2007年7月アーカイブ

日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)7月 23日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.85
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2007前期4/16 4/23 5/7 5/14 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/23 
  
2007年、読書と創作の旅

7・23下原ゼミ

7月 23日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室3

 1.「2007年、読書と創作の旅」(ゼミ担当者から進行指名など)
   ・ゼミ合宿について 郊外授業計画の報告(担任)
   ・ゼミ誌編集について(報告事項あれば)
   
 2.提出原稿の発表and「社会観察」(人生相談「私はこう思う)

 3.名作紹介・レストラン店内観察作品(ヘミングウェイ作)

 4.紙芝居稽古・配布・その他
 
 
 
今週のニュース
 19日の朝刊一面と各面を見て、一瞬「おっ」と瞠若した人は、おそらく70歳、80歳台の人、「たしか、こんな人がいた」と思うのは60歳前後の人、多分、それ以下の人たちにとっては「この人、だれ?」が大半ではないかと思う。「宮本顕示治元議長死去 98歳戦後の共産党築く」「共産党変身に道筋」(朝日)、「宮本顕治元議長死去 98歳共産党を39年間指導」『闘士ひっそり終幕」(読売)。見出しは仰々しいが、今日を生きる人々の認識としては、やはり「!」「?」その域をでないだろう。戦前戦後の日本共産党の歴史において、華々しい活躍をした人物。一時期、共産党において絶大なカリスマを発揮した人間。だが、時代の流れの中では、やはり「兵どもの夢のあと」の感は拭えない。新聞は社説においても「宮本時代を超えるには」(朝日)、「共産党を支えたカリスマの死」(読売)と取り上げてはいるが、いずれも過去の栄光と褪せた存在感のみ。この先、この人の名が残るとすれば思想史と宮本百合子の夫ということか。宮本百合子(1899-1951)は、ドストエフスキーの『貧しき人々』に感動して『貧しき人々の群れ』を書いた。1916年、17歳のときだった。天才少女と呼ばれた。が、その後、彼女はプロレタリア文学の道を歩んでいく。ドストエフスキーを読みながら、一つの色に染まる。ドストエフスキー読者としては、大いなる謎である。が、染まることで、この作家は成長した。だが、この作家の名が思い出されるのは、作品ではなくドストエフスキーを読んだ作家としてだろう。そうして、宮本顕治もまた、彼女以上にドストエフスキーを彷彿する人物になって行くかも。宮本は1933年に逮捕され、45年10月網走刑務所から釈放された。非転向を貫いた、といわれるが、なぜか、そこにシベリアの監獄生活を生き抜いたドストエフスキーを感じる。彼は87年の大韓航空機爆破を北朝鮮の仕業と認め、89年からのソ連・東欧諸国の体制崩壊を「当然のことだ」と表明した。『カラマーゾフ』まで読んでいたら、この夫婦は脱色できたかも知れない。(土壌館・編集室)


日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)7月 9日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.84
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2007前期4/16 4/23 5/7 5/14 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/23 
  
2007年、読書と創作の旅

7・9下原ゼミ

7月 9日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室3

 1.「2007年、読書と創作の旅」(ゼミ担当者から進行指名など)
   ・ゼミ合宿準備・参加費徴収(疋田さんへ)学3500 担任4500
   ・ゼミ誌編集について(報告事項あれば)
   
 2.提出原稿の発表andテキスト『出来事』読み

 3.名作紹介・レストラン店内観察作品(ヘミングウェイ作)

 4.紙芝居稽古・配布・その他
 
 
 
