2012年5月アーカイブ


日本大学芸術学部文芸学科文芸研究Ⅲ下原ゼミ 2012年5月25日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信
BUNGEIKENKYU Ⅲ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
熊谷元一研究No.5                                

編集発行人 下原敏彦

                              
4/13 4/20 4/27 5/11 5/18 5/25 6/1 6/8 6/15 6/22 6/29 7/6 7/20 (ゼミ4教室)
  
観察を記録する、観察を創作する
5・25下原ゼミ

5・25ゼミは以下の要領に添って行います。(ゼミ4教室)
 
1.ゼミ連絡、「ゼミ通信No.5」配布 5・18ゼミ報告(下原)   

2. ゼミ雑誌ガイダンスの報告(大野)ゼミ雑誌の構成を話し合う

3. 熊谷元一研究 写真批評・サローヤンの子ども時代創作の読み

4.自分の子ども時代の話を書く  創作かエッセイ「入学の日」のときの話


5・18ゼミ報告
 ゼミ雑誌構成計画(案)

 5・18ゼミは、ゼミ雑誌の構成について話し合った。岩澤君は、欠席だったが、ゼミ雑誌作成担当の大野君から構成・骨格案がだされた。以下、この日、出された材料。
・熊谷元一研究、・写真感想(こちらは1953年の時代)・20世紀末(1990年代の学校)、
・日記、・子どもの頃の創作、・エッセイ(大野君の小学校時代に書かれたもの)
・1950年時代と1990年代の教育現場の比較と検証(山村と教育メッカの子ども証言)
「熊谷元一研究」熊谷元一とは何かを発信
○熊谷元一考察(写真・年譜・etc) → 大野感想(『山脈はるかに』)
○熊谷元一研究の意義(東日本大震災・原発事故を見据えて、いまなぜ熊谷研究か) 
○1990年代の小学校教育現場 → 文集、日記、子供時代創作
○世界芸術線上の熊谷 → 米国作家・ウイリアム・サローヤンとの比較で立証。
○熊谷元一追悼番組 NHK長野放送制作
○1953年、長野県の山村の小学校教師と児童の記録 NHKドキュメンタリー
○1990年代、東京豊島区のある国立大学付属小学校児童の記録(日記・文集、写真)
○半世紀間の時間の流れ。山村と都会の教育の比較検証。

サローヤン『空中ブランコに乗った大胆な若者』の読み

 熊谷元一研究では、熊谷が世界の芸術線上に在する人間と仮定、同時代の米国作家サローヤンと比較考察をする。1950年代、山村の子どもたちを撮った熊谷。米国の農業地帯に育ち、子供時代を創作したサローヤン。その関連で代表作『空中ブランコ』を読んだ。


日本大学芸術学部文芸学科     2012年(平成24年)5月28日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.191
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                             

 編集発行人 下原敏彦

                              
4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/23
  
2012年、読書と創作の旅

5・28下原ゼミ

5月28日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室

1. 出欠・配布  → ゼミ報告・司会進行指名 ガイダンス報告

2.  提出課題発表 → テキスト感想、車内・一日観察 車窓   

3.  読むこと → 『三四郎』(車内観察『網走まで』関連)

4.  書くこと → 『網走まで』の謎 車内・一日観察 

5・21ゼミ報告   参加者は5名、届1名 授業は順調に

5・21ゼミは、参加者5名、1名病欠届。旅立ったばかりだが、連続して休んでいる人が3名ばかりいる。五月病でないことを祈る。授業の方は、課題の提出率もよく、旅日程は、計画通り順調に進んでいる。
司会進行は、鞆津正紀さん

司会進行は、鞆津正紀君。読むことでは、提出課題3~9までの発表と感想、意見などをまとめよく司会進行した。各、提出作品についても適切なコメントがあった。
・「憲法第9条について」・『菜の花と小娘』感想・「普通でない一日」・「おせっかいが大好き」
・「父、来たる」・「見えなかった赤ちゃん」・「車中のファッション考」・通学電車レポート」
・「ゴールデンウィークの過ごし方」・「行楽帰り親子観察」・「日芸を感じるとき」・「化粧する乗客」・「脚本 分身」・人生相談「強くたくましく生きるには」
 以上が、音読された課題。全体的に短いなかにも、伝えたいことが、しっかり書かれていました。人生相談は、相談者本人、相談者、それぞれの立場になってみると難しいものがありました。知りあい、親友、他人それによってアドバイスも違ってくる。

