文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.224

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日本大学藝術学部文芸学科     2013年(平成25年)8月30日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.224
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             編集発行人 下原敏彦
                              
9/30 10/7 10/21 10/28 11/11 11/18 11/25 12/2 12/9 12/16 
1/20  1/27 
                 「2013年、読書と創作の旅」の皆さん

後期ゼミ、開始近し


2013年の夏(編集室)
これまでに経験したことがない、記録的な、熱帯よりも暑い。こんな枕ことばがつく夏だった。猛暑あり、豪雨あり、竜巻あり。とにかく異常気象の夏でした。そのせいか、山にも、海にも、旅にも出ず、ただぼんやり過ごした夏でした。ゼミの皆さんは、どんな夏を送ったでしょう。
         

8・2~3ゼミ合宿報告 参加のみなさんお疲れ様でした

マラソン朗読会、3人衆全員無事完走 深夜1時35分ゴール
新記録5時間52分で

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.224 ―――――――― 2 ―――――――――――――

第5回時空マラソン朗読会

 1845年のロシア、ペテルブルグでのドストエフスキー処女作衝撃再体験は、今年で5回目となる。毎回、脱落者もなく成功している。今回は、最少参加者だったが、記録は最速だった。以下は、今回2013年の時空マラソン朗読会ドキュメントである。

2013・8・2 日本、軽井沢  → ロシア、ペテルブルグ1845・5・24 時空旅

参加者3名   南海洋輔   齋藤真由香   嶋津きよら

ドキュメント軽井沢・ゼミ合宿

3013年8月2日(金) 東京、晴れ、軽井沢、晴れ

新幹線、電気故障で大幅ダイヤの乱れ。時空旅行に不安

AM 6:00  起床 テレビの天気は東京、軽井沢共晴れ、が、JRニュースで上越線が電気
故障のため大幅にダイヤが乱れているとのこと。東北線にも遅れが出ている。
長野新幹線は、大丈夫か。心配になる。
  10:00 新幹線予約の列車は11時23分だが、早目に出る。
  10:30  東京駅長野、東北方面混乱。列車ダイヤ大幅に遅れている。予約の新幹線は、
1時間遅れとの構内アナウンス。(指定券通りなら大幅遅刻)
  11:00 ホームに出て見ると臨時列車が停まっていた。発車間際。席が空いていたので
座る。臨時は発車。車内で車掌に聞くと、問題ないとのこと。
  12:00 軽井沢着、(12時43分着だったが)、特急料金半額戻し1700円返却。待ち合わ
せは、午後1時。待つ。

時空旅、少々の遅れあったが、軽井沢着からは順調に

PM 13:15 齋藤真由香さん、嶋津きよらさん来る。朝9時、新宿から高速バス。渋滞で少し遅れたとのこと。南海洋輔君葉、新幹線事故で40分遅れるとのこと。バス下りた時、雨に降られたとのこと。天気回復、晴れて暑くなる。
  13:40 駅北口近くのレストラン「まるま ? 」に入る。毎年、この店。齋藤さんは、ホットケーキ。きよらさんはおでん、下原は山菜そばを注文。
  13:40 南海君到着。山菜そば、きよらさんはうどん注文。
  14:00 出発、途中コンビニでお菓子と飲みもの、アイスを買う。
  14:20 日本大学軽井沢研修所に到着、部屋、昨年と同じ106
  15:30 第1研修室に集合。テキスト配布。目的の説明。司会は、順番通り南海君を指名する。1845年5月ペテルブルグにタイムスリップ

15時42分マラソン朗読会スタート、1845年の感動を再体験できるか

PM 15:42 「では、はじめます」司会の南海君は、開始を告げる。同時に、自ら先陣をきって読み始める。時計を見ると、15時42分。前年より12分遅れの出発。
「おおなんたる物語作者たちだ ! 4月8日 だいじな、だいじな 私のワルワーラさま」
p7→p12 駅伝なら1区、最長距離を、駆け抜けた。

―――――――――――――――――― 3 ――――― ☆文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.224

15:54 齋藤さんへバトン。南海君、まずはほっとした表情。齋藤さんは快調に
「ほんとうに、とうとうあなたとも、すっかり仲たがいしなければなりませんーー」
16:10  バトンは嶋津さんへ。P12 ~
「二伸 いま私は、だれのことであれ、風刺めいたものを書こうと思いません」
16:24 バトンは再び南海君へ。読みは、一周した。P24~ 

