日本大学芸術学部文芸学科文芸研究Ⅲ下原ゼミ 2012年4月23日発行
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信 No.1
BUNGEIKENKYU Ⅲ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
編集発行人 下原敏彦
4/13 4/20 4/27 5/11 5/18 5/25 6/1 6/8 6/15 6/22 6/29 7/6 7/20 (ゼミ4教室)
熊谷元一研究
観察から記録、そして普遍
4・13ゼミガイダンス報告
ゼロからのスタート !!
予測された事態、だが意欲も
4・13ゼミは、幸先よく2012年の授業開始日に当たった。下原ゼミは何名になるのか。文芸研究は「熊谷元一研究」を掲げただけに、まったく予測がつかなかった。「敬遠されるのでは」は、周囲の懸念だった。知名度0に近いが、その理由らしい。しかし、蒔かぬ種は生えぬ。どんな歴史的人物も、誰かが手をつけなければ、その功績は知られないのだ。
2010年101歳で亡くなった熊谷元一について、たとえ日芸講師でもある、写真評論家飯沢耕太郎が熊谷の「それぞれの写真は今、歳月の重みが加わることで、いぶし銀のような輝きを放ちつつあるのである」(『日本の写真家』岩波)と絶賛したとしても、あのアニメの巨匠宮崎駿監督が、最近作品をはじめて見て「こんな人がいたのか、すごい人だ」と感銘されたとしても、いまは、依然として知る人ぞ知るのみである。写真家・童画家・教師の熊谷が残した数々の業績は、必ずやいまの日本の為に人類の為に役立つ。それ故に私は、文芸研究Ⅲの土壌に「熊谷元一研究」の種を蒔くことを決意して、この日に臨んだ。
しかし、不吉な予感は的中した。金曜日4時限目という人気時間帯もあってか、待てど暮らせどゼミ4教室の戸を開ける学生は無った。予測された事態ではあったが、終業のチャイムを聴きながら私は暫し、茫然自失の体であった。
こんなわけで旗揚げの4・13ゼミは、落胆の日ではあった。最悪の日であった。が、何事も先人は、常に厳しい。失意より、ゼロからの出発に反って意欲が湧いてきた。
4・20ゼミ報告
待てば海路の、2名の希望者カード
はたして4・20ゼミは、どうなるのか。そんな心配をしているところに准教授のY先生から連絡があった。希望者が1人でたというのである。慣れぬゼミⅢ受け持ちを心配してくださっていたようで感謝の他ない。安堵して4・20ゼミに臨んだ。
ゼミ参加者1名、二人三脚を誓う
4・20ゼミ参加者は1名だった。が、人柄よし熱意ありで二人三脚授業にふさわしかった。