろしい顔をしていた。私には逃げようという気は少しも起こらなかった。私は赤面した。そして苦笑した。私はしまいまで進ませた出来事を途中で笑い出すようなことはことはしたくないと思った。私は出刃包丁を持ち出した。しかし、かって人の顔(あるいは犬でも馬でも)を真正面から殴った経験のない私には出刃包丁を逆手ににぎったものの、それで身がまえする気にはなれなかった。私は恐ろしく平凡な姿勢で出刃を持ったまま突立っていた。
 母親と女の子は抱き合って泣いた。母親は泣きながら激しく私を罵った。私は黙って立っていた。母親は娘を抱いたまま私の後ろにへきて、私の背中をドンと強く突いた。巡査がしきりとそれをなだめた。
 私は警察へ曳かれた。それからの経験は総て初めての経験であるが、私は学校時代に何かでこんな経験をしたような気がした。
  
 私には気違いじみた気分は少しもない。しかし裁判官がそれに近いものと解しようとするのを反対する気はない。
 私は多分近日許されてここをでるだろうと思う。それから私はどこへ行こう?やはり東京へ帰るより仕方がなさそうだ。もうあの町に行くこしはできない。東京へ帰らないとすれば、どうするだろう。私はまた同じような生活に落ちていかなければ幸せである。もし同じ生活が繰り返ってくれば私は今度は、更に容易に同じようなことを起こし兼ねないという気がするから・・・・・・・・女の子はどうしているだろう?

以上が、逮捕後、犯人が話した事件の動機・事件の推移・事件の顛末である。

【事件のあらまし】男が寂しさから通いつけの按摩の幼女を、買物途中の母親の目を盗み、言葉巧みに誘拐し、2日間連れ回したり、自宅に監禁した。幼女が帰りたいと泣いても無視した。動機不明。猥褻か、身代金目的でもないようだ。神経衰弱によるものか。


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尾道幼女誘拐事件に関する審議

 本件の初審・二審における各裁判員の判決及び量刑は、以下の通りでした。本日、審議して有罪・無罪を決めて結審してください。なお、有罪ならば、量刑を出してください。

秋山有香裁判員 → 「有罪です」 量刑は、5年くらい

■ 初審では、長ければ長いほどよい。再審では、5年くらい。
□ 理由は、精神衰弱からの行動だったことは考慮するが、被害者家族の心の傷は、言葉に
  しがたい。特にこの幼い女の子には深いトラウマになるだろう。よって、上記のような
  量刑を科す。
弁護すれば
 彼(被告人)は東京ぐらしをしていたときに言われた父の心ない言葉によって家を追われた。新しい土地に移って、初めは気持も違い心持もよかったが、慣れない生活にだんだんと身体がついていかなくなってしまった。頭が重く、肩が凝り毎晩のように魘され、やがて、それは被告人の精神も蝕んでいった。何をしてもよくならない身体の具合。仕事も上手くゆかない。これでは気分も沈むだろう。
 しかし彼は、これではいけないと考え、旅に出ている。自分でなんとかしようと努力しているのだ。けれどこの旅は、彼の精神を治すということにはつながらなかった。それ程までに彼の精神は蝕まれていたということだろう。
 こんな、話す相手もいない孤独な生活が続き、彼をどんどん弱らせていった。そんなある日、出かけた芝居小屋で、彼は可愛らしい女の子を目にする。幼い子供は可愛い。自然に眼が向くのは当然だろう。また、その女の子は彼が幼い頃好きだった近所の人に似ていたらしく、彼が親しみや懐かしさを感じてしまっても仕方がない。それを欲しいと思うのは、今の彼にとっては自然なのだ。
 これを自然と言ってしまえる程、彼の精神は異常をきたしていた。しかし、彼の心のより所だった女の子とも、やがて会えなくなってしまう。とうとう限界がきた彼は身近にいた幼い女の子を盗んでしまったのだ。
 この行動はすべて身体の異常からくる精神衰弱によるものだと言える。
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田山千夏子裁判員 → 「有罪です」 量刑は、未定

■ 初審では、有罪。量刑は未定
□ 理由は、責任能力は充分にあるように思われる。子供を勝手に連れ去り、被害者や被害者の両親、親族に大きなダメージを与えたことは大変な罪であるから。
 犯人は処罰を受けるべきだ。
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長沼知子裁判員(法廷席番号75A134-8) → 「有罪です」 量刑は、7・5年