物語は、ワルワーラの手記に入る。読み手も、徐々に作品の中に

「――でも、あの人は母にだって情けをかけようとしなかったのです !! 」
16:38 バトンは齋藤さんへ。スタートから1時間がたとうとしている。
「――はじまりは、いつもほんの些細なことなのに、それがどこまでーー」P30~
16:54 バトンは嶋津さん。朗読、乗ってくる。
「――ブイコフが彼に興味をもったのは、」P36~
17:10 バトンは南海君に。3周目に。
「気がついてみると、私は彼の腕に抱かれていた。」P42~
17:25 バトンは齋藤さんへ。
「ねえ」と彼は小声でおずおずと切り出した。P48~   (昨年は、ここで18:00)
17:41 嶋津さんへバトン。P34~ アンカーは嶋津さん。
「――病気中はずっと、自分は死んでいくのだ、きっと死んでしまうのだろう、と」
17:55 「―――せめてそうなってくれますように。V・D」

17:55 夕食のアナウンス 第一ラウンド終了 約三分の一読みきる。約2時間20分
18:00 夕食、バイキング 休憩
 ↓  お風呂、自由時間
20:30 食堂集合 コンパ トランプ大会「大貧民」大富豪・嶋津さん。大貧民・下原

21時55分第二ラウンド 再開 中路 

21:55 第一研修室集合
22:00 第二ラウンドスタート。第一走者は嶋津さん P39~
6月21日の手紙 「 愛らしい小鳩さん !  →」
22:02  バトン南海君に 6月22日の手紙 P60~
22:17  バトン齋藤さんへ P66~
「もっとも、こんな話はもうたくさんです。」
22:30 バトン嶋津さんへ p72~「ご親切なあなた方お二人を → 」
22:45 バトン南海君へ p78~「私は、もうかれこれ30年も → 」
23:00 バトン齋藤さんへ p84~ 「ほんとうにこうまでなってしまったんですね →」

23:15 小休憩 前年より1時間ペース速い。睡魔との闘いはじまる

23:18 嶋津さんスタート p90~ 「私はいまではそれがだれの → 」
23:32 南海さんへ p96~ 「だって、いまあなたをお助けできないようなら → 」
23:46 齋藤さん p102~ 「だめだ、と私は思いました → 」

8月3日(土)に突入 残り頁から換算すると午前2時ごろまでには、ゴールの見通し。

00:00 嶋津さんへ p108~ 8月21日「私は自分が悪かったーー →」
00:15 南海君へ p114~ 「ほんとうにひさしぶりでした →」
00:30 齋藤さんへ p120~ 「ところが、あなた、そんなことはありません →」
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.224 ―――――――― 4 ―――――――――――――

00:43 嶋津さんへ p126~ 「いや、なんとか楽にしてやるといいね → 」
00:57 南海君へ p132~ 「フェードラの話では → 」

物語は大詰めに向いつつある。が、睡魔との闘いも一段と激しさを増す。

01:11 齋藤さんへ p138~ 「私はあなたにご相談しませんでした  → 」
01:20 嶋津さんアンカー p144~ 一気にゴールを目指す。

01:33 ゴール 祝・全員完走 新記録でした。 5時間52分
 
8月3日(土)反省会 快晴、暑くなる
AM
 7:30 朝食、大食堂
 9:30 ロビー集合、記念撮影、出発
10:00 軽井沢北口周辺にある「水出し」カフェ―で反省会・打ち上げ。
   アンケート提出。
12:30 軽井沢駅改札口 解散 南海・下原組は新幹線で、齋藤・嶋津組は高速バスで帰京

反省会

『貧しき人々』マラソン朗読会・アンケート

1.作品を読み終わって感じたこと 

・面白かった 2名   ・退屈した 0名    どちらでも 1名

2.グリゴローブィチとネクラーソフの(感動)体験はあったか ?

 ・あった 0名  ・ややあった 3名  なかった  0名

3.1845年の彼ら(上記の二人)の体験は真実と思えたか ?

 ・本当と思えた 1名  ・眉つばもの 0名  ・当時はそうだったかも 2名

4.ドストエフスキーの他の作品を読みたくなったか ?

