文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.110

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日本大学芸術学部文芸学科     2008年(平成20年)9月29日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.110
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2008後期9/22 9/29 10/6 10/20 10/27 11/10 11/17 12/1 12/8 
12/15 1/19 1/26 
  
2008年、読書と創作の旅

9・29下原ゼミ

9月29日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2

 1.出欠・連絡事項・ゼミ誌原稿提出

 2.次回ゼミ課題・配布と説明
    
 3.世界名作読み・ある店内観察(バイトに関連して)
 
  4.座談会・社会観察(政治への関心度「私の意見」アンケート)
     
 
車窓・『カラマーゾフの兄弟』新訳100万部突破!!
  
 先ごろの新聞(9月13日読売)に上記の見出しのニュースを見つけた。記事は、2段の僅かなものだが、ある意味で全面ぶっちぎりにも匹敵する、大きな出来事でもある。まず古典ものが、一時期にこれほどのベストセラーになること事態、奇跡である。むろん古典は流行に関係なく売られているわけだから、『福音書』を含め、全世界で売られているのは膨大な数だ。が、1年、2年の短期間にとなると、日本だけの現象かも知れないが驚嘆するしかない。それに加えて、このベストセラー本が、古典のなかでも、長い、くどい、暗い、重いで最も敬遠されているドストエフスキーともなれば、これを奇跡といわずしてなんと言おうか。この快挙を新聞記事は、このように報じている。
 光文社は13日、古典新訳文庫として刊行している亀山郁夫氏訳のドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』が、全5巻合わせて100万部突破したと発表した。古典文学としては異例の売れ行きという。同書は2006年9月発売開始。好色で金に汚い父親の殺害事件をめぐる3兄弟の言動を通し、神、死、人間の罪などの問題を描いた19世紀ロシア文学を代表する長編。亀山氏は東京外語大学長で、新訳は、対話形式で進む言語のいきおいを生かした軽快さが特徴で、先行訳と比べ、読みやすく理解しやすいと評価されている。昨今の古典作品の新訳ブームのきっかけともなった。
 なぜ、ブームになったのか。諸説は多々ある。時代が要求した。訳が斬新で若者向けだった。などなどがあるが、肝心なのは、どれほどの人が、本当に実際に読みきるかである。
 この作品について記事では「19世紀ロシアを代表する」と書いてある。が、時代を超えて全世界文学の頂点にあることは、文学者のみならず多くの賢者が証明している。かのアインシュタインしかり、ニーチェしかりである。あのブッシュ・ローラ大統領夫人もいつも手元においてあるという。どこに魅せられるのか。秋の夜長、挑戦してみてください。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.110―――――――― 2 ――――――――――――――

車窓雑記

ソルジェニーツィン氏について
 
 2008年8月3日夜(日本時間4日朝)「現代のドストエフスキー」とも呼ばれていたロシアの作家アレクサンドル・ソルジェニーツィン氏がモスクワの自宅で亡くなった。89歳だった。確かな記憶ではないが、私がこの作家のことをはじめて知ったのは、1970年にノーベル文学賞を受賞したときだったように思う。そのころ私は、文学作品とは無縁だった。ふたたびインドシナに帰ることを夢みて業界紙記者となって文章修業しながらルポータージュものを読み漁っていた。むろんドストエフスキーは読んでいなかった。ノーベル賞受賞で話題になった、この作家の代表的著作『収容所群島』や『煉獄のなかで』『ガン病棟』も、書店の店頭で見かけたが、まったく興味なかった。これら本は、世界各国でベストセラーとなり8億円の印税が入ったというニュースを聞いたことがある。
 しかし、世界のことは知らないが、日本のメディアや文化人、知識人と云われる人たちは、この作家に対しあまりよい印象をもっていなかった。いまでは嘘のような話だが、当時は社会主義国は、理想の国家だった。今日、後継者で揺れる北朝鮮の金日成も英雄と言われていた。社会主義国の手本、ソビエトを批判する、この作家は多くの文化人、知識人から疎まれた。そのへんのことを読売新聞の社説は、わかりやすく書いている。以下のもの。

読売新聞・社説2008・8・5
 「収容所群島」などで知られるノーベル賞作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィン氏が死去した。89歳だった。旧ソ連の共産主義独裁体制と正面から戦ったロシアの知識人として、長く記憶にとどめられることだろう。ロシア革命の翌年、1918年にカフカス地方に生まれた。第2次大戦に従軍中、友人への手紙で暗にスターリン批判したことが発覚し、逮捕された。収容所に送られ、過酷な強制労働に従事させられた。
 こうした実体験が、作家活動の原点となっている。フルシチョフ第一書記によるスターリン批判の後に流刑を解かれ、62年には、デビュー作の『イワン・デニーソビッチの一日』を発表した。収容所の実態を告発した作品は、国内外に大きな反響を巻き起こした。
 しかし、ソ連当局の検閲の目は次第に厳しくなり、ソ連国内での作品発表は困難になる。『煉獄のなかで』『ガン病棟』などの作品は西欧で発表し、70年にノーベル文学賞を受賞した。しかし、74年には国家反逆罪で逮捕されて、国外追放となった。
 長年の米国での生活を終えて、ロシアに帰ったのは、ソ連崩壊後の94年のことだ。ソルジェニーツィン氏は、「現代のドストエフスキー」とも呼ばれた。19世紀ロシア文学の流れを汲み、キリスト教的道徳を重視した氏の批判の矛先は、現代文明にも向けられていた。
 しかし、ソルジェニーツィン氏の最大の功績と言えば、ロシア革命以来の共産主義を徹底的に批判したことだろう。73年からパリで刊行が始まった代表作『収容所群島』では、数多くの政治犯を収容所に送り抹殺したソ連体制を厳しく指弾した。「真実が瀑布となって襲いかかるとき、わが国にはいったい何が起こるだろうか」と、ソ連崩壊を暗に予告していた。
 しかし、こうしたソルジェニーツィン氏の発言は、日本の知識人の間では敬遠されがちだった。社会主義体制への幻想が、根強かったからであろう。
 『収容所群島』で告発された政治犯の収容所は、現在も、北朝鮮や中国などの社会主義国に存在している。
 共産主義に基づく一党独裁体制が続く限り、『収容所群島』はなくならない。ソルジェニーツィン氏が残した警告は、今日もなお生き続けている。

この作家のもので最初に読んだのは『マトリョーシャの家』だった。
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2008年、読書と創作の旅

