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午後のひとときだろうか、路地に並ぶ子どもたち。近所の主婦たち、裏庭の老婦人。都会の下町のようだが、どこかのどかだ。36枚の1枚1枚に撮られたある国の静かな小さな町の日常風景。「ホテルもない町なんですよ」と撮影者は笑う。

しかし、不思議と旅愁となつかしさを誘う。「尾道に行ったことがあります」撮影者の言葉に、ふと林芙美子の「風琴と魚の街」を思い出した。そうして写真の鄙びた教会と駄菓子屋のある街が、なぜか重なった。ゆったりとした時間の流れ。が、外にでると銀座の喧騒に現実に帰った。

20日、日本大学芸術学会は、江古田仮校舎B棟3F教室において午後6時30分より第八回研究発表会を開催した。会は、はじめに大学院芸術学研究科・博士後期課程の朴麗玉(パクヨオオク)さんが「民族写真家・熊谷元一について」の研究発表を、その後、放送学科講師の新堀俊明氏(元TBSキャスター)が「伝えるということ」を記念講演した。

 

麗玉さん発表「民族写真家・熊谷元一について」を聴いて

「若い外国の女性が訪ねてきた。私も国際的になった」現在、清瀬にお住まいの熊谷元一先生が、電話口でそう冗談言って笑われた。20日、朴さんが研究発表した写真家の熊谷氏は、私の小学校の担任教師で95歳と高齢だが、いまも元気に写真を撮られている。

熊谷先生は、朴さんの研究発表を是非聴きたいとおっしゃっておられた。が、さすがに冬場の夜ということで断念。下原が恩師の分も聴くことにした。都内に住む教え子がもう一人、駆けつけた。朴さんは、韓国からの留学生だが、日本の農村写真をとりつづけた熊谷に大いにシンパシイを寄せた報告だった。発表は、熊谷の生い立ちから、教師時代の撮影方法までレジュメに沿って詳細に報告された。何度もご自宅を訪問されたというだけに、直接取材の成果が十分にあらわれた発表だった。朴さんには、はじめての研究発表ということで心配されていたが、報告は写真家・熊谷元一の人と作品について大いに伝えていた。

なお熊谷は、戦前、満州からの帰路、朝鮮に立ち寄り、農村を相当数撮影したという。残念ながらそれらは大空襲で全てが灰と化したとのこと。「日本の農村と比べたら面白かったが」と、熊谷は悔やむ。朴さんには、是非とも、その意を汲んで日本と韓国の農村を比較撮影してくれたらと思う。昨今、韓国は「冬ソナ」ブームで、よく知られるようになった。が、農村の実態は、日本ではほとんど知られていない。朴さんの作品に期待するところだ。

新堀俊明氏講演「伝えるということ」を聴いて

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 新堀先生は、放送学科で講師をされておられるが、元TBS人気キャスターということでよく知られている。テレビからの印象では、生真面目一方の人かとおもわれたが、気さくでべらんめい口調の面白い(といったら語弊があるが)方でした。昭和40年ごろからこの仕事をやっておられたというから、現在はテレビ界の花形となっているジャーナリスト司会の草分け的存在の人である。

 講演は、キャスター時代に体験した、いくつかの重大ニュースの伝え方について話された。はじめに「よど号事件」のときの苦労話を明かされた。刻々変わる事件の推移。しかし、この時代、北朝鮮のことを知る人は少なかった。(今日では、掃いてて捨てるほどたが)いきなり15分番組を60分の特別番組にされたときの困窮。唯一の頼みはゲストだったが、このゲストも、何年か前に平壌の空港に降り立っただけという心許なさだったという。「どうなっているのでしょうか」など何回も同じ言葉を繰り返し、この難局を切り
抜けた、という。これで伝えることができたのか。不安だったが、結論は、これで、いかに北朝鮮がわからない国かということを伝えることができたという。チッソ事件の水俣病被害者の成人したお子さんを抱きかかえたとき、その軽さに思わず絶句して、インタビューできなかったそうだが、その映像を見た視聴者は、半数が、「きちんと取材しろ」という批判だった。が、あとの半数は「感動した」という応援だったという。「伝えること」の難しさは「ただ伝えればよい」だけでないところにある、そのように思えた。

 質疑応答で放送学科の院生が、「授業で放送の勉強が少ないが」と質問した。「大学は、自分で学ところ。自分で社会を見ろ。世界を知れ」。温和な目がキラリと光った。

 「落語だってできますよ」酒席で氏は、ふざけてみせた。楽しい夜で時間を忘れた。

「現代においてチェーホフは有効か」講師・校條 剛氏(文芸講師)


 講師の校條氏は、元『小説新潮』編集長をやっておられた方で講演は、文壇など多岐にわたった。丸谷才一の小林秀雄批判から、この時期に亡くなられたロシア文学者の原卓也さんへの哀悼、チェーホフの作品に出てくる桜と日本の桜(ソメイヨシノ)の違い。などなど。

 とりあげたチェーホフ作品は、主に『グーセフ』『中二階のある家』だったが、内容、質問とも『グーセフ』に集中し生と死の感覚についての言及や感想が多かった。

 はじめに氏は、演題についてサルトルの「飢えた子の前で文学は有効か」をもじったものと明かされた。この題を踏まえて、現代の出版状況を説明された。それによると昨今、チェーホフ全集は、ほとんど出版されていないとのこと。もとより欧米では、なぜかはわからないが日本ほど読まれていない。没後100年だが作品が出版されない。その意味では、チェーホフは、もはや日本においても有効ではなくなっている
ということか。