2006年12月アーカイブ

日本大学芸術学部文芸学科     2006年(平成18年)12月 11日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.72
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2006後期9/25 10/2 10/16 10/23 10/30 11/13 11/20 11/27 
     12/4 12/11 1/15 1/22 
  
2006年、読書と創作の旅

12・11下原ゼミ

12月 11日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文芸棟教室1


文芸研究実習Ⅰ・デザイン学科・下原ゼミ合同授業
 1.『注文の多い料理店』、『どんぐりと山猫』研究発表
 2.デザイン学科『注文の多い料理店』タイポグラフィー作品発表
 3.山川惣治作・画『少年王者』紙芝居上演(昭和22年発行)

2006年、読書と創作の旅「旅窓」

 今年の旅は、今日で最後となります。この一年、車窓に見えた様々な風景。何が印象に残ったでしょうか。悲しいことだが、やはり、一番多く窓外に流れたのは、秋田の連続幼児殺しに象徴する、子供たちの不幸ではなかったか。親殺し、虐待、子殺し家庭内での悲惨なニュースがつづいた。そして、最後に学校でのイジメと相次ぐ自殺。子育ての荒廃、教育の荒廃に親も教育関係者もなす術が無い。識者も専門家もいたずらに小田原評議を重ねるばかりだ。政府は、問題解決のために先日「いじめ問題への緊急提言」8項目をまとめた。以下、その要点である。(11・29読売)
▽いじめは反社会的行為であり、見て見ぬふりをする者も加害者であることを徹底指導。
▽問題を起こす子供への指導・懲戒基準を明確にし、毅然と対応。
▽子供や保護者が希望すれば、いじめが理由の転校も認められることを周知。
▽いじめに関与、放置・助長した教員に懲戒処分適用。
▽チームをつくり学校としていじめを解決。教委もチームを結成し、学校を支援。
▽学校はいじめを隠さず、学校評議委員などに報告。
▽家庭の責任も重大。保護者が親としての責任を果たす。
▽いじめ問題を一過性の対応で終わらせず、政府一丸となって取り組む。
 かつて岡倉天心は、その書『東洋の目覚め』の冒頭で「国際法は羊皮紙の上に輝いているが・・・」と皮肉ったが、要は決めたことを厳守できるかにかかっている。虐待死の大半は保護施設の怠慢という現実がある。イジメもまた同様。今はこの提言を一歩前進とみて見守るほかない。「イジメ問題」について、ゼミで議論したところほぼ全員が、子供の頃「イジメたことがある」「イジメられたこともある」だった。人間の歴史を振り返ると、まさに歴史はイジメに作られたにある。すべての原人の皆殺しにはじまった人類は、より弱い者をイジメる奴隷制度、階級社会を築いてきた。民主主義になってもなくならない。イジメとは何か。後期のゼミでは、イジメや虐待の根幹がどこにあるのかを探るためにルナールの『にんじん』をテキストとした。読み解くことができただろうか。 (編集室)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.72 ―――――――― 2 ――――――――――――――
 

日本大学芸術学部文芸学科     2006年(平成18年)12月 4日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.71
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2006後期9/25 10/2 10/16 10/23 10/30 11/13 11/20 11/27 
     12/4 12/11 1/15 1/22 
  
2006年、読書と創作の旅

12・4下原ゼミ

12月 4日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ1


  1.  ゼミ誌作成・進行状況の報告
  2. 名作読み『にんじん』「鶴嘴」と『注文の多い料理店』
  3. 回想法・復刻版『少年王者』山川惣治作・画を紙芝居稽古
     (11日上演の打ち合わせ)

2006年、読書と創作の旅「車窓」

 今週は、政治家の厚顔というか、破廉恥なニュースが話題をさらった。なかでも物議をかもしたのは、やはり、あの騒動である。昨年の郵政民営化法案の際、反対票に入れ、自民党を離党した「造反組」無所属衆議院議員12人の復党顛末。この復党には、国民の半数以上が疑問を投げかけている。「党利党略」「私利私欲」誰もがこう思っている。が、来年の選挙が心配の新内閣は、「人情」という旧態依然の理屈を御旗にしての復党内定である。「変節」という言葉を聞いて久しいが、信念を押し通すということは難しいようだ。
 小泉前総理は、よく戦国武将の織田信長に似ているといわれた。とすると安倍首相は豊臣秀吉を真似るつもりだろうか。こんどの復党騒ぎを信長、秀吉、家康の3武将ならどう処したか、想像すると面白い。まず、信長だが、こちらは分かりやすい。復党は絶対にあり得ない。当選したことさえ苦々しく思っていて、一生、選挙の邪魔をして終えるに違いない。本物の信長は、ナポレオンに「不可能」がないように「許す」の考えはないのである。しかし今回、この問題について肝心要の小泉・信長は、なぜか沈黙している。これについて新聞(朝日11・28)の社説『「刺客」は使い捨てか』で「それにしても解せないのは、復党問題についてほとんど考えを語ろうとしない小泉氏の姿勢だ。」と疑念を呈している。
 秀吉だったら、どうだろうか。天下を取った頃までだったら、あっさりいいとこみせで復党を容認しただろう。が、朝鮮出兵あたりからは、疑心暗鬼が過ぎて、許すには許すが踏み絵だけでは物足らなくて金銀や貢物、家族の人質などを要求するかも・・・。
 家康なら、どう対処するか。彼の場合は、きっと、「他に政党を作りなさい。そしたら仲間として連立を組みましょう」というだろう。3武将のうち、誰の策略がよいか・・・いまのところ安倍さんは秀吉を真似ているようだ。果たして吉とでるか凶とでるか。
 もう一つ、政治家で奇妙な答弁があった。自分の4男の疑惑を問われた石原都知事は「余人を持ってしても代えがたい」と威圧的に答弁した。秀吉もそうだったが、権力に長くいると常識が見えぬようになるようだ。「泣いて馬しょく斬る」あまりに有名なこの故事もすっかり忘れてしまったようである。諸葛孔明も呆れている。(編集室)

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.71 ―――――――― 2 ――――――――――――――