■ 初審では、有罪、量刑は5~10年
□ 理由は、神経衰弱には理由が不充分である。女の子や家族が受けた精神的苦痛は有罪を
  決定するのに充分である。
  しかし、少女に対して身体的暴力は加えていない点から懲役10年以下の刑でよいと思 
  われる。よって、量刑は懲役5年以上10年以下程が適当であると思う。
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大谷理恵裁判員 → 「有罪です」 量刑は、未定
 
■ 初審は、欠席。
□ 理由は、子供の好きそうなおもちゃを用意したり、知り合いの子供だから犯行に及んだ
  ことから 彼は精神異常であったとはいえないから。

弁護すれば
 引っ越してきたばかりの不慣れな土地で加害者は孤独であった。そもそも父親との不仲が原因で精神的に追いつめられていたように思われた。しかし、加害者は罪を認めていたので有罪ではないかと思う。出刃包丁に執着したことも幻覚を見ることも彼が正常な精神を持っていない故のことである。
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飯島優季裁判員 → 「有罪です」 懲役7年
 
■ 初審は、有罪。家族・被害者の心の傷をかんがえると数年。
□ 理由は、①誘拐犯罪。未成年略取は7年以下、営利誘拐は、10年以下の懲役。なお、
  「営利目的」の中には、「わいせつ目的」も含まれる。
 ②インターネットで知り合った長崎県諫早市の小6女児(12)を大阪市の自宅に連れ込
 んだとして、営利目的誘拐などの罪に問われた元会社員、坂本優介被告(21)の公判が6
 日、長崎地裁(松尾嘉倫裁判長)であり、検察側が懲役7年を求刑、結審した。判決は3
 月21日。論告で検察側は「インターネットで女子高生2人も同時期に誘っている。罪の
 意識が欠落しており、再犯の可能性もある」と指摘。弁護側は最終弁論で「女児は早い段
 階で家出を決意していた」と被告の誘惑を否定し、「女児は、被告の自宅でも自由に行動
 できた」と寛大な判決を求めた。坂本被告は被告人質問で、「自分の行動をほかの人がど
 う思うかを考えきれなかった。女児に迷惑をかけて申し訳ない」と謝罪した。起訴状によ
 ると、坂本被告はインターネットのブログで知り合った女児を誘拐しようと、昨年8月
 初旬から、家出するように誘惑して、10月6日に大阪市の自宅マンションへ連れて行き、
 8日間滞在させるなどした。
  以上の二つを参考にして日数が短くて半年マイナス。孤独から正常な判断が出来ない状
 態であったことも考えて、情状酌量の余地アリでマイナス半年。これで合計懲役6年。
  しかし、コノ場合帰りたがった幼女を帰らせなかった逮捕・監禁罪で、+年くらい?も
 しくはそれ以上。結果、7年くらい?
弁護すれば
・幼女は誘拐されたことに気がつけば、泣き出すことは目に見えている。しかし、彼はその
 用意・対処を何もしていなかった。つまり、正常な事を考えることの出来ない状態に彼
 はあったといえる。
・正常な判断ができなくなった一つに、なれない土地でひとりで暮らしている孤独感から生
 じる、疲れ・ストレスなどがあるだろう。実際彼は、毎晩悪夢にうなされて寝られない日々
 を過ごしていたと証言している。それならば正常な判断が出来なくなってしまっても仕方
 がない事だと言える。又、それを表すかのように、彼はちょつとした事でも驚きやすくな
 っていたらしい。
・彼はこういった疲れやストレスを解放しようというどいう努力もみられる。
・彼は、線路の中の白い鳩を見ながら、自分と鳩の区別が出来なくなっているような発言ま
 でしている。そこまで彼は精神的に病んでいた。
・彼は親と警官が来たとき、包丁は持ち出したが、だから何するというわけでもなく、素直
 に子を返し、警察に捕まっている。

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臼杵友之裁判員 (75A 125-7)  → 「有罪です」 量刑は、実刑3年

■ 初審は、弁護の余地なしに留まる。
□ 再審実刑3年の理由は、無罪となる判断材料が少ないため。

弁護すれば
 身辺に捜査が迫っているにも拘わらず幼女を隠し続けた罪は重い。
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瀧澤亮佑裁判員 → 「有罪です」 量刑は、懲役2年

