2007年1月アーカイブ

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日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)1月 22日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.74
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2006後期9/25 10/2 10/16 10/23 10/30 11/13 11/20 11/27 
     12/4 12/11 1/15 1/22 
  
2006年度、読書と創作の旅

1・22下原ゼミ

1月 22日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室1


 1.ゼミ雑誌『Sensation』合評会
○猿渡公一作品、「朱色の電車」「緑の冷蔵庫」「青い舌」
○中川めぐみ作品、「車中小説」「虫歯のない縦社会へ」「君の友達」
          「メールの話」「飴の効用」
 ○高嶋 翔作品、「月河鉄道」詩編「『紙切れの声』9篇」
 ○大江彩乃作品、「片道電車」「ラピハピ」
 ○鈴木秀和作品、「百円玉」「辛酸なめ子」
 ○佐藤翔星作品、「老人と蝿」「願い星」
 ○神田奈都子作品、「貨物列車の夜」「洛神賦」

 2.江古田校舎での目標
 
3.写真記念撮影(場合によっては最初に) 


この一年、楽しい旅ができました。ありがとうございました

「読書と創作の旅」はつづく

 昨春、7人の旅人と「2006年、読書と創作の旅」に出た。個性ある面々。まとまりに不安を持った。が、杞憂だった。彼らは、すぐに打ち解けた。車窓には、イジメ、子殺しといった嫌な事件・出来事がつづいたが、車内は和気藹々だった。そして、一人の不明者も落伍者もださず本日1月22日無事、目的地に着くことができた。編集委員が苦労したゼミ雑誌も、完成して、こうして手の中にある。なかにはこの旅を退屈と感じた人もいたかも・・・が、「終わりよければ全てよし」。七人の皆さんと一年間、共に旅できたことをうれしく思います。ありがとうございました。
 しかし、皆さんには、この春から江古田校舎において、新しい旅がはじまります。「読書と創作の旅」は、まだまだつづきます。この旅で身につけた読むこと書くことの習慣化を役立たせてください。そして、この旅で得た仲間との友情を思い出してやってください。
 それでは「2006年、読書と創作の旅」を終わりにします。
                                  (編集室)


日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)1月 15日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.73
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2006後期9/25 10/2 10/16 10/23 10/30 11/13 11/20 11/27 
     12/4 12/11 1/15 1/22 
  
2006年度、読書と創作の旅

1・15下原ゼミ

1月 15日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室1


 1.ゼミ雑誌編集・校正・渉外に関しての感想
 2.名作読み『にんじん』「自分の考え」「反抗」「終わりのことば」
 3.社会観察「家族間事件」

新年あけましておめでとうございます

新年に際して「観察」に想う

 「2006年、読書と創作の旅」と銘打って昨春、スタートしたこのゼミも、残すところ、今日を入れてあと2回となった。この旅で重要なのは、まず「観察」することでした。何を書くにも描くにも、観察がしっかりなされていないと、土台のない家のようにもろいものとなります。そんなわけでゼミでは、「観察」を学ぶためにテキストとして志賀直哉の車中作品をとりあげてきました。小説の神様は車中観察の名人でもあります。志賀作品から学ぶことは多々あるわけです。が、先日この「観察」について大いに納得させられた本を見かけたので紹介します。正月休み暇つぶしに読んだ本からです・・・。
 H・シュリーマン(1822-1890)と聞いても文学の世界ではピンとこないかも知れない。が、考古学を学んだ人ならすぐにこう尋ねるに違いない。「シュリーマンって、あのシュリーマン?!」そう、あのシュリーマンである。1871年にトロイア遺跡を発掘したことは、あまりにも有名である。彼は伝説を信じた冒険者か、それとも真の考古学者だったのか。どちらとも知る由もない。が、これだけははっきりしている。彼は、すぐれた観察者である。『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)石井和子訳を読むと、それがわかる。彼は1865年6月1日から7月4日まで日本に滞在した。明治維新の3年前、日本全国に攘夷旋風が吹き荒れていた時代である。僅か1ヶ月とい短い滞在期間であったが、彼の目は、そのときの江戸の風景、日本人の様子を的確に客観的に観察している。その鋭さをこの本の解説者・木村尚三郎氏(東大名誉教授)は、このように述べている。
 長く滞在すればその土地が分かる、というものではない。いやむしろ、返って分からなくなっていく。長く住めば、地元民と同じ眼を持つようになるからである。…自分のことをもっとも知らないのが、自分自身であるのと同じである。…短い滞在期間であったからこそ、シュリーマンの眼はつねに新鮮で、客観的であった。
 たとえば、日本人の宗教観について「民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず」と分析。日本の風景だけでなく心の中までしっかり観察している。(編集室)