後期「2008年、読書と創作の旅」

9月29日ゼミ・プログラム

はじめに  → 出欠、「ゼミ通信」配布、連絡事項、その他
         
司会進行決め  →  まだの人に(あと3名で一巡)

司会者進行

1.ゼミ誌作成に関する報告、原稿集め、予定  
 (川端・大野編集長、小黒副編集長、坂本・瀧澤・橋本・飯島編集委員)
 
 ○ゼミ合宿について 10月18日(土)軽井沢 募る参加者 

■既に連絡メールでご存知かと思いますが、下記の件、検討ください。 
 夏休みのゼミ合宿については、五月末に、小黒班長から参加者を募ってもらいました。が、参加者ゼロで取りやめとしました。後で想像したのですが、まだゼミがはじまったばかりで皆、お互いよく知らなくて、なんとなく敬遠した、積極的になれなかった。締め切りが早かったので考える時間がなかった。そんなふうに思い、悔いるところがありました。
 他ゼミも、そんなところがあって秋合宿するとのこと。その話を聞いて折角なので、うちも、参加者がいれば、参加してもよいと思いました。
 月日は、10月18日(土)~19日(日)にかけてです。
いかがでしょうか。
         参加者    名     

2. 次回ゼミの課題テキスト配布(10月6日に各自発表)

配布テキスト=志賀直哉『兒を盗む』

 このところ、子供に関して嫌なニュースがつづきます。九州で起きた母親による子殺し。いまも犯人がわからぬ千葉の5歳の女児殺しなど。これらは、殺人事件だが、子供の、女児のひとさらいも、ときどき起きたりする。何年か前、新潟の方であった誘拐監禁事件も記憶に新しいところだ。少女は、なんと9年も閉じ込められていた。こうした、誘拐監禁事件を起こす残虐非道な犯人の犯行心理は、いったいどんなものか。
 志賀直哉の『兒を盗む』を読んで、下記について発表してください。

1.犯人を有罪とし、より思い刑にするための検察側からの犯行調書の作成。
 例・私は、これこれ、このようにして事件を起こした。という確信犯の心理の告白。

2.犯人をより軽い罪とするための弁護内容を書き上げる。
 例・弁護の材料をあげる。

3.この事件の量刑について。あなたの判断は?(実刑か執行猶予)

※原稿、配布しますがメール送信でも大丈夫です。
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3. 世界文学名作読み

 先週のゼミで「私の夏休み」について報告してもらいました。バイトをして過ごした人が多くいました。わたしの体験ですが、学生時代は長期、短期にいろいろバイトをしました。一番、長かったのは、大手町にある毎日新聞社の地下での新聞梱包作業。100人近い学生が働いていた。地方版は夕方6時から11時まで。都内版は深夜0時から朝4時まで。お金は700円~1000円(時給は100円くらい)、2年間、地下に住み込みでした。次に長かったのは、江ノ島近くの日本石油のガソリンスタンド。夕方から朝、社員がくるまで。着替え室の折り畳みベッドで住み込み。夜間来る客に給油するのが仕事。1ヶ月1万円でした。ガソリン代のことで問題になっていますが、当時は普通ガソリンがリッター43円、レギュラーが58円だったように記憶しています。タイヤのパンク修理は500円。短期間では、卒業してからも様々なバイトをしました。レストラン、工事現場などなどです。
 創作のネタはバイト先にも多くあると思います。紹介する『殺し屋』は、旅の途中バイトでレストランの皿洗いした青年ニック・アダムスが店内で目撃したある出来事です。簡潔な文体のなかに、的確な情況が描かれています。そのへんを注目して読んでみましょう。

『殺し屋』アーネスト・ヘミングウェイ 訳・大久保康雄

ヘミングウェイは、デビュー作となった『日はまた昇る』や映画化でも人気がでた『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』など長編が有名だが、自身の少年、青春時代を描いた短編も忘れがたい。そのなかにあって『殺し屋』は、世界文学線上にあっても名作。まさに20世紀の短編小説を代表する作品です。無駄のない簡潔な文体は、現代文学の手本ともいえます。こんな文体を身につけたい・・・そんな思いで若い頃、原稿用紙にヘミングウェイの作品を繰り返し写し取ったことを懐かしく思い出します。訳者の大久保康雄は、あとがきで、この作品についてこのように紹介しています。

 『殺し屋』は、ヘミングウェイがつくりあげた小説技法の見本のような作品である。ヘミングウェイはここで、余分な描写や説明をいっさい払いのけて、設定された状況に読者を直接対面せしめるという彼独自のスタイルを、ほとんど純粋なかたちで示している。ヘミングウェイ・スタイルの裸形というべきものが、ここにはある。
 舞台がどこの町であり、登場人物がどんな性格をもっているのか、ここで提出される事件に到達されるまでにどのような過去があったのか、そういう説明は何ひとつなされていない。それでいて、描かれた場面の張りつめた緊張感が、異様なするどさで読むものの心に迫ってくるのである。
 文章の簡潔さということが果たしている大きな役割の一つは、いうまでもなく、描写や説明を極度にまで切りつめることによって、ある一つの特殊な状況を、そのまま普遍的な意味にまで高めていることである。この『殺し屋』にしても、もし登場人物の経歴や性格を示すために多くの説明がなされたとしたら、これらの人物は、普通の小説的意味では、それだけ具象的なリアリティを濃くするかもしれないが、この事件全体を、ただの特殊な一事件―たんなるギャングの内輪もめ程度のものとしてしまったであろう。こういう簡潔化は、しばしば日常的な事物に象徴的な意味を付与するものなのである。ヘミングウェイの新聞記者時代の先輩ライオネル・ロイーズが、この作品を評して、「対話と行動の最小限の描写だけの純粋な客観性の一例だ」と言っているが、まことにそのとおりといわなければならない。

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 物語の筋は簡単である。ニックは小さな町の簡易食堂で働いている。ある夕方、二人の男がやってくる。二人は殺し屋で、だれかに頼まれて、この町に身をひそめているスウェーデン人の拳闘家アンドルソンを殺しにきたのだ。アンドルソンは、いつも六時にはこの食堂にきて食事をとる習慣なのだ。しかし、この日は六時になっても彼は姿を見せない。七時になった。それでもこない。二人の殺し屋はとうとうあきらめて帰ってゆ
く。二人が立ち去ると、ニックは、危険を知らせるためにアンドルソンが泊まっている下宿屋へ駆けつける。拳闘家は、服を着たまま部屋のベッドに横になっている。ニックが殺し屋の話をしても、ただ壁を見つめたまま黙っている。警察に知らせようかと言っても、いや、どうにもしょうがないんだ、と言って、そのまま壁を見ているだけだ。この壁は無力な絶望感を象徴しているものと思われる。押しても、叩いてもどうにもしょうがない壁だ。
ニックとアンドルソンとのあいだにかわされる平凡な会話も、社会の表裏を経験してきた人間の絶望と、社会に足を踏み入れたばかりの恐れを知らぬ若者の勇気を対比させることによって、二つの世代の相違を巧みに暗示しているのである。ニックは、ここではじめて殺し屋たちの暴力の世界と拳闘家の絶望の世界に接触し、しだいに社会悪への目を開いてゆく。 新潮文庫『ヘミングウェイ短編集(一)』訳者「あとがき」より