■ 初審も、実刑2年。
□ 理由は、再犯の可能性が考えられ、厳罰が求められるが、精神的疲労が考慮されると、
  2年程度となる。
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小黒貴之裁判員 → 「有罪です」 量刑は、懲役7年実刑

■ 初審は、7年が妥当。全体的には判断能力有りとみて。
□ 判例として黒磯小2女児誘拐事件をあげる。
【黒磯小2女児誘拐事件とは、小黒君提出のWikipedia資料から抜粋】
 2001年8月14日に栃木県黒磯市で発生した誘拐事件。事件概要は、小学2年女児(7)が、祖父宅で妹と遊んでいたところを男性2名に誘拐されたが、危害を加えられること無く翌日、無事に保護された。栃木県警黒磯署は2001年8月22日、近所に住む男性2名を未成年者略取容疑で逮捕。2003年3月20日に宇都宮地方裁判所にて、主犯格の男性に懲役8年、もう一人の男性に懲役7年6ヶ月判決が言い渡された(求刑はいずれも懲役10年)。
【当時の報道について 同上】
 主犯格の男性(21)の趣味が美少女ゲームであること、コミックマーケットに参加し同
人誌を頒布していたことなどをマスメディアがセンセーショナルに報じたため、ゲーム業界の関係者から「漫画・アニメ・ゲーム愛好者に対する偏見を煽っているのではないか」と問題視された。例として『週刊女性』では、主犯格の男性が、恋愛アドベンチャーゲーム「Kanon」を題材に描いた同人誌「黒磯誘拐犯が描いたロリコン漫画」を大々的に取り上げた。しかし、記事の執筆者がゲームに対する知識を持ち合わせていなかったためか、「Kanonのタイトルに深い意味が込められている」「劇中の登場人物である『月宮あゆ』が誘拐された女児にそっくりである」などといったピントの外れた記述が目立った。

弁護すれば
 容疑者青年Aに神経症。不眠・幻夢(実証P102、10行目)、出刃包丁(実証P104、10行目)、(実証P105、7行目)、孤独な環境(実証P109、1行目)

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阪本義明裁判員 → 「有罪です」 量刑は、執行猶予付の有罪(未定)

■ 初審は、弁護しだいで、どうにでもなるが。有罪。
□ 虐待目的でも金銭目的でもないうえ、被害者に特別な被害がない事から重い罰を与える
  のはどうかと思う。しかし、誘拐したことには変わりはないので、無罪という訳にはい
  かない。


文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.113―――――――16 ―――――――――――――――――

弁護
 被害にあった幼女に特別外傷はなく、食事を与えない等の虐待行為も見受けられない事から、危害を加えようという意志は感じられない。
 また、身代金の要求もなかった事から、金銭が目的での犯行ではなく、この事件はほんの出来心であったと考えられる。よって被告には更生の余地があり、刑に処するには値しない。
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大野菜摘裁判員 → 「有罪です」 量刑は、懲役5年以上

■ 初審、量刑は更生しだい。再審では5年。
□ 理由は、親が心配しているのを知っておきながら幼女を置き留めた為、幼女にトラウマ
  が残ってしまう。
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本名友子裁判員 → 「有罪です」 量刑は4・5年(3~7年) 

■ 初審、日本の裁判は加害者に甘い。そのへんを考慮して...
□ 4年と半年にした理由は、10年以上だと長すぎる。傷害ではないですし。

弁護すれば
 少女に身体的には何もしていない。精神的に不安定であった。
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川端里佳裁判員 → 「有罪です」 量刑は、5年以上

■ 初審は、精神的に異常者。実刑は3年。
□ 無罪にする理由が不明である。精神状態がどうであれ誘拐したことに変わりはない。加
  害者を守る理由はないと思う。
弁護
 精神状態がおかしく、全てに対して無気力である。悪気はあったとは思えない。また、幼女に危害を加えていない。 
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神田泰祐裁判員 → 「有罪」 量刑は、無期に

■ 再審は、欠席の為、初審の量刑をあげた。
□ 理由は、性質的に変質者のようだから。
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橋本祥大裁判員  →  「有罪です」 量刑は、未定

■ 初審では、有罪は確定。しかし、量刑は未定。
□ 精理由は、初審はで弁護の余地はあるが。
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刀祢平知也裁判員 → 「有罪です」 量刑は、3年