ゼミ合宿は、軽井沢・塩原は6月1日が締め切り

 ゼミ合宿については目下、半々の状態で考慮中だが、軽井沢・塩原は、締切が6月1日のため、本日5月28日の時間内に決めたい。なお、5名以上の参加希望があれば、実施したい意向である。


日本大学芸術学部文芸学科文芸研究Ⅲ下原ゼミ 2012年5月18日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信
BUNGEIKENKYU Ⅲ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
熊谷元一研究No.4                               

 編集発行人 下原敏彦

                              
4/13 4/20 4/27 5/11 5/18 5/25 6/1 6/8 6/15 6/22 6/29 7/6 7/20 (ゼミ4教室)
  
観察を記録する、観察を創作する
5・18下原ゼミ

5・18ゼミは以下の要領に添って行います。(ゼミ4教室)
 
1.ゼミ連絡、「ゼミ通信No.4」配布 5・11ゼミ報告   

2. 少年時代の熊谷はどうだったか,略歴から

3. 当時の子どもの暮らし 創作を読む 問題を解く(四谷大塚、平成17年出題)

4.自分の子ども時代の話を書く  創作かエッセイ


5・11ゼミ報告
     『一年生』撮影の動機を探る

 5・11ゼミは、参加の大野君と『一年生』の撮影について話し合った。この写真集は昭和28年4月1日から昭和29年3月20日の終業式までの一年間、担任した小学一年生を撮ったもの。授業中、昼休み、校庭、廊下、下校など学校での子どもたちのあらゆる場面が記録されている。現代では、写真は珍しくないが、半世紀以上も前の当時は、貴重なものだったはず。しかも山村の小学校である。それに、教育現場での撮影。現代でなくても不可能に近い。いったい熊谷は、いかなる交渉術を用いて、子供たちを撮ったのか。
 目下、NHKで「タイムスクープ」というSFドラマをやっている。あのドラマで、一番の難関は、現代人がいきなり現れて取材できるのか、という疑問である。が、記者は、ある交渉術でその時代の人々が関心もたないようにしている。と、明かしている。ぜひ知りたいが、それは企業秘密だと上手い逃れ方をしている。もしかして熊谷の撮影も、そうかも知れない。写真の子どもたちは、まったくカメラを意識していない。被写体の一人である私だが、先生がどのようにして写真を撮っていたのかまったく記憶にない。

ゼミ誌出版局、著作権を懸念

 ゼミ誌編集委員の大野君からゼミ誌作成計画を受けたゼミ誌出版局担当者は、写真使用という点で著作権を大いに懸念した。この問題について下原は、熊谷元一写真童話記念館と熊谷元一写真保存会の承諾を得ることを約束した。
ちなみに下原は過去に写真集『五十歳になった一年生』、記念文集『還暦になった一年生』を刊行しているが、師弟関係と50年で著作権は時効ということで、考えなかった。


日本大学芸術学部文芸学科     2012年(平成24年)5月21日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.190
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                            

  編集発行人 下原敏彦

                              
4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/23
  
2012年、読書と創作の旅

5・21下原ゼミ

5月21日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室

1. 出欠・配布  → 5・7ゼミ報告・司会進行指名

2.  提出課題発表 → 愛読書・憲法問題・テキスト感想   

3.  読むこと → 『網走まで』(車内観察)お手本・創作

4.  書くこと → テキスト感想 車内観察 車窓の出来事

5・14ゼミ報告   参加者は8名、旅開始5週目

毎週、文芸棟へ向かう道で桜の街路樹に季節の移ろいの早さに驚かされる。ついこのあいだ満開に桜が咲き誇っていた木々。いつのまにか葉桜に、若葉に、そしていまは繁れる新緑にと、慌ただしく装いを変えている。ゼミも旅立ちから既に5週目となる。全員で12名。出発時、12名だったこの旅。現在、4名ほど遅れている。が、全体的には、慣れてきたようだ。参加者の顔と名前が、ようやく合致するようになった。
司会進行は、古谷麻依さん