この作品は1930年前後、ヘミングウェイ三十歳前後に書かれた。アメリカの三十年代といえば何か。禁酒法(1920-1933)でギャングが横行した時代である。映画『アンタッチャブル』にみる無法時代。ギャングに狙われたら、もうどうしょうもない。警察など当てにならない。この作品から若きヘミングウェイの怒りが伝わってくる。
 ギャング達は新移民と呼ばれる人達の子供達が多かったそうです。その代表的なのがイタリアからの移民の子のアル・カポネです。彼の残した言葉としてこんなのがあります。
 『私は市民が望むものを供給することで、金を稼いだだけだ。もし、私が法律を破っているというのなら、顧客である多くの善良なシカゴ市民も、私と同様に有罪だ。』 HP検索

作者について

1899年7月21日に生まれ
1961年7月2日に亡くなっている。ライフル自殺。

『老人と海』『キリマンジェロの雪』『フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯』
『河を渡って林の中へ』『持つものと持たざる者』など多数。

 20世紀文学は『失われた時を求めて』のプルーストとヘミングウェイからはじまったとも言われている。

芸研究Ⅱ下原ゼミNo・110―――――――― 6――――――――――――――――

4.社会観察・(政治・政治家・選挙とは何か)座談会

 24日、新内閣が発足した。もっとも、新しいといっても、予想がついたメンバーである。首相も麻生太郎さん以外の人が選ばれるとは、誰も思っていない。すべてが台本通り、シナリオ通りの「選挙内閣」である。と、すると一体、選挙は何のためにとなる。福田さんがやめたときに、最初からわかっているなら、無駄金と無駄な時間を使うなと言いたい。政治のことなど関係ない、と思うかも知れません。が、新内閣づくりにかかった費用はすべて税金である。彼らの生活費、活動費、遊行費、医療費、すべて、私たち国民が出しているのである。というわけで、感想ぐらい言うのも当然というもの。社会観察として、政治について考えてみましょう。
 以下のアンケートに答えながら、私見と理由を話してください。

■2年生ということで微妙ですが、選挙権はありますか。  
 
  ある     こんどの選挙にはある      ない   

■選挙に行きますか(「ある」「こんどの選挙までにはある」と答えた人)

  行きます      棄権する     行くか行かないかまだ決めてない

■何を基準に投票しますか(行くと答えた人) 

 人   マニフェスト   党    何となく   頼まれて   その他

■なぜ棄権しますか(棄権すると答えた人)

 興味ない    無駄だから   選ぶ人も党もないから   その他

■選挙は国民の義務であるが、いつも有権者の半分以上の人が棄権する。どう
 したら棄権を減らすことができるか。

投票者の税金を減らす  学校教育でしっかり教える  署名が投票者は二人分になる         

■政治や政治家のことを考えることはあるか。

 ある     ない    その他

■どんなときに(あると、答えた人)


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■世襲について、どう思うか

 引退表明の小泉元首相も次男を後継者にするという。日本の政治を被っているもうひとつの闇、世襲問題を考えてみましょう。
 まず麻生内閣で世襲の人を取り上げてみました。(朝日新聞9月25日「閣僚の横顔」)

総理・麻生太郎(68)祖父が吉田茂、祖母方の祖先は大久保利通。故橋本竜太郎元総理の夫
          人とは親戚にあたる。名門一族。
官房・河村健夫(65)父親は元山口県議。(この範囲なら世襲とは呼べないかも)
農水・石破 茂(51)父親は自治相、鳥取県知事。
総務・鳩山邦夫(60)曽祖父が元衆院議長、祖父が元首相(鳩山一郎)、父親が元外相
法務・森 英介(60)親族には、祖父や父の森美秀元環境庁長官、伯父の三木武夫元首相ら
          6人の国会議員がいる。
行革・甘利 明(59)ソニー勤務のあと、父の故元衆院議員の秘書を経て政界入り。
外務・中曽根弘文(62)父親が中曽根康裕元首相。
消費・野田聖子(48)祖父は故野田卯一元建設相。
財務・中川昭一(55)父親は故中川一郎元農水相。自殺した父親の葬儀を秘書だった鈴木宗
         男氏と争った。
少子・小渕優子(34)父親は故小渕元首相。突然の父の死で26歳から議員。
防衛・浜田靖一(52)父親は自民の名物議員ハマコーこと浜田幸一。
文部・塩谷 立(58)父親は、衆院議員を7期務めた故塩谷一夫氏。
国交・金子一義(65)父親は蔵相などを務めた。

 総理大臣を含め閣僚18名いるうちの、いわゆる完全世襲議員は11名(総理経験者の家系が4名)で、まったくそうでない人は6名のみ。この現状をどうみるか。問題発言で辞任した後任も、また世襲者である。

 ・別に問題ない     ・あってはならない     ・関係ない   

■なぜ問題ないと思うか(問題ないと答えた人)

 職業継承はより熟練するから      ダメな人は自然に消えていく  その他
 (1からはじめなくて済むから)

■なぜ世襲はダメか(あってはならないと答えた人)


■世襲政治に利点があるとすれば、どんなところに。 

推薦図書

『代議制統治論』J・S・ミル(1805-1873)訳・水田洋
「統治形態は選択できるか」というテーマではじまる本書は、ミルが、政治理論、政治制度にかんする多年の思索と研究にもとずいて、代議制統治論が最善の政治形態であることを立証しようとしたもの。少数意見の尊重や多数者の暴政への警告などの主張は大変興味深い。イギリスの政治構造を実証的に分析した最初の包括研究でもある。1861年刊行。

※ミルの『自由論』「自伝」は明治時代よく読まれた。
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土壌館ニュース(9・22ゼミ報告)

 後期最初のゼミは9月22日に発進した。14名が出席した。司会進行トップバッターは、大野菜摘さんでした。

 参加者は、以下の14名の皆さんでした。(敬称・順番略)
 