■ 初審、出席。再審は、欠席。
□ 理由は、神経衰弱は考慮するが、減刑は出来ないため。


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裁判員は、初審が15名、再審が12名出席した。

裁判時における各裁判員の判決と量刑は次の通りでした。

〇 判決は全員が  →  「有罪」判決
〇 量刑は、2年 ~ 無期懲役と幅広い
       ・懲役2年 → 1人
       ・懲役3年 → 1人
      ・懲役4年6ヶ月 → 1人
       ・懲役5年 → 3人
       ・懲役7年 → 2人
       ・懲役7年6ヶ月 → 1人
       ・無期懲役 → 1人
       ・未決 → 5人(虐待目的でも、金銭目的でもないが被害者と家族が
                  受けたダメージは大きい。重罪を望む)
審議して、一つの量刑にまとめてください。

判決主文 → 神経衰弱には理由が不充分である。女の子や家族が受けた精神的苦
           痛は有罪を決定するのに充分である。

結審 → 「よって、被告人の刑罰は   年とする」

■最近の裁判にみる判決結果■

〇振り落とし殺害・車強盗殺人=車盗難がとめようとした持ち主を乗せたまま発車。持ち
 主を振り落として死なす。被告側「殺意はなく強盗致死罪が相当」と主張。千葉地
 裁は「悪辣、非道な犯行というほかない」と「無期懲役」判決 (10月21日朝日)
〇中3少女殺人未遂事件=携帯ブログで知り合ったストーカー事件。交際を迫った無職
 (37)、断られて逆上、ナイフでメツタ刺し。少女半身不随となる。千葉地裁「助けを求め
 る女子中学生を追いかけ、手加減なく刺す執拗で悪質な犯行」と「懲役10年(求刑13年)」
 の判決。(10月22日読売)
〇再婚相手の子に強姦繰り返す=会社員小林被告(45)は4年間にわたり再婚相手の連れ子
 次女(15)、長女を強姦していた。甲府地裁「精神的殺人に等しい」と「懲役15年を求
 刑」強姦と児童福祉法違反の罪。(10月23日朝日)
〇平塚娘(19)殺害事件=母親(57)に東京高裁は「懲役12年」支持。この事件は、06年に平
 塚市のアパートで乳幼児ら5人の遺体が見つかったことで話題に。(10月24日朝日)
 この事件は、異常な母親の性格が問題になった。当時、ニュースで知った母親の経歴は、このようである。故郷の秋田で高校を卒業すると、ただ一人北海道の農家に就職。帰省のとき電車の車内で求婚され、奥尻へ嫁つぐ。3人の子供できるが、奥尻地震のとき、離婚して東京に。キャバレーに勤める。容姿端麗でNO1。平塚の蕎麦屋の店主が入れ込んだので、蕎麦屋に乗り込み本妻を追い出して正妻に。6歳の子供が行方不明になったとテレビ出演。周囲の人の話では、店主が死んだあと金使いが荒い。タクシーは近くても1万円を払っていた。押入れからでてきた5人の幼児遺体のなかには、行方不明の子供の骨もあった。19歳の娘をなぜ殺したのか。まだ、謎として残っている。


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土壌館創作道場・プレイバック青春観察

汐留青春グラフィティ③

 今日、東京汐留は、瀟洒なビルが林立する賑わいだ街である。だが、1970年代は違った。汐留は、貨物列車の広大な操車だった。鉄道荷物を満載した列車の終着駅だった。毎日、北の果て、南の果てに向かって出発していった。作業中は、動力音と怒鳴り声がこだました構内。誰も知らない貨物駅。そこには、いろんな青春があった。