司会進行は、古谷麻依さんにお願いしました。課題報告、テキスト読みなど出席者全員が感想や音読できるよう采配を振ってもらいました。司会者は、はじめに参加人数を見て、一人一人の範囲がバラつかないよう目分量して、すすめてください。感想、意見なども一人ひとりからしっかり聞いてください。

梅津班長 → ゼミ合宿について採決 結果は、賛成4、反対4で持ち越し

※ゼミ編集室 → マラソン読書なので少人数だときついところがありますが、参加者5名前後で行った例はあります。自由参加ということで実施に踏み切ることもできます。利点は評価αですが、ドストエフスキーを読む機会を得ることになります。

提出課題発表 → 車内観察、自分の一日、憲法問題について、テキスト感想

テキスト音読 → 作品は『網走まで』、『夫婦』でした。全員で回読


日本大学芸術学部文芸学科文芸研究Ⅲ下原ゼミ 2012年5月11日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信
BUNGEIKENKYU Ⅲ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
熊谷元一研究No.3                                

編集発行人 下原敏彦

                              
4/13 4/20 4/27 5/11 5/18 5/25 6/1 6/8 6/15 6/22 6/29 7/6 7/20 (ゼミ4教室)
  
観察を記録する、観察を創作する
5・11下原ゼミ

5・11ゼミは以下の要領に添って行います。(ゼミ4教室)
 
1.ゼミ連絡、「通信」配布 課題提出「写真の感想」、「私の記憶」、「『白い馬』感想」  

2.ゼミ報告 → 4・27ゼミ報告、DVD「知るしん」観賞について

3. 資料検証 → 『一年生』撮影まで、動機、当時の時代背景 

4.熊谷とサローヤン → 両者の比較について、『我が名』の読み


4・27ゼミ報告 DVD観賞NHK番組を見る

長野放送制作「知るしん」で熊谷元一を知る

熊谷元一とは、どんな人か。既に一昨年亡くなっているので直接に知ることは叶わない。が、101歳までの長寿の軌跡には、その人物を知り得る数々の遺品が残されている。
熊谷の場合は、5万点(CD化)に及ぶ記録写真、童画集、教育現場における実践教育と教え子たちなどの証言である。4・27ゼミでは、このうち最近、テレビ映像に記録された熊谷の番組をとりあげた。
このNHKドキュメンタリー番組は、2010年11月6日死去の後、追悼番組として平成23年1月14日(金)全国放映されたもので、NHK長野放送制作の「知るしん ~信州を知る~」の一環として放映されたDVDを観賞した。

「すごい人だ、こんな人がいたのか ! 」
写真集をはじめて見たアニメの巨匠宮崎駿監督の驚きと、絶賛

映像は、いきなり熊谷の写真集を手にするアニメ映画界の巨匠・宮崎駿監督のアップと「すごい人だ、こんな人がいたのか」の感銘の声からはじまった。監督が映画の撮影で訪れた南信州の旅館で暇つぶしに見た。そのときの感想表現だった。映像は熊谷の追悼番組で、スタジオにはテキスト『一年生』の拡大写真が多数、飾られていた。ルポライターの吉岡氏が主に『一年生』を中心に熊谷の写真家・童画家・教師としての功績を語った。終盤は、写真集がおいてあった旅館主にだした宮崎監督の礼状の紹介された。これからの映画作りに役立たせたいといった文面だった。最後は、熊谷の教え子たちの墓参。下原の姿もあった。


日本大学芸術学部文芸学科     2012年(平成24年)5月14日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.189
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                            編集発行人 下原敏彦
                              
4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/23
  
2012年、読書と創作の旅

5・14下原ゼミ

5月14日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室

1. 出欠・配布  → 5・7ゼミ報告・司会進行指名

2.  提出課題発表 → 愛読書・憲法問題・テキスト感想   

3.  読むこと → 『網走まで』(車内観察)お手本・創作

4.  書くこと → テキスト感想 車内観察 車窓の出来事

5・7ゼミ報告 参加5、届2、5割強で例年よりやや増

ここ2、3年、連休明けの出席率が気になる。何が原因かわからないが、欠席者が目立つようになった。今年は、北アでの遭難死、バスや車の事故、竜巻被害。人災に天候異変も加わって、とりわけ事件事故が多かった。それだけに心配も大きかった。が、出席者は5名、病気早退1名と電車人身事故で止むなく欠席が1名。ということで、5割を超えたまあまあの出席率だった。連休の後は、五月病がジワリひろがる時期である。欠席者は、たんに休み疲れだけであってほしいと祈るばかりだ。
「五月病」という言葉が、はじめてでてきたのは1968年である。若葉の季節といえば、希望に燃えた楽しい季節なのに、人間の心は難しい。(※届け出欠席は0・5)