 ・読みたくなった 2名  ・これ1冊で良い  0名  ・どちらとも  1名

5.マラソン朗読会について
 
・楽しかった 3名  ・辛かった  0名  ・どちらでも  0名

6.ゼミ合宿で行うマラソン朗読会は

 ・有意義だった3名  コンパの方がよかった 0名  ・やらない方がマシ 0名

―――――――――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.224

【ゼミ合宿マラソン朗読会の感想】
 
□ 楽しく、有意義なゼミ合宿でした ! 中編作品を音読なんて経験は、そうないことでし
ょうからよく覚えておきたいと思います。ありがとうございました。

□ 最初は読み終えられるのか心配だったが、やってみるとテンポよく進められ、無事感想することができた。
感想した後の達成感はなかなかのものだった。途中からドストエフスキーの文章の感じがつかめてきて、朗読も上手くできるようになり大変勉強になった。

□ とても貴重な体験をしたと思う。お互い声を通して作品に触れ、1845年の世界に飛んだ気がする。やはり登場人物たちの描写に引き込まれた。
このゼミでしか体験できないことだった。

【講評】最少人数でしたが、2013年は最速、アンカーは嶋津さん 

 世界の古典作品を、しかもドストエフスキーの、それも、いわゆる代表作でない処女作をマラソン朗読する。一夜で読みきってしまう。最初のときは、不安があった。棄権者が出て続行できないのでは。しかし、終わってみれば全くの杞憂。毎回、参加者の感想は「参加してよかった」「はじめてドストエフスキーを面白く読めた」と好評。今回は、3名と最少参加者。スタートから、ややペースが速いのが気になった。が、中盤も落ちることなく順調。終盤は、苦しい坂もあったが全員頑張った。ラストは、嶋津さんが全速力でゴールした。


文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・224―――――――― 6――――――――――――――――
後期ゼミ&ゼミ雑誌について
ゼミ雑誌刊行計画
 ゼミ授業の実質的成果は、ゼミ雑誌発行にあります。齋藤編集長を中心に皆で協力してよい雑誌を作りましょう。刊行までの要領は、下記の通りです。

1.  9月末 夏休み明け、創作原稿提出、課題作品選別
2.  ゼミで話し合いながら雑誌の装丁を決めていく。
  「仮題&熊谷元一研究Ⅱ」、内容は課題作品+創作作品
※「熊谷元一研究Ⅱ」は、課題を載せる。60年前の子どもたち、学校教育の様子から自分たちの子どものころの遊び・学校の暮らしを比較したもの。
3.  10月上旬 印刷会社から【②見積書】をもらい料金を算出してもらう。
4.  10月~末日 編集委員は、印刷会社と、希望の装丁やレイアウトを相談しながら
   皆と協力して編集作業をすすめる。
5.  10月末までに、出版編集室に見積書を提出する。編集作業をすすめる。
6.  11月中旬までに印刷会社に原稿を入稿してください。
7.  12月6日(金)はゼミ誌納品期限です。厳守!!
8.  12月12日までに見本誌を出版編集室に提出してください。
9.  12月下旬までに印刷会社からの【③請求書】を出版編集室に提出してください。

『熊谷元一研究 創刊号』

平成24年度出版予定だった『熊谷元一研究 創刊号』、嶋津さんに編纂作業をお願いしました。嶋津さんへ → 特集『熊谷元一と「一年生」』に、提出課題で、「私が子どもだった頃」(ゼミ誌で掲載されなかった分)を通信から転載したいと思います。
※ 創刊号に、6月郊外授業した「岩波書店創業百年展」のチラシも追載
※ 9月30日「熊谷元一写真コンクール審査会」見学も参加者あれば写真掲載。

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後期初日ゼミについて

当日、前後の授業を調整できる人は、ぜひ参加ください

1. 後期、最初の9月30日(月)ゼミは、計画通り郊外授業を実施します。
第16回熊谷元一写真コンクール審査会を見学します。自由参加です。
 
月 日  2013年9月30日(月)

会 場  「ホテルグランドヒル市ヶ谷」 (新宿区市谷木村4-1) 
℡03-3268-0117
集 合  午後1:30  ホテルロビー (遅れても構いません)

交 通  JR総武線、都営新宿線(4番出口)、東京メトロ有楽町線・南北線(7番出口)「市ヶ谷駅」より徒歩約3分

目 的  応募作品の選考過程を見学する。
全国から応募された写真(テーマ「家族」)1300余作品を厳選。100作品をのなかから大賞1点と優秀賞10余点を選考する。

これまでの郊外授業 (熊谷元一研究)

下原ゼミでは、熊谷元一研究の一環として郊外授業を実施していきます。写真展、童画展写真童画館見学や熊谷元一研究発表(28会主催)などが主な授業内容です。研究の目的は、熊谷元一という一人の写真家・童画家の生涯と作品検証です。研究は、継続的になります。熊谷の写真、童画、学校教育に関心ある人は、ご参加ください。
これまで実施した郊外授業は、以下の通りです。見学は28会含む()はゼミ生
□2011年9月23日~24日 山形県酒田市美術館「近くて懐かしい昭和展」見学4名
□2012年7月8日(日)~9日(月)秋田角館ぷかぷ館「熊谷元一写真展」見学5名(1)
□2013年7月5日(日)銀座・教文館「岩波書店創業百年展」見学9名(2)
□2013年9月30日(月)市ヶ谷「熊谷元一写真コンクール選考会」予定