休憩場所は、引き込み線ホームの最先端にあった。休憩場所といっても粗末なベンチが二つと石油缶を半分にした吸殻入れが一つ置いてあるだけの吹きっさらしだった。が、天気がよければ日なたぼっこに最適の場所だった。風が強い日や寒い日は、タバコを吸う人だけが集るだけで、吸わない人は空貨車の中か、荷物の間で休んだ。晴天で風もない今朝は、積み荷班も積み下ろし班もみんなぞろぞろ集ってきた。軍曹と、職員、それに古参の季節のおっちゃんたちは、吸殻入れが近いベンチを陣取った。みんな一斉にタバコを吸うので、その辺りはものすごい煙りがたちこめた。
「おれ、下に行きます」 
家出少年は、耐え切れなくって線路に飛び降りた。朝の光が降り注ぐなかをまぶしそうに歩いていって深呼吸していた。
広い操車場のうえに、抜けるような青空がひろがっていた。向こうの塀の隙間から新幹線の白い車体が音も走っていくのが見えた。周囲に林立するビル群。だが、とてもここが都会のど真ん中とは思えなかった。高い塀の向こうはラッシュアワーの時間帯。大勢の勤め人が新橋駅から溢れ出ているだろう。しかし、ここは静寂そのものだった。
「ぼくはここにするよ」
チャーリーのおっちゃんは、日当たりのよい場所にダンボール紙を敷いて腰を下ろすと、さっそく競馬新聞をひろげた。
 忙中閑あり。ホームでは皆、思い思いに休んでいた。バンドマンと役者は、荷物の上で長々横になっていた。が、明後日のジョーは、一人離れたところであきもせず、シャドウボクシングをつづけていた。上体をくねらせながらのフットワークが軽快だ。大男のフランケンは、布団袋の荷物にもたれてうつらうつらしながら、ときどき大あくびしていた。彼は、いつもニヤニヤしているので皆に気持ち悪がられていた。正体不明だった。空台車の上で座ったまま眠っているのは、プロ野球選手だという青年だった。最初、暮れになって彼がきたとき
「あの選手だ」プロ野球通の、明後日のジョーは、興奮気味に皆に知らせた。大洋ホエールズのリリーフ投手だというのだ
 しかし、バンドマンも、日芸の劇団員も信じなかった。
「こんなところへプロ野球選手がくるかよ」と、笑った。
「名前、同じだろ」
「同姓同名だろう」
「違う、違う、おれは顔しってんの」
「野球場でか」
「テレビだよ。野球場じゃわかるかよ」
「じゃあ、怪しいな」
「ほんと、そうだって」
明後日のジョーは、とことん言い張る。
「ちょっと前までは王選手キラーで有名だった」
「だったら一軍の選手だぜ、契約金がっぽりもらって、いまごろハワイにいってる」
「ますます、へんだ」

――――――――――――――――――― 19 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.113

「そうだって」
三人は、喧々諤々となった。
 治めたのは自称フリーのカメラマンで株の相場師というという早川だった。
「そんなの、本人に直接、聞けばいい。じゃねえか。皆さん」
と、割って入って一件落着。
 彼は歳は三十路というから亀の甲。さっそく明後日が
「あのう、平岡さんですか、大洋の ? 」
と、おそるおそるたずねた。ひどく間抜けに聞こえた。
 臨時が臨時に身元を聞く。ここではご法度だが、
「そうだよ」
青年は、あっさり認めた。
 で、話は、それで終わった。
「それみろ、やっぱりそうだろ」
「ふーん、そうか」
「スポ・コンさんか」
劇団さんもバンドマンも、たいして驚かない。まだ、全部が納得できないようだ。
 それもそのはず青年は、あまりにも街のあんちゃん風に見えた。背は高からず低からず、体格は、普通で、とても運動選手の感じではない。プロ野球選手といえば何百、何千万の札束が積まれる世界だ。貨物駅の積荷作業とは、どう考えても、どう想像しても繫がらない。巨人戦という黄金カード。満員の後楽園球場に、バッター王のアナウンスが響く。一発でれば逆転の場面。が、相手方の監督が出てくる。
「ピッチャー平岡」
当主交代のアナウスに観衆は、どよめく。
 そのピッチャーがワンちゃんキラーと知っているからだ。観衆の悲鳴と声援を一身に浴びてマウンドに向かうリリーフ投手。
 しかし、彼には、その栄光を彷彿させるものが何もなかった。
「まあ、誰だって事情はあるよ」
早川は、分かったふうに言ったあと、自分には事情はないと説明した。
 その彼は、布団袋をベットがわりに寝転んで、週刊誌を読んでいた。ウソか、ほんとか、彼はここには痩せるために働きにきていると自慢していた。そのことを証明するような小太りの体で、上下揃いのジーンズがはちきれそうだった。彼は、いつも冗談をとばす陽気な性格だった。血色のよいてかてかした顔と、糸くずのようにちじれさせている長髪は、年齢より若く見えた。
 皆にグズラと陰口をたたかれているド近眼の畑野は、鉄柱に背をもたせて居眠りしていた。本人は自分のことを受験生だといっていたが、だれも信用していなかった。青白くむくんだ顔はどう見ても二十歳過ぎだったし、それに第一この季節、ここにいるのも変だった。
「だれも本気になんかしちゃあいないさ。グズラが大学を受けるなんて」
明後日は、笑って皆に話していた。
グズラは、一応受験生という触れ込みだけあって、ホームの柱に英和辞典を置いていて、休憩時間には、ひろげてながめていた。今朝はよほど疲れたのか、手にしていなかった。ボサボサ髪の頭がガクンとなるたびに度の強い眼鏡の光がキラリと流れた。
 ベンチでは、軍曹や職員たちが大口を開けて卑猥に笑っていた。栃木や茨城から出勤してくる季節のおっちゃんたちが電車の中の痴漢話しをしているようだ。近くで憔悴しきった顔の倉持社長が、皆より一テンポ遅れでニヤついていた。倉持社長は、下町で工場を経営しているとかいう人で、それで社長と呼ばれていた。ベンチ周辺にいる人間で一人だけ笑っていない者がいた。パチキチの須藤だった。彼は、話の輪には入らず、一人きょろきょろしていた。たぶん誰かにタバコをもらおうとしているのだろう。     つづく

