文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.114

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日本大学芸術学部文芸学科     2008年(平成20年)11月10日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.114
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2008後期9/22 9/29 10/6 10/20 10/27 11/10 11/17 12/1 12/8 
12/15 1/19 1/26 
  
2008年、読書と創作の旅

11・10下原ゼミ

11月10日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2

 1.出欠・連絡事項・課題提出・課題配布

 2.社会観察・「空自トップ更迭」事件、「振り込め詐欺」
    
 3.世界名作読み・詩編「秋」観察、家族観察『 にんじん』、江戸観察
 
  4.課題・『灰色の月』、『異邦人』、
     
 
車窓・今秋のニュース 
 今秋の車窓は、なんといってもアメリカ合衆国の大統領選挙である。4日深夜(日本時間5日昼)次期大統領が決まった。当選したのは、バラク・オバマ上院議員(47)。人種のるつぼといわれる米合衆国だが、アフリカ系は米国史上初。ハワイ州うまれでインドネシア育ち、父親はアフリカ、ケニヤ出身の留学生、母親は米国生まれの白人という。異色だが、米国も新世紀になって、ようやく多民族国家らしさがでてきた、といえる。
 米国は、外来種国家である。1492年10月12日。島の住人は、遠くの沖に見慣れぬ3隻の船を発見する。これまで見たこともない大きな船だった。小舟が近づいてきた。乗っている人間は、衣服は着ているが、髯面で、眼の色は青や茶、汗と垢だらけの大きな体からは腐臭を漂わせていた。まるで密林に棲む野獣のようであった。彼らは、大声で何ごとか叫んでいた。喜んでいるようにも見えた。遠い所から来たらしい。島の人たちは、新しい客人を迎えるために花や果物を持って浜に集まった。小舟から降りた猛獣のような人間は、遠慮会釈なくドカドカと浜に上がってきた。その瞬間、開闢以来つづいてきた島の調和と平和。悠久の自然の終わりだった。時のはじまり、外来種の増殖と繁栄のはじまりだった。
 歴史的には、船は同年8月3日ポルトガルのバロス港を出港したサンタ・マリア号、ビンタ号、ニーニャ号。総督は、スペイン、イザベル女王の命を受けたイタリア、ジェノヴァ出身のクリストファー・コロンブス(46)。約10週間に及ぶ新大陸発見の航海の末だった。彼は、感動して島を「聖なる救世主いう意味のサン・サルバドルと名づけた」。もっともコロンは、その島はインドの一部と思っていたらしい。1620年、島の奥の大陸アメリカに英国から信仰の自由を求めて百余人もの人たちが漂着した。彼らは希望を胸に植民地建設に着手した。1776年独立宣言をする。それから232年、車窓は、めまぐるしかった。戦争、内紛、恐慌、繁栄、差別といろんな風景が過ぎた。が、王様は最初の外来種から変わることがなかった。それが変わった。生まれも肌の色も。車窓が楽しみである。  (編集室)

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.114―――――――― 2 ――――――――――――――

車窓雑記

晩秋古都・鎌倉観察
 
 朝夕、めっきり寒くなった。菊は終わったが、紅葉には、まだ早い。が、お天気は小春日和。とにかく何処かに行かなくては、そんな晩秋の行楽日和に誘われて、古都鎌倉散策に出かけた。午前10時、JR鎌倉駅に下車。横浜に住む知人と待ち合わせて同行3人。鎌倉に最後にきたのは10数年前、街並みはほとんど忘れていて案内の知人に頼るのみであった。
 連休あとの平日とあって、鶴岡八幡宮までの参道は、往来はまばらだった。が、境内はさすが、いくつかの団体、グループの観光客がいた。一割が外国人だった。ほとんどが中高年だが、なかには、若い女の子たちのグループも。なぜか、若い男の子たちのグループはいなかった。社会科勉強か、数人の小学生、中学生グループが、旗をたてた地元ボランティアらしい人に案内されて、歩き回っていた。鶴岡境内で一番、気になるところは、やはり、本堂にあがる石段と銀杏の樹である。1219年1月27日、大銀杏に隠れていた甥の公暁に三代将軍源の実朝は、暗殺された。1192つくろう鎌倉幕府。歴史の年代暗記で覚えた年号。その年に生まれた文人将軍の悲しき人生は、満26歳。ゼミでは家族観察で、『にんじん』一家の母親の異常性が話題となっているが、源氏三代をみるとこの母子にもかなりの異常性を感じる。母親の政子は、長男の頼家を修善寺幽閉、孫を殺害。次男、実朝を亡き者に。凄まじい権力欲の虜になった母親。その犠牲になった子供や孫たちは、哀れである。

大海の磯もとどろに寄する波 われてくだけてさけて散るかも(源実朝『金塊和歌集』)

 鶴岡八幡宮の石段を上っていたら、なぜか実朝のこの歌が思い浮かんだ。
 さて、鶴岡では、参拝のあと公開の宝物伝を見た。すずり、甲冑などがあったがほとんどが江戸時代のものであった。そのあと、瑞泉寺に向かう。民家の小路を通った。道路は、どこかで大きな工事をしているのかダンプなど建設車両が多かった。京都もそうだが、日本の観光地は、名所、名所を繋ぐ道が貧弱、あまりにもお粗末である。その観光場所に行けば、それなりに整っていて、さすが旧跡名所と感動、満足はあるが、そこまでの道は、みすぼらし過ぎる。狭くて車両の多い、埃っぽい道路を長いこと歩かなければならない。タクシーをつかえということかもしれないが。道々、空き家が目立った。緑が多いのはいいが、ほとんどが伸び放題、枯れ放題。くもの巣だらけ。溝にもゴミが目立つ。ちょうどゴミ出しの日であったのか、ゴミや新聞段ボールがそこかしこにあった。カラスが、生ゴミの袋を道真ん中にひろげてつついている場所もあった。敷石を並べた遊歩道的歩道もあったが、そんなところはごく稀で大半が、きれいとはいえない生活道であった。拝観料は、全部が200円か100円。トイレは、普通。瑞泉寺の石段下で外国人グループが写真を撮っていた。1327年に開かれただけに、その旧さは伝わるのかも。昼食のあと、北鎌倉の松ヶ岡東慶寺に。桔梗や名も無き野の小花が咲く清楚な小寺。1285年に北条時宗夫人が開創。明治まで男子禁制の尼寺。不幸な女性たちの駆け込み寺、縁切り寺として、多くの女人を救済したという。この寺の墓地に評論家小林秀雄の墓があるというので探したが見つからず、かわりに岩波書店創設者の岩波茂雄の墓を見つけた。JR北鎌倉駅の前に大きな立派な寺があった。境内もよく整備されているようであった。が、ここでも真ん前のJR線路内は、雑草がのび放題、枯れ放題。せっかくの風情を台無しにしていた。ざっと歩いただけだが鎌倉が古都観光都市と誇るには、空き家対策、ゴミ対策、雑草対策が急務のようだ。最後に休んだ茶屋で、老女の主人が「客がすっかり減ってしまった。隣りの店は売りにだしている」とこぼしていた。
 1333年5月21日、新田義貞は反幕府軍を率いて稲村ガ崎に立った。天の味方か潮は引いた。怒涛の如くなだれこんだ新田軍。鎌倉は火の海と化した。翌22日、頼朝創設から150年つづいた鎌倉幕府は、跡形も無く滅んだ。歪んだ家族の末路だった。  (編集室)