阪本義明、 大野菜摘、 川端里佳、 本名友子、 長沼知子、 大谷理恵、
瀧澤亮佑、 秋山有香、 田山千夏子、橋本祥大、 小黒貴之、 野島 龍
臼杵友之  飯島優季

11月10日(月)が最終締切日に
 ゼミ誌委員から原稿募集のメール廻しと、締切日設定の報告があった。それによると、夏休み中に全員にメールで連絡がとれたこと。原稿の最終締め切りを芸祭1~3日後の11月10日にしたとのこと。
 作成経過については、表紙がまだ。内容は1段組の報告があった。

私は、どんなふうに夏休みを過ごしたか
 
 大学2年の夏は、どんなだったか。バイトで終わった人が多かった。帰省した人は、2~3人ぐらい。自動車の普通車免許をとるために教習所に通った人、旅した人、様々だった。
報告があったいくつかを拾い上げてみた。
1.毎日、バイト(アイスクリーム屋)で疲れた。
2.帰省してのんびり過ごした。あとはバイト、ららぽーと。
3.普通自動車免許をとりにいった。
4.バイトの夏、家族旅行が楽しかった。
5.サークル合宿。
6.美術館、
7.草津温泉。
8.ゲームの夏。
9.まったく記憶がない。  10.自転車旅行。広島、沖縄を自転車旅行。
11.プール、デズニーランド。

議論テキストは、前ゼミで配布

 これまで議論や感想発表のテキストは、当日読み・当日発表としてきましたが、以下の要望などがありましたので、考慮した結果、テキストは、前ゼミ配布、次週で議論というかたちをとりたいと思います。

1.当て字、旧漢字や旧文体に手間取って、物語が追えない。
2.朗読、即、感想は厳しい。考える時間が必要。

名作紹介は朗読で
 
 名作紹介は、引き続き朗読します。この先の長い人生で朗読読みする機会はあまりないと思うからです。テキストも紹介のみのものは、極力、現代読みをつけるか変換します。

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参考資料
 いよいよ来年2009年5月21日(平成20年)から裁判員制度が施行される。これにより同年7月以降から実際に一般市民が裁判に参加することになる。「裁判院制度とは何か」を知りたい人はHPにあったWiKiPediaを以下に転載したので読んでください。
 裁判員制度は、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての裁判である。例外として、「裁判員や親族に危害が加えられるおそれがあり、裁判員の関与が困難な事件」は裁判官のみで審理・裁判する(法3条)。被告人に拒否権はない。裁判は、原則として裁判員6名、裁判官3名の合議体で行われ、被告人が事実関係を争わない事件については、裁判員4名、裁判官1名で審理することが可能な制度となっている(法2条2項、3項)。裁判員は審理に参加して、裁判官とともに、証拠調べを行い、有罪か無罪かの判断と、有罪の場合の量刑の判断を行うが、法律の解釈についての判断や訴訟手続についての判断など、法律に関する専門知識が必要な事項については裁判官が担当する(法6条)。裁判員は、証人や被告人に質問することができる。有罪判決をするために必要な要件が満たされていると判断するには、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない(一部立証責任が被告人に転換されている要件が満たされていると判断するためには、無罪判決をするために合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない)。以上の条件が満たされない場合は、評決が成立しない(有罪か無罪かの評決が成立しない場合には、被告人の利益に無罪判決をせざるを得ないと法務省は主張しているが、法令解釈権を持つ裁判所の裁判例、判例はまだ出ていない)。なお、連続殺人事件のように多数の事件があって、審理に長期間を要すると考えられる事件においては、複数の合議体を設けて、特定の事件について犯罪が成立するかどうか審理する合議体(複数の場合もあり)と、これらの合議体における結果および自らが担当した事件に対する犯罪の成否の結果に基づいて有罪と認められる場合には量刑を決定する合議体を設けて審理する方式も導入される予定である(部分判決制度)。裁判員制度導入によって、国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている一方、国民に参加が強制される、国民の量刑感覚に従えば量刑がいわゆる量刑相場を超えて拡散する、公判前整理手続によって争点や証拠が予め絞られるため、現行の裁判官のみによる裁判と同様に徹底審理による真相解明や犯行の動機や経緯にまで立ち至った解明が難しくなるといった問題点が指摘されている。裁判員の負担を軽減するため、事実認定と量刑判断を分離すべきという意見もある。
 最高裁によると、全国の裁判員裁判対象事件は2004年の3791件から減少傾向にある。都道府県別で昨年、対象事件が最も多かったのは①大阪306件、②東京255件、③千葉214件の順。最も少なかったのは福井県の7件。罪名別では、①強盗致死傷695件、②殺人556件、現在建造物など放火286件、強姦致死傷218現在と続いた。(新聞8・5)
選ばれる確率は4911人に1人(全国平均)
 

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.110―――――――10 ――――――――――――――――― 

ゼミ誌について

ゼミ雑誌発行12月15日を目指して

 ゼミの実質的成果は、決められた期日までのゼミ雑誌発行にあります。毎年、納品日の遅れが指摘されています。一年間の大切な成果なので、しっかり守って、よい雑誌をつくりましょう。本ゼミは、二人編集長と一人副編集長に四人の編集委員が、アシスト、全員が協力します。ゼミ誌は自分の作品でもあるので、全員一丸となって当たりましょう。
・編集委員長=川端里佳 大野菜摘
・編集副委員長=小黒貴之
・編集委員=阪本義明 橋本祥大 飯島優季 瀧澤亮佑 
・補助委員=本名友子 長沼知子 大谷理恵 野島 龍 田山千夏子 臼杵友之 
      秋山有香 神田泰佑 刀祢平知也

ゼミ誌作成の進行状況と予定は以下の通りです

○決定事項 6月9日報告 → 印刷会社、フジワラ印刷(株)決定             
      6月16日 テーマ決め → 「空」内定
      ゼミ誌表紙デザイン、奥付など → 小黒、田山が担当
      原稿締め切り → 夏休み明け
      タイトル決め → 7月14日に決定「ドレミファそらシド」
               

1. 6月中旬 → ①「ゼミ誌発行申請書」の提出。出版編集室に
2. 6月~  → ゼミ雑誌の装丁を話し合う。表紙デザインなど
3. 7月下旬 → 原稿依頼し、締め切り日、夏休み明け9月22日(月)。