2. 後期ゼミについて   志賀直哉の事件作品を読む。法廷場面に脚本化
  
後期ゼミは、主に以下の事件作品です。

『兒を盗む話』父親との確執から、家を飛び出し、瀬戸内海の港町の借家に住む主人公は、寂しさと鬱した気持ちから幼女誘拐を実行する。

『剃刀』腕のよい理髪師は、疲れと微熱と苦悩からひげそりの最中、手元が狂って若い兵隊のノドを切って死に至らしめてしまう。

『范の犯罪』ナイフ投げ師の范は、曲芸の最中、不仲の妻のノドにナイフを投げて殺してしまう。過失か、故意か。12月最終ゼミ、三ゼミ発表会のだしもの。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.224―――――――― 8 ―――――――――――――

夏休み
残暑・東大医科研学友会セミナーを聴く

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文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.224―――――――― 10 ―――――――――――――

第一セッションは、夏目漱石の病跡学について

セミナーで注目されたのは、第一セッションにおける「夏目漱石と門人の病跡学~藝術・文学とメンタルヘルス」で、次の三点について報告された。

○「漱石と近代日本の不安」東京芸術大学保健管理センター 内海健教授
○ 夏目漱石の『こころ』―― 精神医学的考察 筑波大学 高橋正雄教授
○ 夏目漱石の「こころ」出版から99年目に、産業医の目から、漱石とともだちのワーク・ライフ・バランスを振り返る」東大医科学研究所 山川特任教授

高橋教授の報告に注目

 この三点の報告のなかで特に関心をもったのは、筑波大学人間系 精神科医・産業医の高橋正雄教授の報告だった。高橋教授は、自説を検証・証明するために本文から綿密に関連個所を抜粋し、項目順によみあげて指摘した。レジメは以下のようであった。

夏目漱石の『こころ』 ―― 精神医学的考察――

「先生」のPTSDを証明

1、序論:漱石の生涯と『こころ』

夏目漱石の創作と病理 ・慶応3年生まれる
           ・第Ⅰ期の病期(明治27年~28年)
           ・第Ⅱ期の病期(明治36年~39年)
           ・第Ⅲ期の病期(大正2年~5年)3年『こころ』
           ・大正5年死亡
2、「先生」の自殺
 1)文芸評論家の批判
 2)PTSD(外傷後ストレス障害)という概念
 3)告白の重視
 4)死に対する親しみの感情

3、精神療法的な態度

4、Kという存在

5、漱石の症状

6、鏡子夫人の証言

7、結論:「病みながら生きる者への畏敬」、「良き患者は良き治療者たりうる」
    「精神医学者・精神療法家・病跡学者としての漱石」
※参考文献:『漱石文学が物語るもの――神経衰弱者への畏敬と癒し』みすず書房
質疑応答 下原康子質問「ドストエフスキーと病理の関係について」「湯河原での大患後の漱石について」
高橋教授「大いに関係ある。癲癇などあるが、時間内では話しきれない」
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秋に記す夏の読書感想

2012年の夏は、猛暑に苦しめられた夏だったが、総じれば2020年の東京オリンピック決定でて思い出深い夏となった。オリンピックといえば、嘉納治五郎である。アジア初のIOC委員、第12回東京オリンピック招致に活躍した。が、その名は年々忘れられて行くばかりだ。そこで、熱帯夜で眠られぬ夜、日本の近代スポーツの父ともいえる嘉納治五郎の著作集を再読した。
五月書房『嘉納治五郎著作集』を読む

はじめに嘉納治五郎とは、如何なる人物か。柔道創設の他に教育者としてどんな功績があるのか。知らない人もいるので治五郎が簡単に語っている第三巻の「回顧60年」から紹介する。(下原ゼミ編集室が抜粋と省略、読みにくい個所は、現代文に訂正)