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2008年、読書と創作の旅

後期「2008年、読書と創作の旅」

11月10日ゼミ・プログラム

はじめに  → 出欠、「ゼミ通信」、課題テキスト配布、連絡事項、その他
         新聞コピー配布(振り込め詐欺・裁判員・幕僚長論文社説)
         
司会進行決め  →  (二度目になります)

司会者進行

1.ゼミ誌作成に関する報告、原稿集め、予定  
 (川端・大野編集長、小黒副編集長、坂本・瀧澤・橋本・飯島編集委員から)    

2.配布課題テキストの説明・(編集室から)

 メリメ(1803-1870)『マテオ・ファルコネ』から「コルシカ地主愛息殺人事件」

3.社会観察・「振り込め詐欺」&「元空自幕僚長の論文事件」
 
〇「振り込め詐欺」について
 ・課題提出原稿の読みと対策

 〇「過去の侵略正当化」航空自衛隊トップ論文事件に寄せて朝日・読売社説
 ・創作ルポ『生きている兵隊』の読み 戦地を見た若き作家のルポータージュ

4. 世界文学名作読み・詩編 & 『にんじん』

〇 詩・秋の歌 訳者の違いで詩の印象は変わるのか。そのへんを吟唱で聞き比べ。 
 ・ポール・ヴェルレーヌ「秋の歌」堀口大学訳 対比 橋本一明訳
 
〇 ジュール・ルナール(1864-1910)『にんじん』訳・窪田般彌(くぼたはんや)
  前回ゼミのつづきを読む。「湯飲み」「パンきれ」
  注目は、次のところ。
 
「湯のみ」・・・・家庭のなかでのにんじんの立場
「パンきれ」・・・・父親ルピック氏と母親の関係

5.課題発表・『灰色の月』『異邦人』

 『灰色の月』読みと感想

 『異邦人』「太陽のせい殺人事件公判」

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社会観察・1        振り込め詐欺について

 新聞によると、10月は「振り込め詐欺」撲滅月間であったにもかかわらず、詐欺被害者は一向に減ることはなかった。警察官や行員が止めても聞き入れられず振り込んでしまうケースもあったという。被害者は、絶対に自分は詐欺されない、そんな自信過剰の人が多いらしい。なぜ、人は、こうも容易く騙されてしまうのか。その深層心理を考えてもらいました。
 狙いは生活安全と、創作のうえで騙し騙される人物を描くとき役立てる。

1.なぜ振り込んでしまうのか。そのときの情況を私はこう考える。
 
川端里佳

 子供など大切な人のことを話題として使われて冷静な考えができなくなってしまうため。一度信じてしまうと疑うことをしなくなってしまうため。これで大切な人が助かるなら !
ワラをもつかむ思いになってしまうため。

飯島優季

・手口の多様化。進化。
・「もしかしたら」という心当たりがあったりするから。無くとも思い込まされて、あたか
 も、心当たりがあるように錯覚させられるから(だまされやすい人に多い)
・恐怖心。
・臆病だから。
・「早く、こんな不安なものから逃れたい」と思うから。

小黒貴之

良くいえば、身内を想えばこそ万が一を思った行為。
悪くとれば(本当にひどい言い方になりますけど)事なかれ主義に通じるものがある。
高度情報化社会において「情報」とは提供されるものであり多勢の方へながされがちの日本人にみられる。自分の頭で考えて判断するという姿勢への欠落からおこる。
 
...あんまり気持の良い見解とは言いかねますね...

秋山有香

 やはり家族のことなので、慌てているだろうし、まさか自分が詐欺なんて...と思っているところもあるだろう。また、店員に声をかけられても、気持は急いでいると思うので、話をしっかり聞く余裕がないのかもしれない。

刀祢平知也

 だます方が、かなりの役者であるから。息子が事故を起こしたなど、その虚構の世界をうまく、だます相手に想像させることができる。本当の世界だと思った思考能力の低下した老人などがだまされるのだ。


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大谷理恵

 詐欺も手の込んだやり方をするから。
 例えばお年寄りの場合、息子のなりすましてお年寄りに電話をかける。詐欺師はケータイの電話番号が変わったことを伝えて電話番号の全記録を変更するよう伝える。後日にそのケータイに電話をかけて振り込みを要求する。被害者のお年寄りは息子からの電話だと思い込んでしまっているので、振り込んでしまう。
 不審に思った銀行員が声をかけても全く耳をかさないらしく、詐欺が成功してしまう。

 
2. 被害者の性格について その深層心理を私はこう解く。

川端里佳

・強い言葉に冷静さを失ってしまう気弱な人。
・また、老人は声の聞き分けが上手くできないのでだまされてしまうのではないだろうか。

飯島優季

・人の言うことを鵜呑みにする人。
・人がいい性格の人。
・女性。
・高齢者。
・だまされやすい人。
・小心者。

小黒貴之

 父方の祖父母も一回あわや入金寸前のところまで行きましたが、幸い伯母が一緒にいたので事なきをえました。被害者の性格もありますが、やはり年齢的なものもあるかと考えます。安穏に暮らしているところに寝耳に水で訪れるので正常な判断を下すのは難しいのかもしれません。

秋山有香

・思い込みが激しく、一度そうだと思ってしまうと周りの意見に耳を貸さない人。
・または、自分で解決しようとして、周りの人に相談しないタイプ。

刀祢平知也

・心配性に限る。

大谷理恵

・心の優しい人だと思う。それでいて人の言葉をきかない頑固で融通のきかない人。

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総評 「振り込め詐欺」について、各人様々な考察がありました。総じて次のようなもの
    でした。
1.「 なぜ振り込んでしまうのか。そのときの情況を私はこうみる」では。

・第一の原因は、「お年寄り」といった年齢的なこと。
・人の話をよく聞かない。
・自分でものを考えない。

2. 被害者の性格について 「その深層心理」は。

・自分だけで解決しようとする。
・気弱な性格。

 警視庁は10月、振り込め詐欺撲滅月間を授け、警戒を強化した。が、東京都内の被害は、半月で94件もあったという。
【新聞】撲滅月間中日・振り込め警官の目前16件
 注意されても被害者は出てしまう。なぜか、様々な見方、要因があげられました。識者の分析もありました。これらのことを総合して考えると以下の3点に絞られるのではと推測します。
1.絶対的信頼。日本の今の社会は、世界でも稀の絶対信頼の上で成り立っています。多少は用心が必要になりましたが、それでも、悪意、作為をもって人が近づくという考えは最初はありません。
2.催眠状態になる。オウム事件のときに、なぜあんな優秀の人が、と驚かされたものです。優秀であれば、あるほど、自分に自信があればあるほど騙される。オウム事件は、
かく云う「編集室」の私のところにも、「オレオレ」の電話があった。以下は、記憶している、そのときのやりとりである。