4. 11月10日  → ゼミ誌原稿の最終締め切り。

5. 10月上旬 → 編集委員は、内定の印刷会社から②「見積書」をもらう。
6. ~11月 → 「見積書」の提出。印刷会社と相談しながらゼミ雑誌作成。
7. 12月 → 15日までにゼミ誌提出、③「請求書」提出

注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。


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時空船「2008ゼミ2」号搭乗員名簿
 「2008年、読書と創作の旅」、後半もひきつづき人間とは何か」を知るために、読むこと書くことの習慣化を目指します。参加の隊員の皆さんは16名。前期からまだ一人も欠けていません。(希望カード提出順・敬称略)
・阪本 義明 ・大野 菜摘 ・川端 里佳 ・本名 友子
・長沼 知子 ・野島 龍  ・大谷 理恵 ・瀧澤 亮佑
       ・秋山 有香 ・田山 千夏子・神田 泰佑 ・小黒 貴之
・刀祢平知也 ・橋本 祥大 ・飯島 優季 ・臼杵 友之
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「2008年、読書と創作の旅」班長・副班長
 ◎ 班長・小黒貴之さん      ○ 副班長・瀧澤亮佑さん

ゼミ雑誌『ドレミファそらシド』作成編集委員

 ◎ 編集長  ・ 川端里佳さん   大野菜摘さん
 ○ 副編集長 ・ 小黒貴之さん
   編集委員 ・ 坂本義明さん   橋本祥大さん   
          飯島優季さん   瀧澤亮佑さん  補助委員・全員

前期の平均出席者数と提出原稿本数
 
 大所帯は、欠席者が多くなる。提出原稿が少なくなる。そんな風評がありましたが、全くの杞憂でした。定員近い16名は、長期欠席者もなく前期を乗り切りました。
 実質的授業が開始された4月21日~7月14日まで、11日の統計は以下の通りです。

平均的出席者 → 13.2名  145名(11日間) 16名中13名 8割
提出原稿 → 32本(車内12、1日5、生き物3、愛読書12)一人平均2本

新刊紹介

清水 正著  D文学刊  3500+税 2008・9・20
『ドストエフスキー論全集3』
「罪と罰」の世界

謎解きを超えた『罪と罰』論の決定版!!

山下聖美著 新潮社 新潮新書新刊  定価680 2008・9・20
『宮沢賢治のちから』

【新書で入門】

愛すべきデクノボーの謎多き作品と生涯

    
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.110―――――――12 ―――――――――――――――――        
掲示板

提出原稿について

○ 車内観察 → 電車の車内で観察したこと(創作・事実どちらでも)
○ 1日の記録 → 自分の1日を観察する(自分のことをどれだけ晒せるか)
○ 社会観察 → 社会の出来事を観察、自分の意見もいれてみる
○ 生き物観察 → 人間、動物、草木、生あるものすべての観察(宇宙人の目で)

 締め切りはありません。書けた人は、どんどん提出し、皆の評価をみてみましょう。何事も切磋琢磨です。
ゼミ誌・課題・その他+提出原稿(2×)+出席(1×)=評価(60~120)

ドストエフスキー情報

11月22日(土) : ドストエーフスキイの会例会 会場は千駄ヶ谷区民会館
           午後6時から「ドストエフスキーとヴェイュ」清水正氏 
10月11日(土) : ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」『未成年』
                会場は東京芸術劇場第1会議室 午後2時から
12月20日(土) : 同全作品読む会「読書会」、講演・講師は高橋誠一郎氏
           会場は東京芸術劇場第1会議室 午後2時から
出版
 ☆復刻版・岩波写真文庫『農村の婦人』6月25日発売「ひとくちばなし」下原
☆新刊・熊谷元一白寿記念写真集『信州 昭和の原風景』一草舎2200円
★旧刊・下原敏彦著『伊那谷少年記』鳥影社「昭和30年の原風景」
 理論社 2008・3・21 定価1200
★文・藤井誠二 マンガ・武富健治『「悪いこと」したらどうなるの?』
  ★山下聖美『国文学4』「ケータイ小説 クリエイターの卵たちはどう読むか」
★福井勝也著『日本近代文学の〈終焉〉とドストエフスキー』のべる出版企画 2008
★芦川進一著『「罪と罰」における復活』河合文化研究所・河合出版2007
★清水 正著『ドストエフスキー論全集1』D文学研究会2007
★下原敏彦著『ドストエフスキーを読みながら』鳥影社2006 2月点字図書
★國文学別冊『ギャンブル』下原敏彦・文「ドストエフスキーとギャンブル」
                                  
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

編集室便り

☆「2008年、読書と創作の旅」内容は、本通信に掲載します。
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。