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.113―――――――20 ――――――――――――――――― 
掲示板

提出原稿について

◎ 課題原稿 → テキスト配布。主に裁判もの。事件概要、告訴状、弁護、判決理由
○ 車内観察 → 電車の車内で観察したこと(創作・事実どちらでも)
○ 1日の記録 → 自分の1日を観察する(自分のことをどれだけ晒せるか)
○ 生き物観察 → 人間、動物、草木、生あるものすべての観察(宇宙人の目で)

 締め切りはありません。書けた人は、どんどん提出し、皆の評価をみてみましょう。何事も切磋琢磨です。
ゼミ誌・その他+課題・提出原稿(2×)+出席(1×)=評価(60~120)

ドストエフスキー情報

11月22日(土) : ドストエーフスキイの会例会 会場は千駄ヶ谷区民会館
           午後6時から 講演者・清水正氏(日芸教授)  
12月20日(土) : ドストエーフスキイ全作品読む会「読書会」、 
           会場は東京芸術劇場第1会議室 午後2時から
           講演者・高橋誠一郎氏(東海大教授)
詳細は、編集室
出版
 ☆復刻版・岩波写真文庫『農村の婦人』6月25日発売「ひとくちばなし」下原
☆復刻版・岩波写真文庫『一年生』
☆新刊・清水 正著『ドストエフスキー論全集3』D文学研究会2007
☆新刊・山下聖美著『宮沢賢治のちから』新潮新書 680円
★旧刊・下原敏彦著『伊那谷少年記』鳥影社「昭和30年の原風景」
 平成20年度埼玉県公立高校二次試験国語問題起用作品在。平成18年四谷大塚在
★下原敏彦著『ドストエフスキーを読みながら』鳥影社2006 2月点字図書
★國文学別冊『ギャンブル』下原敏彦・文「ドストエフスキーとギャンブル」
 ★下原敏彦編纂・写真集『50歳になった1年生』                                
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編集室便り

☆「2008年、読書と創作の旅」内容は、本通信に掲載します。
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。

参考資料
 いよいよ来年2009年5月21日(平成20年)から裁判員制度が施行される。これにより同年7月以降から実際に一般市民が裁判に参加することになる。「裁判院制度とは何か」を知りたい人はHPにあったWiKiPediaを以下に転載したので読んでください。
 裁判員制度は、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての裁判である。例外として、「裁判員や親族に危害が加えられるおそれがあり、裁判員の関与が困難な事件」は裁判官のみで審理・裁判する(法3条)。被告人に拒否権はない。裁判は、原則として裁判員6名、裁判官3名の合議体で行われ、被告人が事実関係を争わない事件については、裁判員4名、裁判官1名で審理することが可能な制度となっている(法2条2項、3項)。裁判員は審理に参加して、裁判官とともに、証拠調べを行い、有罪か無罪かの判断と、有罪の場合の量刑の判断を行うが、法律の解釈についての判断や訴訟手続についての判断など、法律に関する専門知識が必要な事項については裁判官が担当する(法6条)。裁判員は、証人や被告人に質問することができる。有罪判決をするために必要な要件が満たされていると判断するには、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない(一部立証責任が被告人に転換されている要件が満たされていると判断するためには、無罪判決をするために合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない)。以上の条件が満たされない場合は、評決が成立しない(有罪か無罪かの評決が成立しない場合には、被告人の利益に無罪判決をせざるを得ないと法務省は主張しているが、法令解釈権を持つ裁判所の裁判例、判例はまだ出ていない)。なお、連続殺人事件のように多数の事件があって、審理に長期間を要すると考えられる事件においては、複数の合議体を設けて、特定の事件について犯罪が成立するかどうか審理する合議体(複数の場合もあり)と、これらの合議体における結果および自らが担当した事件に対する犯罪の成否の結果に基づいて有罪と認められる場合には量刑を決定する合議体を設けて審理する方式も導入される予定である(部分判決制度)。裁判員制度導入によって、国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている一方、国民に参加が強制される、国民の量刑感覚に従えば量刑がいわゆる量刑相場を超えて拡散する、公判前整理手続によって争点や証拠が予め絞られるため、現行の裁判官のみによる裁判と同様に徹底審理による真相解明や犯行の動機や経緯にまで立ち至った解明が難しくなるといった問題点が指摘されている。裁判員の負担を軽減するため、事実認定と量刑判断を分離すべきという意見もある。
 最高裁によると、全国の裁判員裁判対象事件は2004年の3791件から減少傾向にある。都道府県別で昨年、対象事件が最も多かったのは①大阪306件、②東京255件、③千葉214件の順。最も少なかったのは福井県の7件。罪名別では、①強盗致死傷695件、②殺人556件、現在建造物など放火286件、強姦致死傷218現在と続いた。(新聞8・5)
選ばれる確率は4911人に1人(全国平均)