ある日の午後 電話が鳴る。受話器をとり
「もしもし」と答える。この瞬間、疑念は一切ない。
「オレ、オレ」
息子の声に似ていた。無条件で息子と信じてしまった。
「――か」思わず息子の名を呼んでしまった。
「そう、―」と、相手は答えた。この時点でも、まったく疑わなかった。会社勤めの息子が、たまに何かの用事でかけてくることがあった。
「いま、どこにいる」私は聞いた。いつもの口癖だった。
「いま―」相手は、ちょっと躊躇してから答えた。「チバ、千葉にいる」
相手のその一瞬の迷いで、ようやく、私は、おかしいと思った。息子は、これまで一度もチバから電話をしてきたことがなかった。で、
「チバで何してる ? 」と、聞いた。
「何って ? 」相手は、慌てた口調で答えた。「何って、あれだよ」
「あれって、何だ ? 」私は、ふたたび聞いた。オレオレ詐欺だと確信した。
「用事だよ。用事」相手は、
「おまえ、だれだ ? ! 」と、質問。
「だれって、オレだよ」
「生まれは何年 ? 」と、質問。
途端、電話は切れた。質問に弱い相手だった。


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社会観察・2 11月1日の朝刊にこんな見出しがありました。 

読売・航空幕僚長を更迭「侵略は濡れ衣」論文発表
朝日・空自トップ更迭へ 過去の侵略正当化

 毎年、教科書検定や政治家の靖国神社参拝で問題にされる太平洋戦争。これまでは、だいたいにおいてあの戦争は日本に責任がある。侵略か侵攻かの違いはあるが、そのように歴史判断されていた。政府も常にその見解だった。ところが、とんでもない考えをもった人間が、航空自衛隊トップに君臨していたのだ。発覚は、雑誌の懸賞論文に応募して採用されたから。が、専門家によると「通常の懸賞論文コンテストなら、選外佳作にもならない内容だ」と厳しい。事実誤認だらけであまりにも稚拙という。が、この元航空幕僚長、他の隊員にもこの濡れ衣戦争論の応募をすすめていた。応募者数235人、うち94人は航空自衛官となるとただ愚劣と失笑ではすまされないところだ。いったい、どんなことを論じていたのか。朝日新聞11月1日付け記事にあった論文要旨を見てみた。抜粋。
題・「日本は侵略国家であったのか」
 日本は朝鮮半島や中国大陸に一方的に軍を進めたことはない・・・・・多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識する必要がある。我が国が侵略国家だったなどというのはぬれぎぬである。
 要旨だけからだが、この内容からなぜか、アメリカで起きたこんな事件を思い出した。学校に忍びこもうとした泥棒が、明り取り天窓から入ろうとしたが、天窓が壊れて泥棒は落ちた。ケガをした泥棒は、学校が悪いと訴えた。驚いたことに裁判で泥棒が勝訴したという。訴訟国家アメリカならではの判決だが、たいていの国なら当然敗訴だろう。泥棒なら、まだいい。日本軍の場合は押し込み強盗そのままであったのだ。
 が、この元幕僚長は、そうはとらなかった。悪いのは天窓であって泥棒は悪くない。押し込み強盗であっても撃退した相手が悪いのだ。定年退職を余儀なくされた記者会見でも、堂々とこんな荒唐無稽な持論を述べていた。作戦とみてもなんの勝算があるのかわからない。恥じの上塗りを腹切りのかわりにしたのなら、惻隠の情もなくはないが、当人は至って本気のようで、呆れるしかない。「老兵は黙して消え去るのみ」の名言も知らないようだ。こんな人物が国防のトップだった日本。なんとも情けない、みっともない話である。
 この人物、歳は60歳、私より1歳若いが同じ団塊世代である。戦後生まれだから、もちろんあの戦争について実体験はない。が、話は聞いてきたに違いない。あの戦争の実態を知らせた書物は山ほどあるから目にするだろうが、いったい、どんな話を聞き、どんな本を読んできたのか。私の父は、2度徴兵の赤紙がきて2回、中国大陸に出征した。叔父は、満州で徴集され、そのままシベリア抑留となった。もう一人の叔父は、南方トラック島付近で撃沈され戦死した。作家山本茂実の戦記ノンフィクションの傑作『松本連隊の最後』(角川文庫)にそのときの様子が詳しく描かれている。関係する個所だけ抜粋で紹介する。
 昭和19年(1944)2月17日午前4時20分、トラック島に向かう日本の輸送船団は突如、グラマン戦闘機の大群に奇襲された。次々、火柱をあげて撃沈されていく船団。敵機が去ったあと救助に駆逐艦「藤波」が到着。薄暗い海面で生存者を探しはじめた。一人、また一人と救い出される兵士。だが、時間が過ぎるうちに生存者は少なくなっていった・・・・。
 あ、まだあそこに一人いる !! 波間に兵士らしき一体が浮き沈みして漂っていた。救助ボートからロープが投げられた。 ロープは手ごたえなく、はずれてかえってきた。
「バカヤローしっかりつかまるんだ。しっかりしろ !! ソーラ、もう一回投げるぞ !! 」水兵は大きな声で言ったがあい変わらず何の反応もなく通り過ぎてしまった。
「これは、おかしい ? ボートをもどせ ?! 」
と言って、若い水兵が兵隊の顔を引き上げ懐中電灯でみたら、すでにこときれていた。今井

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一等兵はその顔をみた瞬間「あ !! 」
と声を上げた。まぎれもなく、下原忠男一等兵だった。
「おい !! 下原じゃないか。しっかりしろおい !! おい !! 下原」
今井一等兵は彼のほおを軽く打ちながら呼びつづけた。
 まだ体温がかすかに感じられた。しかしすでに手遅れだった。
「バカだな下原、きさまここまでよく頑張ってきて、死ぬとは何ということだ !! 」
今まで本当に苦楽を共にしてきた身近な戦友の死を今井一等兵はたえられない気持で、水兵のやる人工呼吸をながめていたが、再び生き返ってはこなかった。
 彼は宇品を出る前、下原一等兵といっしょに資材積み込みの仕役にいった時のことを思い出していた。米、かんづめ、酒、菓子などを船倉に積み込んでいる時、あやまって酒ビンをこわした者があった。その時よせばいいのに、そのこわれたビンに残っていた酒をこっそりカゲで飲んだ。その中に特に酒に弱いヤツがいた。船倉の仕役が終わって甲板で点呼という時に酔っていて上がってこられない。戦友思いの下原一等兵が気付いてあわてて、船倉へ救出にもどったがうまくいかなかった。
 かわいそうに下原一等兵も同類とみなされて、あの時は曹長からひどいピンタをくらった。しかしピンタはくったけれども、ついに下原は言いわけをしなかった。前職は警察官だったというがえらいものだとこのことがあってから、中隊内では文句なしに下原株はあがった。今井一等兵は冷たい下原一等兵のなきがらの前にそのことを思い出していた。
「下原、きさま何で死んだバカだな ――」
泣きながら何回も下原の名を呼び続けていた。
 本船から救助作業中止命令が出たのはその時だった。
                       昭和53年発行『松本連隊の最後』から