土壌館創作道場・青春回顧観察

汐留青春グラフィティ


もう10年近くも前になるが晩秋のある日、私はこんな新聞記事を読んだ。
――鉄道発祥の地、東京都港区の汐留貨物駅跡地、その再開発地区「汐留シオサイト」の玄関となる都営地下鉄大江戸線と新交通ゆりかもめの汐留駅が二日、開業した。――(朝日)
「【汐留再開発】東京・新橋と銀座に隣接する、旧国鉄の貨物跡地と周辺一帯(約三十一ヘクタール)を、東京都が95年から1463億円をかけて基盤整備を進めた。民間投資は四千億円強、全体で一兆一千億円の経済効果を生むと見られており、首都圏で最大級の事業規模。高級マンションや大企業の本社など、10棟を越す超高層ビルが05年までに次々と立ち上がる。全体の完成は06年で、就業人口六万一千人、居住人口六千人の街になる。」
はたして6年後、この地は、あの新聞記事通りの街になった。この地に移った民放テレビ局の朝の番組からそれとわかる。スタジオのガラスに映る並木や瀟洒なビル群。新しい都会の顔がそこにある。だが、「汐留」という地名を聞くたびに私の脳裏に浮かぶのは、だだっ広い操作場と日本全国から入ってくる貨物列車。ごった返す鉄道荷物の山。飛び交う怒鳴り声と鳴り響く発着のベルの喧騒。都会の只中とは思えぬ静寂。そして、なによりもそこでであった人々。40年前の貨物駅。そこにはいろんな連中がいた。いろんな青春をみた。いま、不意に、あのときの日々がよみがえった。彼らのことが思い出された。私が、汐留貨物駅に行ったのは、まったくの偶然だった。
秋の終りだった。その日、私は日比谷公園で行われた「ベトナム戦争反対」集会に参加した。当初は、集会の後、銀座周辺をデモ行進するだけの予定だった。が、過激派が大挙して押し寄せ、集会は大荒れとなった。機動隊と小競り合いがはじまり、最後には石や火炎ビン、催涙弾が飛び交う応戦状態となった。大勢の逮捕者がでた。私は、やっとのことで警察の包囲網を潜り抜けヤジウマにまぎれて、神田にある友人の下宿に逃げ込んだ。友人はノンポリだった。「また行ったのか」苦笑いして部屋に入れてくれた。その夜、二人でウイスキイーの角ビン一本空けた。翌日、昼に目を覚ました私は二日酔いで割れんばかりの頭を押さえて荻窪にある自分の下宿の大家に電話した。仲間から連絡が入っているか知りたかった。
「Kちゃん、あんた、いまどこにいるの」いきなり大家の女将さんの金切り声が鼓膜に響き渡った。「警察の人がきたわよ。聞きたいことがあるからって。帰ってきたら電話くれって名刺、置いてったから、早くしないと」
大家の女将さんは、興奮気味にまくしたてた。刑事が二人訪ねてきたことが、よほどショックだったらしい。彼女は、私が学生運動に参加していることをうすうす知っていた。それだけに過敏な反応をみせた。私も警察と聞いて、ひどく慌ててしまった。「なぜ幹部でもない私に・・」そんな疑問はあった。が、他方では、はじめての警察訪問にすっかり舞いあがってしまっていた。郷里の両親に知れたらマズイという思いとこれで運動家として一人前になれる。そんな思いが交差した。さっそく幹部に電話すると、「しばらく地下にもぐれ」の指示だった。私の投げた石が誰かに当り大ケガをさせ、そこを写真に撮られたかも知れないというのだ。そんなわけで私は一時的に身を隠すことにした。私はいっぱしの逃亡者になったつもりで、そのまま学校と下宿から姿を消した。
私が潜伏場所として選んだのは、都会のど真ん中にある貨物駅だった。駅で拾ったスポーツ紙で見つけた。「急募!貨物駅作業員。八時~十八時三千五百円、二十四時間勤務六千円」私は、その足で貨物駅に向かった。そこは、身を隠すのに絶好な場所だった。仮眠ベットもあれば、食堂も風呂もある。門を一歩外にでれば、大都会の街角も街角、新橋駅だった。朝はサラリーマンがぞろぞろと行き。夕方はガード下の屋台に鈴なりになっていた。まさに私は、砂浜に落ちた一粒のゴマとなった。貨物駅にいれば、人知れず生活することができた。おまけにお金ももらえて。まさに一石三鳥、これ以上の隠れ家はあるだろうか。怪しまれたりしないだろうか。そんな心配があったが、まったくの杞憂

だった。冬を迎える貨物駅は、大忙しだった。連日連夜、荷物を満載した貨車が到着し発
車していて、積み替え作業に猫の手も借りたいほどだった。二十四時間勤務希望の私は歓迎され、即、ハンコ一つで採用してもらえた。
「学生さんはデモばっかしやつてて、きてくれないからなあ、助かるよ」そう言って事務員の男性は当然のように言ったものだ。「いまから働いてもらえるだろ」
私は、差し出された41番の名札と手カギを受け取って荷物会社の職員に案内されて貨物駅構内に出ていった。その日から貨物駅で働くことになった。

構内は騒然としていた。三十五列車の発車時間が迫っていた。大小さまざまな鉄道荷物がごった返す積み荷ホームに、けたたましくベルが鳴り響き、怒鳴り声が飛び交った。
山陽本線方面の貨車の前には、小郡、防府、尾道と表示された荷物がまだ山積みにされていた。私は、手当たりしだい手カギに引っ掛け貨車の中にポンポン投げ込んだ。【横倒し厳禁】や【割れ物注意】の荷物もあったが、選別する余裕はなかった。
「おーい、早くしろ!」
「早くしろ!」
荷物会社の職員が、走りまわって大声でせかしまくった。
 三十九番の家出君は、最後の荷物を両手で持ち上げると
「これで、おしまあい!」
叫んで、思いっきりデッキの奥に投げ込んだ。
荷物は、白地にUSAと印された岩国米軍基地行きのサンドバックのような兵隊袋で、毎朝きまって一個小隊分ほどあった。何が入っているのか、かなり重かった。
 はじめのうち、このアメリカ兵の荷物を積みこむたびに緊張した。ベトナム戦争反対のデモ活動しているものが、先棒を担いでいるようで、妙な気持ちだった。が、いまでは積みやすい荷物の一つでしかなかった。
「オーライ!」「オーライ!」「オーライ!」
積み荷作業終了を確認する合図が最後尾の車両方向から、連呼して聞こえてきた。
「オーライ!」
家出君は、大声で前の車両に手を振った。
合図の声は、またたくまに最前部の車両まで伝わった。そのとたん
「発車するぞ!さがれ!さがれ!」
の叫びが返ってきた。
蒸気が白煙となってたちこめる中で紺服の機関士は赤い小旗を打ち振って怒鳴つた。
「おーい、発車するぞ!」
 突如、警笛がピィーと鳴り渡って喧騒を引き裂いた。つづいて荷物を満載した貨物列車はレールをきしませながらゆっくり動きだした。連結器のかみ合う鈍い金属音が玉突きのような連続音を響かせていった。ガシャン、ガシャン、ガシャン。重量感あふれるその響きは、凍てついた朝の空気を震えさせながらしだいに間隔を早めていく。積み荷班の連中は、ぼう然と佇んでいた。だれもかれもまるで湯上りのように体から湯気立ち上らせていた。
 誰もが汗だくだった。が、一仕事を終えた爽快感があった。作業員たちは、目の前を過ぎて行く貨物列車を見送った。ワム15829、ワラ39764、ワム1759――貨車にかかれた数時は、すぐに読み取れなくなった。十余輌編成の長い貨物列車は、さらに速度をまして、操車場のはるか前方にあるトンネルの中に吸いこまれるように消えていった。最後尾の車両が完全に見えなると、途端、構内から轟音が消えた。すべての動力エンジンが切られ、構内はまるで時間が停止したような静寂に押し包まれた。