ゼミ誌について

ゼミ雑誌発行12月15日を目指して

 ゼミの実質的成果は、決められた期日までのゼミ雑誌発行にあります。毎年、納品日の遅れが指摘されています。一年間の大切な成果なので、しっかり守って、よい雑誌をつくりましょう。本ゼミは、二人編集長と一人副編集長に四人の編集委員が、アシスト、全員が協力します。ゼミ誌は自分の作品でもあるので、全員一丸となって当たりましょう。
・編集委員長=川端里佳 大野菜摘
・編集副委員長=小黒貴之
・編集委員=阪本義明 橋本祥大 飯島優季 瀧澤亮佑 
・補助委員=本名友子 長沼知子 大谷理恵 野島 龍 田山千夏子 臼杵友之 
      秋山有香 神田泰佑 刀祢平知也

ゼミ誌作成の進行状況と予定は以下の通りです

○決定事項 6月9日報告 → 印刷会社、フジワラ印刷(株)決定             
      6月16日 テーマ決め → 「空」内定
      ゼミ誌表紙デザイン、奥付など → 小黒、田山が担当
      原稿締め切り → 夏休み明け
      タイトル決め → 7月14日に決定「ドレミファそらシド」              

1. 6月中旬 → ①「ゼミ誌発行申請書」の提出。出版編集室に
2. 6月~  → ゼミ雑誌の装丁を話し合う。表紙デザインなど
3. 7月下旬 → 原稿依頼し、締め切り日、夏休み明け9月22日(月)。

4. 10月18日 → ページ数を増やしたい人は連絡。
  10月19日 → 最初から最後まで
  10月20日 → 
  11月10日 → ゼミ誌原稿の最終締め切り。

5. 10月上旬 → 編集委員は、内定の印刷会社から②「見積書」をもらう。
6. ~11月 → 「見積書」の提出。印刷会社と相談しながらゼミ雑誌作成。
7. 12月 → 15日までにゼミ誌提出、③「請求書」提出

注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。


正月休みにゼミ誌を読んできてもらい、新年明け最初のゼミで合評会を行います。

☆ 2009年1月19日(月) ゼミ誌合評会


       

腕試し解答 → 

土壌館・下原ゼミ課題           2008・10・27配布

『范の犯罪』について
           名前・
1.あらまし

 見せ物小屋で、ナイフ投げ奇術師の妻が死んだ。演芸の最中、奇術師の夫の投げた出刃
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包丁が首に刺さったのだ。妻の不倫から夫婦は冷えて奇術師は、妻が死ねばよい、と思うよ
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うになる。悲劇は、その背景の中で起きた。夫は、故意で投げたのではないが、故意だった
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かも知れない」と証言し、妻の死を悲しむ心は、「全くありません」と言った。
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2.この出来事は 、事件か事故か

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3.事件なら(告訴)

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4.その場合、量刑はどのくらいか

5.その理由は

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6.弁護するとしたら

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7.自分が裁判官だったら、主文は

※ 長い場合は他の用紙でも結構です

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