 ここに抜粋紹介した本書は、応募した235人の自衛官たちに是非とも読んでもらいたい1冊である。が、日本におけるルポタージュ文学の最高傑作といえば、この従軍記において他はない。石川達三の『生きている兵隊』(中公文庫)である。
 戦争を知るために、またルポータージュ文学最高峰を知るためにテキストとして、最初の様子を読んでもらいます。日本は、1889年、明治22年に大日本帝国憲法を発布した。陸軍は、徴兵令を改正し、免除規定のほとんどをやめ、兵役の義務を強化した。赤紙一枚で、平凡な一市民を、望むと望まないに関わらず狂暴な殺人者に変える。それは日本が戦争に負けた1945年8月15日までつづいた。
 石川達三の『生きている兵隊』は、普通の市民、医学生や僧侶が戦地で、どのように兵士になっていくのか、しっかりと観察している。
 なお本書は、創作ルポとなっているが、当時、軍規制の厳しいなかノンフィクションとするには、不可能だった。もっとも、創作ルポと銘打っても、書店に並んだその日に発売禁止となり、回収された。『生きている兵隊』脱稿までのドキュメントは以下の通り。
・1937年(昭和12)7月7日 盧溝橋事件。元幕僚長論は、最初の一発は中国兵が撃ったと
 あるが事実誤認らしい。一般的な見方は、日本軍が、戦争を仕掛けるための罠。口実に日
 本は、日中戦争に突入。兵隊を続々中国に送り出した。多くの作家が中国に渡って従軍記
 を書いた。32歳の新進気鋭の作家石川達三にも、依頼がきた。石川は「毎日読む記事が
 画一的なので腹が立ちました。戦争というものは、こんなもではない」
・同年12月25日、東京を出発、翌年1938年1月5日に南京に着く。ちなみに南京虐殺疑
 惑があるのは12月13日。20日遅れではあるが、石川は日本軍南京攻略のなまなましい
 現場を目撃したはずである。
・1938年2月1日から書きはじめ11日に脱稿。330枚。『中央公論』3月号掲載、2月17
 日配本されるが、時局柄不穏当な作品と発売中止に。石川は警視庁に連行された。
・1945年12月末、発刊される。


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3.世界名作読み・詩編 秋の詩

 ヴェルレーヌの作品から「沈む日」と「秋の歌」を読みます。二人の訳者のものです。訳者によって名作の印象は、違うか、違わないか。そのへんを気にとめて吟唱してください。
※ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896 1月7日~8日夜デカルト街39番地の陋屋にて死ぬ)

訳者・堀口大学『土星の子の歌』から     訳者・橋本一明『土星びとの歌』から

   沈 む 日               沈む日

たよりないうす明り             弱まった あけぼのが
沈む日の                  沈む日の
メランコリヤを               メランコリーを
野にそそぐ。                野にそそぐ
メランコリヤの               そのメランコリーが
歌ゆるく                  やさしい歌で
沈む日に                  沈む日に
われを忘れる                とろけこむ 心をゆする
わがこころ                 砂浜に 沈みゆく
うちゆする。                夕日さながら
砂浜に                   たえまなく 消えていく
沈む日もさながらの             奇妙なる さまざまの夢            
不可思議の夢                あけいろの亡霊か
紅の幽霊となり               たえまなく 消えていく
絶えまなくうちつづく            砂浜に 沈みゆく
大いなる沈む日に似て            夕日さながら
砂浜に。

  秋 の 歌               秋の歌

秋風の                    忍び泣き
ヴィオロンの                 ながくひく
 節ながきすすり泣き             秋の ヴィオロン
もの憂きかなしみに              ものうくも
わがこころ                  単調に
 傷くる。                  ぼくの心を いたませる

時の鐘                    時つげる
鳴りも出づれば                鐘の音に
 せつなくも胸せまり、            胸つまり あおざめて
思いぞ出づる                 過ぎた日を
来し方に                   思い出し
 涙は沸く                  ぼくは泣く

落ち葉ならぬ                 性悪の
身をばやる                  風に吹かれて
  われも                  ぼくは行く
かなたこなた                 ここ かしこ
吹きまくれ 逆風よ。             吹き散ろう  落葉さながら


文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.114―――――――10 ―――――――――――――――――

課題1の提出発表・『灰色の月』(前号と重複個所があります)

 『灰色の月』は400字詰め原稿用紙にして僅か6、7枚の作品である。見方によれば、エッセイのような短文とも呼べない小品である。だがしかし、この作品は、数百枚の作品に匹敵するものがある。この車内観察から時代の闇が垣間みえる。戦争の悲劇を感じさせられる。そこに、この作品が名作といわれる所以がある。
 たんに面白いだけの物語、感動小説。それらはどんなにベストセラーであったても時代の流れとともに消え去るだけ。『網走まで』や『灰色の月』は、何の変哲もない短編。だが、両作品とも文学の手本として、こうして読み継がれている。普遍である。それはなぜか ?
課題『灰色の月』では、そのあたりを考えてもらえれば、と思いました。

課題発表

Q1.車中で.飢え死にしそうな少年が、あなたの隣りにいたら

小黒貴之

 彼の行動は咄嗟の反射であって意識のなしたものではないと思える。潜在的には少年をどれだけ忌避していたのかもしれない ―― 自分だったら ? 多分そのときの心模様しだいだろう。手を差しのべることもあるかもしれないが、舌打ちして身をさけることも十分考えられる。

臼杵友之

 主人公自身が、自分の事で手一杯なら同じ行動をとったかも知れない。

飯島優季

  たぶん何もしないと思う。なぜなら、何かしら行動しても、それは全て気休めでしかな
 かったり、欺瞞でしかないような気がするので、それがブレーキとなって何も行動には移
 せないと思う。

刀祢平知也

 心と懐に余裕があれば、救ってやろうと思うかもしれないが、この作者の立場、境遇をふくめたら、きっと見て見ぬふりをすると思う。

秋山有香

 どうにもできなかったと思う。

川端里佳

 特に何もしない。色々と巻き込まれそうだから。ただ少年工を肩ではらったりしない。


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瀧澤亮佑

 昭和20年10月、敗戦直後の混乱期だ。自分はもちろん生まれていないからこの時期の現状は分からないけれど、俺だって飢えているんだし、少年工をほったらかしたと思う。

長沼知子

 当時の状況下だったらわからないが、今の私が少年工に寄りかかられたらスッと身をかわすと思う。14、5の少年ならまだしも流石に17、8の少年工は立派な男であるから寄りかかられたくない。特に話し掛けずやり過ごすと思う。

Q2.この作品は、当時、作者批判の材料にされたが、あなたの感想は

小黒貴之

 批判される材料になるということ自体がうまく理解できない。少年に肩をかしてやれなかったことに咎があるのだとすれば、、それは人間の理性や知性とやらを過剰評価・期待しすぎるというものだろう。現代文明の不幸は肉体も心も知識で制御できると過信したことにある。