「おーい、一服だあー」
静まり返ったホームに鬼班長の甲高い声が響いた。
鬼班長は、元、といっても二十何年か前のはなしだが、職業軍人だったと自慢するだけあって痩せて筋ばった老体ながら、その声はよく通った。皆は軍曹と呼ばっていた。
 班長の声を合図に、棒立ちに佇んでいた積み荷班の連中は、魔法が解かれたかのように一斉にホーム先端に向かって歩き出した。
「行きますか」
家出君は、なまりのある言葉で、まだ放心状態で立っている二十五番のギャンブラーに声をかけた。「おじさん、行きます」
「やれやれ、やっと休めるか」ギャンブラーは、ハンカチで禿げあがった額の汗を拭きながらため息まじりに愚痴った。「今朝は、やけにあったねえ」
「二百トン。今日は」
「ええっ、冗談でしょう」
「見てきたんです。事務所で」家出君は、笑いながら言った。彼は父親ほど年齢差がありそうなギャンブラーと気があって、からかい半分で話していた。「いまの列車なんか軽いです」
「ほんとかい、だったら休めばよかった。ああ、ついてない」
ギャンブラーは、真顔でがっくり肩を落とした。
ギャンブラーは、四十歳ぐらいで、まだそんな歳でもないのに、髪の毛はかなり薄くおまけに白いものが混じっていた。貨物駅に臨時雇用でくる人は、なかなか自分のことは話さなかったが、ギャンブラーは、こだわらない性格か、なんでも話した。昨年の秋に勤めていた印刷会社が倒産して、一時しのぎに日勤するようになったこと。家は横須賀の方にあって家族は奥さんと小学生の子供が二人いることなどあっさりと他人事のように話した。ときおり「早く、職をみつけなきゃあな」と、焦燥気味につぶやいて、皆の笑いをとっていた。まったくだらしないおじさんギャンブラーだが、映画については博学だった。
休憩時間、映画の話になると昔の映画名をあげては、さも自分が監督したような口ぶりで、解説した。ただ鉄骨が組んであるだけの殺風景の貨物駅の高い天井を見上げて
「ここの、貨物駅、好きなんだ。この景色がねパリやローマの駅に似ているんだよ」
と、さも行ってみてきたようなことを言った。
いつもは口数の少ない松宮さんだったが、こと映画に関しては饒舌で自信にあふれていた。しかし、その映画への情熱が、どこでギャンブルにすりかわってしまったのか、いまの松宮さんは、かなりの競馬狂だった。近ごろの競馬は猫も杓子も手を出すようになってつまらん、とぼやきながらも暇さえあればズボンの裏ポケットにねじこんでいる競馬新聞をひろげて熱心に見入っていた。若い三十九番がのぞきこむと
自嘲気味に笑って
「こんなものやらんほうがいいよ。おじさんみたいになっちゃうから」
と、言っていた。
 三十九番君は、十九歳と話していたが、まだ高校生のようにみえた。言葉づかいも地方から東京にきて日も浅い、そんな感じがした。だが、そのことをたずねたことはない。自分から話すのなら別だけれど、ここで他人のことなど、誰も興味がなかったし、抱いても質問しないのが常識だった。私にとってはまさに最高の隠れ家だった。
だがしかし例外もあった。奇声をあげながら追いついてきた三人組は、ここですっかり意気投合し、仲良しになっていた。作業は、たいてい三人でやっていた。
「はーい、お先に」
三人組の一人、二十七番の団が笑顔をふりまいて追い抜いた。
――――――――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.109


彼は、小さな劇団の役者だといっていた。いつもボサボサの髪に赤タオルで鉢巻していた。小太りで、愛嬌があった。つづいて小柄な高槻がシャドウボクシングしながら。そして、そのあとは、曼陀羅模様の布切れをヘアーバンドにしたヒゲの磯村が鼻歌まじりに「やあ」と一声かけて行った。三人とも二十代後半といったところだった。
「相変わらず、仲がいいね、あの三人」松宮さんは言った。「もとからじゃなくて、ここで知り合ったっていってたよね」
「そうみたいですね」
私は、軽く頷いた。
「ともだちができるっていいですね」
三十九番君は、羨ましそうにぽっつりつぶやいた。
「でも、結局は一人になっちまうよ」松宮さんは、寂しそうに笑って言った。「この年になるとね」
  

休憩場所は、引き込み線ホームの最先端にあった。休憩場所といっても粗末なベンチが二つと石油缶を半分にした吸殻入れが一つ置いてあるだけの吹きっさらしだった。が、天気がよければ日なたぼっこに最適の場所だった。風が強い日や寒い日は、タバコを吸う人だけが集るだけで、吸わない人は空貨車の中か、荷物の間で休んだ。晴天で風もない今朝は、積み荷班も積み下ろし班もみんなぞろぞろ集ってきた。南条班長と、職員、それに古参の季節のおっちゃんたちがベンチを陣取ると、その回りに若い職員や、臨職のおっちゃん連が腰をおろした。みんな一斉にタバコを吸うので、ものすごい煙りがたちこめた。
「おれ、下に行きます」 
正雄は、二人に言って線路に飛び降りた。
広い操車場のうえには、抜けるような青空がひろがっていた。遠くの塀の隙間から新幹線の白い車体が音も走っていくのが見えたが、とてもここが都会のど真ん中とは思えなかった。ラッシュアワーの時間なのに、静寂そのものだった。
「ぼくはここにするよ」
ホームの上から松宮さんが言った。
彼は、日当たりのよい柱にもたれて座って、さっそく競馬新聞をひろげていた。大学生だという四十一番さんは、正雄にちらっと手をあげたあと、ホームの先端に行って青空に向かっての背のびをした。そのあと、段ボール箱を並べてその上に寝転んだ。
正雄は、ホームの下から板切れを探しだしてレールに渡した。腰をおろすと、ようやくほっとした気持ちになった。霜が朝日を浴びてキラキラ光っていた。その光りは郷里の吊り橋の欄干の上に降り積もった霜を思い出させた。学校に行く朝、霜を人差し指でこすった。霜の粒子が空中に弾け飛んでいくのが面白かった。なつかしい気持ちになってレールの霜をさっとこすったが、霜は、もう溶けかかっていて、濡れただけだった。正雄は、冷たくなった指先を頬に押し当て温めながらホームに目をやった。
 忙中閑あり。ホームでは皆、思い思いに休んでいた。元気者の仲良し三人組は団と磯村が、喫煙組の仲間入りしてタバコをふかしていた。高槻は、一人離れたところであきもせず、シャドウボクシングをつづけていた。上体をくねらせながらのフットワークが軽快だ。本当にボクシングを習ったことがあるらしい。大男の小林は柱にもたれてうつらうつらしながらも、ときどき大あくびしていた。彼は、いつも浅黒い顔をニタニタさせて、ひとり言を言っているので、薄気味悪かった。平田は、空台車の上でぼんやりしていた。彼も、たいてい一人でいた。口数が少なく、誰かと会話しているのを見たことがなかった。それで、本当かどうかはわからなかったが、彼は現役のプロ野球選手だという噂があった。プロ野球通の高槻は真
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.109―――――――14 ―――――――――――――――――