今週のニュース
 今週のニュースは、なんといっても「しょうがない」この一言だろう。「しょうがない」「仕方がない」。広辞苑によると「手段、方法のない意からやむを得ない」とある。
 6月30日、久間防衛相(66)は千葉県柏市にある麗沢大学で講演した。雉も鳴かずば撃たれまい。こんな故事もあるが、この人種は、どうしても鳴いてしまうらしい。注目されることになった問題発言は、「原爆も落とされて長崎は本当に無数の悲惨な目にあったが、『あれで戦争が終わったんだ』という頭の整理でしょうがないなと思っているし、」と言ったことにある。この失言で3日午後、久間議員は防衛相を辞任することになった。この人は長崎二区選出の衆院議員だという。もし生まれも育ちも長崎なら、あの日、1945年8月9日は4、5歳児か。一瞬の閃光のあと焼け野原となった瓦礫の街に累々と転がる数万の焼け焦げた長崎市民の遺体を見たはず。この世の地獄は幼子の目にどう映ったのか。たとえ半世紀以上が過ぎても「戦争だから」「あれで戦争が終わる」で済む出来事ではない。
 もっとも人間は、「どんなことにも慣れるし、どんなことでもやってのける」。仕方ないと言いながら懲りずに歴史を繰り返す動物である。真実はわからないが、アメリカはあの後、朝鮮戦争やベトナム戦争でも原爆投下を考えたという。今日においてもイランや北朝鮮の核問題がある。核爆弾の恐怖は、いまこの時もある。だとすれば、政治家は、いかなる時も仕方ないではなく「なんとかしたかった」であろう。しかし、思えば日本の近代史は、「しょうがなかった」の連続できた。日韓併合をはじめとして日清、日露の戦争、大逆事件、満州事変、盧溝橋事件、真珠湾攻撃、特攻作戦などなどである。いまにして思えば、これらのどれも対策に「しょうがあった」のではないか。今月末には国政を占う参院選がある。政治をやる者の辞書には「しょうがない」の言葉が、あってはいけない。あるとしたらそんな人を国政の場に送り出してはいけない。大切な一票である。      土壌館・編集室

日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)7月 2日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.83
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2007前期4/16 4/23 5/7 5/14 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/23 
  
2007年、読書と創作の旅

7・2下原ゼミ

7月 2日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室3

 1.「2007年、読書と創作の旅」(提出課題受付・・進行指名)
   ・ゼミ誌編集について(新しい提案があれば)
   ・ゼミ合宿担当委員から合宿先抽選結果の報告

 2.提出原稿の発表orテキスト草稿読み(完成作品との違いをみる)

 3.名作にみるレストラン店内観察作品(ヘミングウェイ作)

 4.連絡・配布・その他
 
 
 
今週のニュース
 過剰な平和主義者は、熱心な戦争扇動者でもある。完璧な平等社会は、完璧な階級社会を生む。歴史を振り返るとしばしばこんな相対一致現象がみられる。
 今週、26、27、28日と行われた、ある裁判における弁護団の記者会見ニュースをみていて、思ったのは、相反することの合致である。狂信的な死刑廃止論者たちの、なりふり構わぬ法廷作戦。そこから感じとれるのは、いっそうの死刑推進論である。弁護団は、死刑賛成者を増やしたいために稚拙な弁護を繰り返している。そのように見えるのである。
 1999年4月のある日、地方都市の団地内、作業着姿の少年が一人、小さな黒板を手に歩き回っていた。一見、団地内の水道工事会社の社員風だった。が、少年は、全く違う会社の社員で、この日は会社を休んでいた。少年は、先月高校を卒業したばかりだった。少年は、ある家のブザーを押し、水道工事検査と偽って室内に入った。家にいたのは若い母親(23)と11ヶ月になる女の子の赤ちゃんだった。少年は、いきなり母親を襲い、首を絞めて殺害。泣き出した赤ちゃんを紐で絞め殺した。その後、母親の遺体を強姦し逃走した。到底、許される犯行ではない。極刑は当然である。が、仮に百歩譲ってこの残忍な犯行に微細でも情状が加えられるとしたら、若い欲望の暴走への後悔と、どんな刑でも受け容れる改悛の気持だろう。ところが、こともあろうに弁護団は荒唐無稽な弁解を示唆した。母親を襲ったのは、「甘えたかった」遺体を強姦したのは「『魔界転生』を読んだから」遺体を押入れに隠したのは「ドラえもんがなんとかしてくれると思った」驚いたことに、こられを証明するのに精神医学の教授が「母体回帰」と真顔で答えていた。肉屋の専門家が偽肉を売り、公安の元トップが詐欺を働く。どこかの市では学歴詐称が965人もいた。いまこの国は、専門家といわれる人たちが怪しい。私利私欲で専門知識を悪用している。日本の闇は深い。
(土壌館)