臼杵友之

  時代に取り残された少年と、現在を生きる人々とを作品の中で対峙させた反社会的な1
 本であると思う。

飯島優季

  特に作者の何を批判するということはない。

刀祢平知也

 作者批判する必要はない。人間の心理なぞは弱いものだ。真理とはこういうものなのではないだろうか。

秋山有香

 批判することが、特にない。よりかかってきた少年を突き返すことはしなくてもよかったかもしれないが、電車を乗り間違えた少年に何もしてあげられないのは、きっと私も同じなので批判できない。

川端里佳

 肩ではらってしまったことは良くなかったと思う。でも、それ以外は、特に批判することではないと思う。今の時代、電車のなかでは知らんふりする人が多いのも事実。

長沼知子

 全体を通して電車に乗った時の人間観察が描かれているが描写が多すぎて内容が把握しずらい。しかし、そのまま「はい、そうですか」と終わりそうな所を、少年工の「どうでも、かまわねえや」の部分が出てきたためにこの話に余韻がもたらされているように感じる。


文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.114―――――――12 ―――――――――――――――――


Q3.『網走まで』と『灰色の月』との間には37年間の歳月がある。
 
小黒貴之 

○ 車内から時代を読みとることができるか
  「―一頃とは人の気持も~」など終戦を迎えてしばらくたったのがうかがえる。
○『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか
 予見という言葉が相応しいかわかりかねるが、人間の動作の機微から人間の本質をうかが
 うというスタイルは共通しているといえよう。いうならば『網走まで』は37年前に書か
 れたある日記の1ページとみれるのではなかろうか。

臼杵友之

○ 車内から時代を読みとることができるか
  少年の行動から"笑い"と"不安"を感じ取った。まだら模様の心情を人々は抱いている。
○『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか
  わからない ?


飯島優季

○ 車内から時代を読みとることができるか
  少年工の存在から、少しは読み取れる。
○『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか
  『網走まで』の内容を、もうほとんどうろ覚えなので、何とも言えないが、この『灰色
 の月』を読んでも『網走まで』の内容を思い出したりすることがなかったので、そこまで
 予見しているとは思えない。

刀祢平知也

○ 車内から時代を読みとることができるか
  できる。
○『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか
  『網走まで』をあまり覚えていないのでなんともいえない。

秋山有香

○ 車内から時代を読みとることができるか
  あまり時代を連想できない。
○『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか
  『網走まで』も『灰色の月』も列車内の様子を書いたものだが、予見しているかと聞か
  れると、あまりそうも感じられない。予見というか、たんに作者の作風だと思う。


――――――――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.114


川端里佳

○ 車内から時代を読みとることができるか
  『網走まで』の方が隣りに座った人などとの交流が優しい気がする。
○ 『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか
  あまり予見している様には感じませんでした。
  車内という共通点はあるけれど、二つは違う世界観を感じました。

瀧澤亮佑 

○ 車内から時代を読みとることができるか
  乗客が皆、くたびれている様な印象を受ける。
○『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか
  当時、線路が敷設されていなかったという「網走」までの行き着く先が『灰色の月』だ
  ったのかもしれない。

長沼知子
 
○ 車内から時代を読みとることができるか
  現代とは明らかに違う、戦後間もない東京の様子がうかがえる。
○『網走まで』は『灰色の月』を予見しているか
  『網走まで』を明確に覚えていないため意見でき兼ねます。

志賀直哉・車中作品の普遍性

 志賀直哉の車中作品に限っていえば、はじまりの『網走まで』と、終盤の『灰色の月』は、文学的にはほぼ同レベルといえる。他の車中作品も同様である。それ故、どれも珠玉な作品となっている。いずれも、優れた乗客観察、人間観察である。が、『網走まで』と『灰色の月』には、その方向性において他作品と異なるものがある。『網走まで』と『灰色の月』は、たんに乗客観察に留まっていない。乗客を突きぬけ、向こうにひろがる社会や時代を静かな怒りをもって見つめている。時代への対峙がある。正確には覚えていないが、十年ほど前だったか新聞で石川啄木の書き物のなかに東京大空襲を予言したようなものがあったという記事を読んだことがある。『網走まで』にもそれがある。かつては良家の子女であったろう女。今は、病気がちな幼子二人を連れ、ちいさな荷物一つを持って、まだ鉄道も敷かれていない北の果てに行くという。女と子供たちの運命は目にみえるようだ。同じころ東京に向かう列車の中で三四郎は、富士山を見て日本には「あれよりほかに自慢するものは何もない」と悲観する同席の男に「しかしこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。が、男は即座に「亡びるね」と、言った。
 漱石と志賀直哉。歳は違うがともに明治という時代を見続けてきた作家。奇しくもその作品『三四郎』と『網走まで』において日本の未来を予見している。落ちぶれてゆく母子、希望に燃えて上京する若者。その未来は、共に絨毯爆撃によって焼け野原となった敗戦日本である。「こんな日本に誰がした」。『灰色の月』から怒号が聞こえてくる。
 志賀直哉の観察眼は、一部軍人に利用された天皇制をも客観視する。
「ゼミ通信」編集室


文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.114―――――――14 ―――――――――――――――――

課題2の提出発表・「太陽のせい殺人事件」初審(『異邦人』)

 被告人は、母親の葬式の翌日、海水浴にゆき、女と関係を結び、フェルナンデルの映画を見て笑いころげ、やくざな友人の女でいりに巻き込まれ、ピストルでアラビア人を殺害した。裁判で犯行理由を、その日、暑かった「太陽のせい」と証言した。

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川端里佳
1.事件のあらまし(検察側・告訴状)
 
 容疑者は友人と海へ行ったところ、アラビア人の集団が襲ってきたため、殴りつけた。ケガをした一人を医者へと連れていったが、その後に、友人がまた海に行ったのでついていった。そこでアラビア人の集団と再会したが、銃を出そうとした友人を止める。そして、友人と別荘まで行き、一人で再び海に向かった。そこで友人が最初に殴った相手と再会。相手が攻撃してきたため、銃を撃った。

2.弁護するとしたら(弁護側)

 相手が先に攻撃してきたため、銃を撃ったのは正当防衛である。

3.判決・量刑・理由(裁判長の見方)
 
判決=有罪 → 量刑 = 執行猶予一年から二年

量刑の理由 → 正当防衛ではあるが、アラビア人に最初に襲われてから何度も海へと
         行っている。関わりたくなかったら海など行く必要はなかったのではな
         いだろうか。また、友人が攻撃的になっていたことも分かっていたはず
         で余計に海へは行かない方が良かったのである。そのため無罪ではなく
         執行猶予だと考えた。 

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秋山有香
1.事件のあらまし(検察側・告訴状)
 
 友人に怪我を負わせたアラビア人と遭遇。襲ってきたためにピストルを発砲。殺害。

2.弁護するとしたら(弁護側)

 友人がアラビア人につきまとわれており、実際、見られているということがあった。また、その友人は怪我を負わされている。そんな中、同じアラビア人の仲間と遭遇してしまい、刃物を持って向かって来られたので、思わず、たまたま預かっていたピストルで撃ってしまった。殺すつもりで最初からピストルを持っていたわけではなく、また、こちらから先にピストルを向けているわけでもない。これは正当防衛といえる。

3.判決・量刑・理由(裁判長の見方)
 
判決=無罪  理由 → 正当防衛だから。 


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大谷理恵
1.事件のあらまし(検察側・告訴状)

 友人レエモンのトラブルに巻き込まれてアラビア人を殺してしまった。

2.弁護するとしたら(弁護側)

 母親を失くした空虚感で物事に感心がいかなくなっている。恋人からの求婚にも誠実とはいいがたい対応からもそうみえる。

3.判決・量刑・理由(裁判長の見方)

判決=有罪 → 量刑 = ?