顔でみんなに
「大洋のリリーフ投手だよ。ちょっと前まではワンちゃんキラーで有名だった。ほんとだよ」
 と、説明していた。が、団と磯村は
「だったら一軍の選手だぜ、そんなのがくるかよ。こんなとこに」
と、てんで相手にしなかった。
正雄も信じられなかった。どう見たって平田は失業中のおとなしい青年にしか見えなかった。たまに風呂場で一緒になるが、体格は、野球部の連中の方がよかった。
 自称フリーのカメラマンで株の相場師というという早川は、布団袋をベットがわりに寝転んで、週刊誌を読んでいた。ウソか、ほんとか、彼はここには痩せるために働きにきていると自慢していた。そのことを証明するような小太りの体で、上下揃いのジーンズがはちきれそうだった。彼は、いつも冗談をとばす陽気な性格だった。血色のよいてかてかした顔と、糸くずのようにちじれさせている長髪は、自称三十三という年齢より若く見えた。荷物の多い日は、彼は荷物の山を前に
「これで、痩せられるぞ」
と大張りきりするのだが、なぜかそんな日に限って、トイレにちょくちょく行った。
 ど近眼の畑野は、鉄柱に背をもたせて居眠りしていた。本人は自分のことを受験生だといっていたが、だれも信用していなかった。青白くむくんだ顔はどう見ても二十歳過ぎだったし、それに第一この季節、ここにいるのも変だった。
「だれも本気になんかしちゃあいないさ。グズラが大学を受けるなんて」
高槻は、笑って皆に話していた。
三人組は、畑野にグズラとあだ名をつけて呼んでいた。畑野は、一応受験生というだけあって、ホームの柱に英和辞典を置いていて、休憩時間には、ひろげてながめていた。今朝はよほど疲れたのか、手にしていなかった。ボサボサ髪の頭がガクンとなるたびに度の強い眼鏡の光がキラリと流れた。
 突如、爆笑が起こった。見ると、南条班長が大口を開けて笑っていた。季節のおっちゃんたちもニヤついている。猥談をしているのは想像ついた。朝、栃木や茨城から出勤してくる季節のおっちゃんたちが、よく電車の中の痴漢話しをしているからだ。
 いつも憔悴しきった顔の倉持社長も、皆より一テンポ遅れでニヤついていた。倉持社長は、下町で工場を経営しているとかいう人で、それで社長と呼ばれていた。ベンチ周辺にいる人間で一人だけ笑っていない者がいた。パチキチの須藤だった。彼は、話の輪には入らず、一人きょろきょろしていた。たぶん誰かにタバコをもらおうとしているのだろう。彼は、だれかれとなく借金を申し込むことで有名だった。はじめ三百円、貸してほしいと頼む。断わられると二百円、百円と落として、最後には、十円でもいいからというのだ。松宮さんは、二百円貸したが、なかなか返さないとボヤいていた。
 貨物駅には、いろんな人たちが働いていた。国鉄職員、荷物会社職員、荷物会社に雇われた季節のおっちゃんと臨時雇用の人連中。それに郵便列車の職員。国鉄職員は、ここでは特権階級だった。制服も靴も、荷物会社の職員より立派なものだった。
 ホームをぼんやり眺めているうちに眠くなった。正雄はうつらうつらしながら明け方みた夢をおもいだしていた。

―――――――――――――――――――― 15 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.108

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.109―――――――16 ―――――――――――――――――

速報!第7回千葉県少年柔道大会 

 9月7日(日)千葉市武道館で開催された第7回千葉県少年柔道大会に出場した土壌館下原道場の団体、個人戦の試合結果は、以下の通りです。応援の保護者の皆様には酷暑のなかご苦労様でした。また、選手諸君は、試合において、日頃の練習の大切さがわかったと思います。次の試合を目標にいっそうの稽古に励んでください。

団体戦 2回戦進出!! 監督・代表 下原敏彦

      土壌館     ×     富田道場
先鋒 : 中澤紀和選手(2)×  ―  ○米田光矢選手(2)
次鋒 : 坂本遼季選手(3)○  ―  ×      (3)
中堅 : 辻元翔太選手(4)○  ―  ×      (4)
副将 :  (5)×  ―  ○青柳元気選手(5)
大将 : 小柏駿太選手(6)○  ―  ×松本拓海選手(6)

※小柏選手が1本勝ちした相手の大将は、身長163cm、体重76kの巨漢選手でした。

     土壌館      ×    武秀館小坂道場
先鋒 : 中澤紀和選手(2)○  ―  ×生井澤貴飛選手(2)
次鋒 : 坂本遼季選手(3)×  ―  ○井坂歩夢選手 (3)
中堅 : 辻元翔太選手(4)×  ―  ○鹿糖翔吾選手 (4)
副将 :  (5)×  ―  ○岡田裕弥選手 (5)
大将 : 小柏駿太選手(6)×  ―  ○渡辺 駿選手 (6)

※小学生で体重105k、95kの超重量級相手でしたが、よく戦いました。

個人戦

2学年 : 中澤紀和選手 2回戦進出 惜敗でした。背負いを。

3学年 : 坂本遼季選手 1回戦 よく頑張りました。背負いを練習。

4学年 : 辻元翔太選手 1回戦 頑張りました。積極的な技が。

4学年 : 三好弘将選手 1回戦 頑張りました。

6学年 : 小柏駿太選手 2回戦 惜敗でした。腰技をよく練習しよう。
       
6学年 : 柳下 誠選手 1回戦 頑張りました。

6学年 : 青柳尚慈選手 1回戦 よく頑張りました。

講評 試合前後の礼は、だいたいできていたと思います。試合は、決定的な技がでなかった。足技の他、背負いや腰を使った大技をしっかり練習しましょう。
審判・辻村英紀先生(第7会場担当)
  

後藤辰巳選手は、体調不良のため欠場しました。次期大会で頑張ってください。

SF 人間や宇宙の謎を空想で解明してみよう。

収穫

 時間と距離のある世界では、長い旅の終わりに、というべきか。私たちは、少しも苦にはならないが、物質的には、相当な時間と距離とを積み重ねて、ようやくに、この惑星に着いた。ここは、大銀河の辺境である。これより先は、何もない無である。この小天体は、その命である恒星は、まだ燃え尽きてはいなかったが、私たちの目的の惑星は終焉を迎えようとしていた。この小天体でただ一つ有機体が存在した星。何億年、孤独の中で生きてきた星。

日本大学番外地

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