第三巻 回顧60年

 お尋ねによって自分が今日もっている理想とか、抱負とかいう様なものの出てきた来歴を一通りお話しましょう。
私は1860年(万延元年)10月28日 兵庫県に嘉納家の三男として生まれた。生家は灘の銘酒「菊正宗」本舗株式会社、本嘉納の一族。父親の次郎作は養子だった。父は家業は継がず幕府回船方の仕事をつづけていた。代わりに母の定子が家業の造り酒屋を継いだ。
ちなみにこの年のはじめ勝海舟は、咸臨丸でアメリカへ。3月に桜田門外の変。
1863年 治五郎3歳 神戸にある祖父の豪邸「千帆閣」で育つ。勝海舟の神戸海軍学校が近くにあり勝海舟(や、坂本竜馬)が度々遊びに来た。。
幕末の時代、父親は砲台築造などで多忙。私の子ども時代の教育は、すべて母一人でやりました。母は、なかなか厳格な人で間違ったことが大嫌いな性格でした。近所の子どもたちが遊びにくると自分より他所の子どもたちによくした。この精神が、今日ある自分をつくった。厳格と懐かしさ。これが母の思い出である。
私が10歳のとき、母は病気で亡くなってしまった。11歳のとき父は家族を東京に引き寄せた。私も父に連れられて東京に行った。当時は、まだ阪神間の汽車も走っていなくて、わずかに電信柱が出来ていた。徒歩で神戸まで行き、神戸から紐育号という米国汽船で東京に行ったことをおぼえている。
1870年(明治3年)東京に着く。まだ廃藩置県の前で、人(侍か)は皆、刀を差して歩いていた。私は、最初に漢学と習字を学び、そのあと英語を学びはじめた。
1873年(明治6年)14歳、育英義塾に入学。塾の寄宿舎に入舎し英語・独語を学ぶ。
1874年(明治7年)15歳、外国語学校に入学。
1875年、明治8年に東京帝國大学の前々身である開成学校に入学する。この学校に2年在学し明示10年に東京大学といものができたので初年級に入学した。
〈学生時代、治五郎は、英語をはじめ勉学に励んだ。が、もう一つ、励んだことがある。それは体を鍛え、他人より体力的に強くなりたいという希望だった。今日、いじめ問題は後を絶たない。が、いじめは、学校におけるいじめは明治初年のこのころから、すでに存在していたのだ。そうして体の小さな嘉納治五郎は、常にその標的とされていたのだ。治五郎は、そのころの自分のことをこのように語っている。〉
自分の子ども時代から今日まで一貫していることがある。自分は人一倍「負けず嫌い」である。が、自分の生まれつきをみると智・徳・体のうち体力が一番劣っていた。13貫幾らしかなかった。勉強は人に劣らぬ自信はあったが、身体の虚弱は著しく劣っていた。
つづく(紙面のあるとき)
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.224―――――――― 12 ―――――――――――――

ゼミ日程・テキスト読み計画

 9月30日 郊外授業 熊谷元一研究『一年生』感想
10月 7日 ゼミ誌会議  テキスト読み『兒を盗む話』 子ども時代
10月21日 ゼミ誌会議  『兒を盗む話』脚本化、裁判、判決について
10月28日 テキスト『剃刀』読み 感想報告 子ども時代発表
11月11日 『剃刀』模擬裁判
11月18日 『范の犯罪』読み 
11月25日 『范の犯罪』脚本発表 模擬裁判(『高瀬舟』読みも)
12月 2日 『范の犯罪』脚本、寸劇稽古他
12月 9日 3ゼミ合同、発表会

上記は、(都合により変更もあります)予定です。

提出課題 「私の夏休み」、「『灰色の月』感想」、「子ども時代観察作品」  

お知らせ

◇ 劇団ZAPPA 15周年記念公演 東京芸術劇場シアターイースト
2013年9月28日(土) ~ 10月6日(日)
第25回池袋演劇祭参加作品「風」

 ※「池田屋事件」でその存在を一気に知らしめた新撰組を描いた、劇団ZAPPA渾身の超大作。初演から14年を経て、ZAPPAにも新しい風が吹いています。

グッズ付指定席前売券 ローソン(0570-084-003) Web 携帯  ℡(0120-240-540)
9月22日以降の予約は、電話080-3129-4930

◇東京ノーヴィ・レパートリーシアター ℡.03-5624-1181
 東京両国シアターX ドストエフスキー『白痴』上演
2013年 → 10月7日(月)、11月14日(木)、12月10日(火)
       10,11月は18:30~ 12月は、15:00~

◇10月26日(土)、ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」

会 場 東京芸術劇場小5会議室   時 間 午後2時 ~ 4時45分迄 
作 品 『虐げられし人々』     報告者 國枝幹生


・・・・・・・・・・・・・・・・編集室便り・・・・・・・・・・・・・・・・

□住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方『下原ゼミ通信』編集室
 メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
       携帯 090-2764-6052

課題・後期1. 2013・10・7 

『兒を盗む話』 「容疑者私」の調書(取調室を想像して)

名前
私は、なぜ女児を盗んだか
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課題・後期2.  模擬裁判『兒を盗む話』を脚本化する

名前

検察   弁護   被告   裁判官


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