有罪の理由 → なりゆきで殺したように見えるが事故とは見えない母親が死んでも涙
         を流さなかったことからムルソーは無感情の冷たい人間と思われたが、
         ムルソーをよく知る老人は「大変、ママンを愛していた」と述べている
         ことからそうではないといえる。また、動かない死体にさらに銃弾を撃
         ち込み、アラビア人が確実に死んだかどうか確認したから。

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小黒貴之
1.事件のあらまし(検察側・告訴状)

 被告ムルソーは友人レエモンと悶着のあったアラビア人は、刃物を所持し事前にレエモンに対し負傷をおわせている。―― 発砲、致命傷を与え殺害、のちに四発の銃弾を撃ち込む。

2.弁護するとしたら(弁護側)

 正当防衛、友人レエモンの受けた傷害を目の当たりにしたばかりでもあり、身の危険を感じていたろうと思われる。加えて先日、母を亡くしたことや太陽の熱射にやられて正常な判断がしにくかった。

3.判決・量刑・理由(裁判長の見方)

判決=有罪 → 量刑 = 懲役2年

有罪の理由 → 正当防衛という見方もできるが、弾丸は計5発発砲されており、防衛 
         の域を脱している。いわゆる過剰防衛に相当すると思われる。しかし、
         被害者側も白刃を抜いており事前に事前にレエモンに手傷を負わせて
         いることなどから被告が身の危険を感じたことは考慮できる。喧嘩両成
         敗に余分な弾丸4発を2人分でわって2年が相当。

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.114―――――――16 ―――――――――――――――――

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飯島優季
1.事件のあらまし(検察側・告訴状)

アラビア人1名を殺害。計5発を撃った。

2.弁護するとしたら(弁護側)

・ 相手も武器を持っていた。
・ このアラビア人とその仲間は、主人公の友人に害を成していた。

3.判決・量刑・理由(裁判長の見方)

判決=有罪 → 量刑 = 懲役10年(無期または5年以上)

有罪の理由 → 殺人以外の何ものでもないから。でも相手も武器を持っていたことや、
         これより前に、主人公の友人を傷つけていることから考えて、無期懲役
         よりは、5年以上の懲役の方が合ってるとは思う。 
         あとは何となくて10年。

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アルベエル・カミュ年譜

・1913年、アルジェリアに生まれる。労働者の家庭。父親は、早くに亡くなる。
・1936年、アルジェ市の国立大学哲学科を卒業。文学と演劇を目指して各種職業を。
・1940年、「パリ・ソワール」紙の記者としてパリに。ナチドイツの占領下に。アルジェに
      逃れ、私立学校の教師をしながら文学活動。
・1942年、『異邦人』が刊行。一躍文壇の第一線に。
・1960年、自動車事故で急逝。47歳。

『異邦人』について

 この作品は、評論集『結婚』や『表と裏』と共に、カミュのアルジェ期を形造る作品である。ここには、存在の「根源的不条理」とそれにも拘わらぬ「生への信仰」という二つのテーマが、フィナーレの主人公の絶叫へ向かって、次第に力強く盛り上げられる。主人公のあらゆる行為が、カメラという非情な眼と、極度に乾燥した文体とに描き出されていることにおいて、30年代の小説家(例えばモリャック)と異なり「不条理」の認識が、にも拘わらず「生への信仰」をともなうところに、『嘔吐』のサルトルと相隔たる。カミュにとって「生への絶望なしに、生への愛はありえない」と同時に「精神性がモラールを追放し、希望の全くの欠如から幸福が生まれ、精神が自らの理由を肉体のうちに認める瞬間にこそ、至上の智慧が在する」のだから。
                  1954月8月 訳者・窪田啓作


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土壌館ニュース(10・27ゼミ報告)

後期5日目は、順調の旅路

参加者は15名、1名欠席でした。

司会進行は、小黒貴之さん
 
 司会は、二巡目に入りました。思えば、前期最初のゼミは、皆さんの顔も名前もはじめて、何もわからないなか闇雲に小黒さんにお願いしました。一巡して思うことは、偶然とはいえ、トップバッターが小黒さんでよかったといういうおもいです。終わりよければすべてよし。こんな言葉がありますが、はじめよければすべてよし、こんなふうにも思います。

参加者紹介(敬称・順番略)
 
阪本義明、 大野菜摘、 川端里佳、 本名友子、 長沼知子、 大谷理恵、
瀧澤亮佑、 秋山有香、 田山千夏子、橋本祥大、 小黒貴之、 野島 龍
臼杵友之  飯島優季  

1.ゼミ誌作成経過報告 編集委員

   ・ゼミ誌原稿全員から提出   ・29日(金)昼休み編集会議

2. 尾道幼女誘拐事件公判・結審

 再犯の可能性がある。幼女のトラウマ、両親、関係者を苦しめたことを考えると、孤独、精神衰弱を差し引いても無罪にはできない。無期~無罪まであったが、

判決は → 有罪、量刑は、懲役5年とでました。執行猶予は ?
      執行猶予がつかないと実刑5年ですが、そのへんは ? でした。
執行猶予 Wikipedia

罪を犯して判決で刑を言い渡された者が、その執行を条件付で受けなくなる制度。
日本では、刑法25条~27条。判決には、執行猶予付判決と実刑判決の二つがある。

例えば・懲役2年の場合、実刑判決ということで、すぐに刑務所にはいります。
    しかし、執行猶予付懲役2年というと、ただ単に3年間執行が猶予されるだけでな
    く、この間に他の刑事事件を起こさずにすめば、懲役2年という刑の言い渡し自体
    がなかったことになります。
※ 日本では重い刑や軽い刑には、執行猶予はつきません。が、中国のように死刑に対しても執行猶予が付与される国家もある。代わりに日本では軽い罪でも死刑になる場合もある。

3.家族観察『にんじん』の「尿瓶」「うさぎ」「鶴嘴」「猟銃」「もぐら」の読み。
 この家庭の問題点は、母親の偏屈癖、父親の無関心というか家族観察の無能さ。
 家族のなかで孤立する「にんじん」の心の行き先は・・・・。

4.車中観察・テキスト『灰色の月』途中読みで時間のベル。次回ゼミへ。


文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.114―――――――18 ――――――――――――――――― 

土壌館創作道場・プレイバック青春観察

汐留青春グラフィティ④

 日比谷公園で行われたベトナム戦争反対集会に参加した私は、デモ隊と機動隊の衝突に巻き込まれ、警察に追われることになった。私が潜伏したのは、汐留にある貨物駅だった。毎日、日本全国から鉄道荷物が到着し、また全国に発送されていた。そこには、いろんな青春があった。奇妙な連中がいた。