ゼミ合宿について 賛成1、反対2、やれば参加3

 過半数の出席ということでゼミ合宿の有無について話し合った。出席者5人の意見はこのようだった。○=賛成、×=反対、△=どちらでもないが決まれば参加する
・I = ×△ → △  ・Y = △  → ○  ・F = △  → △
・S = ×  → ×  ・N = ×  → ×  ・T = ×△ → △
 結果として賛成1 反対2 やれば参加3 ということで14日に賛否決定。
ちなみにゼミ合宿実行すれば、「好評マラソン読書」結果は、賛成1、反対2、中3です。

司会進行(全体をみて全員が発言、音読できるように指示する)は、吉岡未歩さん。

日本大学芸術学部文芸学科文芸研究Ⅲ下原ゼミ 2012年4月23日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信 No.2
BUNGEIKENKYU Ⅲ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
熊谷元一研究
                            編集発行人 下原敏彦
                              
4/13 4/20 4/27 5/11 5/18 5/25 6/1 6/8 6/15 6/22 6/29 7/6 7/20 (ゼミ4教室)
  
観察から記録、そして普遍へ

4・27ゼミは以下の要領に添って行います。(ゼミ4教室)
 
1.自己・テキスト紹介 ゼミ誌について

2.熊谷元一研究について  ゼミ授業について

3.観察 → 『一年生』、『我が名はアラム』の観察と読み

4. 記録 → 写真評、朗読感想を書く


熊谷元一研究の意義について

下原ゼミは、シラバスにも寄せたように、熊谷元一研究を主流として自分の子ども時代の思い出を物語っていきます。なぜ子ども時代か。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のなかで主人公のアリョーシャは諭します。どんなに辛い人生であっても、一つでも楽しい思い出があれば人は救われる、と。熊谷の撮った写真の大半は貧しい山村の人々の生活です。岩波写真文庫『農村の婦人』もその一つです。しかし、そうした写真のなかにある子どもたちの姿は、活き活きしています。時代の違いから服装も遊びも違うが、なぜか懐かしく心癒されます。原発問題で、文明の行き詰まりのなかにある現代。熊谷の写真は、生活の原点を教えてくれている。子どもたちには物に頼らない遊びがあった。熊谷の写真と童画を見ながら、自分の子ども時代を振り返り、楽しかった思い出を物語ってほしいと思います。

熊谷元一研究の目標

1.写真家・熊谷からは、写真の中にある懐かしさと癒しを自分の子ども時代に繋げる。
2.童画家・熊谷からは、子供の遊びなどを伝承する。3・11の災害で多くの人たちが避難所生活を余儀なくされた。半年後の救援物資が一段落したあと、いま一番欲しいものはと聞いたら「ゲームの玩具」と答えた人が多かったという。写真の子どもたちは、ゲームでは遊んでいない。自分たちが創意工夫した遊びで遊んでいる。ゲームがなくても遊べるようにしたいものである。そのためには熊谷が描き遺した童画から遊びを伝承しなければならない。
3.教師・熊谷からは、黒板絵、動線、郊外学習など創意工夫の実践教育を学ぶ。ゆとり教育は、多くの格差を生んだ。混迷する日本の学校教育。民主主義草創期の熊谷の教育。今一度原点に帰って考えよう。

日本大学芸術学部文芸学科     2012年(平成24年)5月7日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.188
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                            編集発行人 下原敏彦
                              
4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/23
  
2012年、読書と創作の旅

5・7下原ゼミ

5月7日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ2教室

1. 出欠、4・23ゼミ報告・【車窓】憲法問題

2.  提出課題1~4の発表・感想・議論   

3.  読むこと → 『或る朝』(一日)『網走まで』(車内観察)

4.  書くこと → 「連休中の自分」「車内」「相談」 

4・23ゼミ報告12名の参加者 

 「2012年読書と創作の旅」への参加希望者は、4月23日現在12名でした。この日全員無事の旅を祈願して写真を撮りました。(2012・4・23撮影)