 
 次の貨車が入るまで、貨物会社の職員も、バイトの臨職も休憩場所のホーム先端で、仲良くくつろいでいた。談笑、喫煙、時間があればチンチロリンか十円飛ばしの賭け。私は、皆の様子をながめているうちに、うつらうつらしていった。
 突然、遠くでベルが鳴りはじめた。ハッとして目をあけた。青空がまぶしかった。随分、長いこと眠っていたような気がした。べルは到着列車の合図だった。積み下ろし班は、職員も臨職も、ダラダラと到着ホームに向かった。
積み荷班の連中は、まだ休んでいた。家出少年は、線路の上を退屈そうに歩き回っていた。チャーリーのおっちゃんは、ずっと競馬新聞をひろげて検討中。喫煙ベンチでは、あいかわらず季節のおっちゃんと職員たちがD51のように煙をはきだしていた。
 向かいの三番ホームに、荷下ろし班の職員や臨職が集まっていた。人数が少ない。そんなときには積み込み班に召集がかかる。例によって、よせばいいのに
「よお、うちの兵隊、貸そうか」
軍曹が、大声で助っ人を申し出る。
「頼んまっす!」
荷下ろし班の班長は、軍曹に向かって敬礼した。
 お人好しの軍曹は、ご機嫌になって、大声で命令する。
「そういうわけだ。みんな三番ホームに応援に行ってくれ」
とたん積荷ホームに「ふあー」とため息がもれた。積み下ろし班の連中は、こちらがどんなに忙しくても応援にきたことがない。皆は、不満そうに到着ホームに向かった。
「おい、見ろよ」
途中、三回戦ボーイのアサッテが、振りかえって指差した。
 パチキチが、軍曹にぺこぺこ頭をさげていた。いつもの光景だった。すぐにわかった。
「まただよ、ゴマすってやがる」
「いいじゃあねえか。一人残って休んどってもつまんねえよ」
「だけどよお、いつもだぜ」
「だったら、お前ゴマすってみな、残してくれるかもしれんから」
ヒゲのバンドマンは、皮肉っぽくからかった。
「おれは休みたくて言ってんじやあねえ。奴のああいう根性が嫌なんだ」
アサッテはカッとなって言い返した。
 二人の間に一瞬、気まずい雰囲気が流れた。が、つぎの瞬間、劇団さんが、直立不動の姿勢になって、最敬礼して怒鳴った。
「軍曹殿!自分を銃後の守りにつかせていただきたいのであります。待機させてください」
 皆、きょとんとして劇団さんを見ていたが、自称フリーカメラマンが拍手して言った。
「いいねえ、こんど『兵隊やくざ』で使ってもらえよ」
「そう、リアリティあった」
劇団さんは、うれしそうに聞いた。
「あったよ。様になってねえところが」自称カメラマンはからかった。「二等兵みたいで」


――――――――――――――――――― 19 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.114

「ど、どういう意味ですか」
言って劇団さんは、大げさにずっこけた。
 皆、どっと笑ったが、三回戦のアサッテだけは治まらないのか
「ふざけた野郎だ」
と、吐き出すようにひとりごちた。
 ギーという重量感あふれる金属音が、構内に響き渡った。ブレーキを目いっぱいかけて貨物列車が入ってきた。よほど荷を満載しているらしい。このごろはブレーキ音で荷物量が判断できた。到着ホームは、台車やベルトコンベア―が並べられ騒然としてきた。チャーリー、家出少年、劇団員、バンドマン、アサッテは同じ車両についた。自称カメラマン、もしかしたら野球選手、大男のフランケン、自称受験生のグズラ、倒産社長、それに季節のおっちゃんたちは、隣りの車両に行った。たいしたメンバーである。
「おたのしみー」
アサッテは、治まらない気持ちをぶっけるようにやけ気味な大声で言って、手カギでアルミの止め金を引きちぎった。どの貨車も、積荷の後、アルミで必ず封印するのだ。
「さーいくぜー」
劇団員とバンドマンが鉄のドアを両側に一気に押し開けた。
 天井まで荷物がぎっしり積みこまれていた。いきなり支えを失った荷物の壁は、一瞬、戸惑ったように揺れて、次の瞬間、大きな波のようにダダダッと崩れ落ちてきた。皆、わーと喚声をあげて左右に逃れた。
 日本の最南端からの長道中だ。カビ臭いにおいとすえたにおいが鼻をついた。冬でこれだから夏は、もつとすごいだろうと想像できた。
「これじゃあ、人なんか入る隙間なんかねえよなあ」
貨車からこぼれ出た荷物の山を前に劇団さんは、感心したようにつぶやいた。
「九月は荷物、少ないんだろ」
「だろうな、でなければ死んじゃうよ」
ヒゲのバンドマンは、頷く。
 三人組みが何を話ししているかわかった。彼らも誰かに聞いた話だが、貨車の中に人が入っていたことがあったらしい。地方の駅でか、作業員の目を盗んで積荷の最中に入りこんだ。アメリカの映画でよく見かける。映画はカギがかけられないが、日本は必ずカギをかけられる。その人も出るに出れなくなって終点の汐留まできてしまった。どこからか知らないが狭いところに長時間いたものだから、脱水症状をおこしていて救急車で運ばれていったという。
「しかし、なんだって、貨物列車になんかもぐりこんだんだ。ちょっと頭使えば、無賃乗車なんかいくらでもできるのに」
「頭、使わなくたってできるよ。おまえなんか、いつだってキセルやってるじゃねえか」
「小便や糞、どうしたんだ」
「きまってるじゃないか、中でやるさ」
「くせえ話しすんなよ。やる気しなくなるじゃんか」バンドマンは、苦虫をつぶす。
「あ、だれかいる!」劇団さんは叫んだあと「ウソだよ」と舌をだす。
皆は、荷下ろし役、コンベアー役、仕分け役、台車積み役にそれそぞれ分かれて作業を開始した。荷下ろし作業は小一時間つづいた。作業が終わったとき、皆、ヘトヘトだった。そのとき、まるではかったように
「積み荷班、早く戻れー」
と軍曹のご機嫌の声がホームに響いた。
 下ろした荷物が選別されて、積荷ホームに回ってくる。これから旅がはじまる荷物もある。積み荷班の応援部隊は、不平のため息をつきながら、再び一番線の積み荷ホームにぞろぞろ戻った。仕事は、はじまったばかりだったが、早くも皆、疲れきっていた。
  つづく


文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.114――――――20 ――――――――――――――――― 

掲示板

提出原稿について

◎ 課題原稿 → テキスト配布。主に裁判もの。事件概要、告訴状、弁護、判決理由
○ 車内観察 → 電車の車内で観察したこと(創作・事実どちらでも)
○ 1日の記録 → 自分の1日を観察する(自分のことをどれだけ晒せるか)
○ 生き物観察 → 人間、動物、草木、生あるものすべての観察(宇宙人の目で)

 締め切りはありません。書けた人は、どんどん提出し、皆の評価をみてみましょう。何事も切磋琢磨です。

後期・配布テキスト一覧

 9月22日 → 志賀直哉『ハンの犯罪』
 9月29日 → ヘミングウェイ『殺し屋』、ニコライの『古事記』
10月 6日 → ルナール『にんじん』、志賀直哉『幼女を盗む話』
10月20日 → ルナール『にんじん』、「尾道幼女誘拐事件公判」
10月27日 → カミュ『異邦人』

ドストエフスキー情報

11月22日(土) : ドストエーフスキイの会例会 会場は千駄ヶ谷区民会館
           午後6時から 講演者・清水正氏(日芸教授)  
12月20日(土) : ドストエーフスキイ全作品読む会「読書会」、 
           会場は東京芸術劇場第1会議室 午後2時から
           講演者・高橋誠一郎氏(東海大教授)
詳細は、編集室
ゼミ誌発表(合)+課題・提出原稿(2×)+出席(1×)=評価(60~120)                               
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編集室便り

☆「2008年、読書と創作の旅」内容は、本通信に掲載します。
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。

訂正
「尾道幼女誘拐事件裁判記録」に誤謬がありました。川端、秋山判決が入れ替えに。

        

参考資料
 いよいよ来年2009年5月21日(平成20年)から裁判員制度が施行される。これにより同年7月以降から実際に一般市民が裁判に参加することになる。「裁判院制度とは何か」を知りたい人はHPにあったWiKiPediaを以下に転載したので読んでください。
 裁判員制度は、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての裁判である。例外として、「裁判員や親族に危害が加えられるおそれがあり、裁判員の関与が困難な事件」は裁判官のみで審理・裁判する(法3条)。被告人に拒否権はない。裁判は、原則として裁判員6名、裁判官3名の合議体で行われ、被告人が事実関係を争わない事件については、裁判員4名、裁判官1名で審理することが可能な制度となっている(法2条2項、3項)。裁判員は審理に参加して、裁判官とともに、証拠調べを行い、有罪か無罪かの判断と、有罪の場合の量刑の判断を行うが、法律の解釈についての判断や訴訟手続についての判断など、法律に関する専門知識が必要な事項については裁判官が担当する(法6条)。裁判員は、証人や被告人に質問することができる。有罪判決をするために必要な要件が満たされていると判断するには、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない(一部立証責任が被告人に転換されている要件が満たされていると判断するためには、無罪判決をするために合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない)。以上の条件が満たされない場合は、評決が成立しない(有罪か無罪かの評決が成立しない場合には、被告人の利益に無罪判決をせざるを得ないと法務省は主張しているが、法令解釈権を持つ裁判所の裁判例、判例はまだ出ていない)。なお、連続殺人事件のように多数の事件があって、審理に長期間を要すると考えられる事件においては、複数の合議体を設けて、特定の事件について犯罪が成立するかどうか審理する合議体(複数の場合もあり)と、これらの合議体における結果および自らが担当した事件に対する犯罪の成否の結果に基づいて有罪と認められる場合には量刑を決定する合議体を設けて審理する方式も導入される予定である(部分判決制度)。裁判員制度導入によって、国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている一方、国民に参加が強制される、国民の量刑感覚に従えば量刑がいわゆる量刑相場を超えて拡散する、公判前整理手続によって争点や証拠が予め絞られるため、現行の裁判官のみによる裁判と同様に徹底審理による真相解明や犯行の動機や経緯にまで立ち至った解明が難しくなるといった問題点が指摘されている。裁判員の負担を軽減するため、事実認定と量刑判断を分離すべきという意見もある。
 最高裁によると、全国の裁判員裁判対象事件は2004年の3791件から減少傾向にある。都道府県別で昨年、対象事件が最も多かったのは①大阪306件、②東京255件、③千葉214件の順。最も少なかったのは福井県の7件。罪名別では、①強盗致死傷695件、②殺人556件、現在建造物など放火286件、強姦致死傷218現在と続いた。(新聞8・5)
選ばれる確率は4911人に1人(全国平均)


ゼミ誌について

ゼミ雑誌発行12月15日を目指して

 ゼミの実質的成果は、決められた期日までのゼミ雑誌発行にあります。毎年、納品日の遅れが指摘されています。一年間の大切な成果なので、しっかり守って、よい雑誌をつくりましょう。本ゼミは、二人編集長と一人副編集長に四人の編集委員が、アシスト、全員が協力します。ゼミ誌は自分の作品でもあるので、全員一丸となって当たりましょう。
・編集委員長=川端里佳 大野菜摘
・編集副委員長=小黒貴之
・編集委員=阪本義明 橋本祥大 飯島優季 瀧澤亮佑 
・補助委員=本名友子 長沼知子 大谷理恵 野島 龍 田山千夏子 臼杵友之 
      秋山有香 神田泰佑 刀祢平知也

ゼミ誌作成の進行状況と予定は以下の通りです

○決定事項 6月9日報告 → 印刷会社、フジワラ印刷(株)決定             
      6月16日 テーマ決め → 「空」内定
      ゼミ誌表紙デザイン、奥付など → 小黒、田山が担当
      原稿締め切り → 夏休み明け
      タイトル決め → 7月14日に決定「ドレミファそらシド」              

1. 6月中旬 → ①「ゼミ誌発行申請書」の提出。出版編集室に
2. 6月~  → ゼミ雑誌の装丁を話し合う。表紙デザインなど
3. 7月下旬 → 原稿依頼し、締め切り日、夏休み明け9月22日(月)。

4. 10月18日 → ページ数を増やしたい人は連絡。
  10月19日 → 最初から最後まで
  10月20日 → 
  11月10日 → ゼミ誌原稿の最終締め切り。

5. 10月上旬 → 編集委員は、内定の印刷会社から②「見積書」をもらう。
6. ~11月 → 「見積書」の提出。印刷会社と相談しながらゼミ雑誌作成。
7. 12月 → 15日までにゼミ誌提出、③「請求書」提出

注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。


正月休みにゼミ誌を読んできてもらい、新年明け最初のゼミで合評会を行います。

☆ 2009年1月19日(月) ゼミ誌合評会


       

腕試し解答 → 


土壌館・下原ゼミ課題           2008・11・10配布

コルシカ・地主愛息射殺事件
メリメ『マテオ・ファルコネ』から
           名前・
1.あらまし

 被告人はコルシカに住む、裕福な地主。「貴族風に...つまり何もせずに、家畜から上が
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るもので暮らしていた」。射撃の名人で、土地の名士でもある。被告人には、子供が三人
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いる。「妻は最初3人の娘を生んだ。が、遂に男の子が生まれた」家の名を継ぐものとして
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被告人は可愛がった。しかし、息子が10歳になったある日、射殺した。理由は、息子が
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家の名を汚した。逃げてきたお尋ね者を憲兵に売って「裏切り者の家」と言われたから。
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2.被告人を弁護するとしたら・被告人の名誉とは何か

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3.この家族殺人・有罪なら量刑は、その理由は

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4.その場合、量刑はどのくらいか

5.その理由は

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6.弁護するとしたら

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7.自分が裁判官だったら、主文は


※ 長い場合は他の用紙でも結構です

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