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9.26ゼミ

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日本大学芸術学部文芸学科     2005年(平成17年)9月 26日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.37
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
 ホームページ http://www.shimoharanet 編集発行人 下原敏彦
                              
2005後期9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28
12/5 12/12 1/16 
2005年、読書と創作の旅

9・26下原ゼミ

所沢に、ススキの穂揺れる季節となりました。2005年、読書と創作の旅は、今日から後半に向けて出立します。「百里に行く者は九十に半ばす」の故事に倣えば折り返しの五十はスタート地点。新たな気持で旅立ちましょう。

後期初日の下原ゼミは、下記の要領で行います。(文ゼミ1)

・・・・・・・・・・・・・・・ 記 ・・・・・・・・・・・・・・

1. ゼミ誌原稿の提出。(車内もの・フリー)
      
2. ゼミ誌委員からゼミ誌について。(タイトル、発行までの予定など)
 
3. 後期ゼミについて (時間あれば、夏休み感想報告、その他)


2005年、読書と創作の旅・後期について
 
さて後期は、ゼミ誌作成という重要な活動があります。ゼミ誌は、この旅の成果です。お互い協力し合い定められた期限までに作り上げましょう。なお、提出作品はゼミ授業一環として順次、合評していきます。
下原ゼミは、後期も引き続き「読書と書くこと」の習慣化を目指します。前期は、テキストである志賀直哉の車中作品を基盤に「車内観察」「車中の人々」のコラム・創作等を試みましたが、後期は電車を降りて「社会観察」します。基本的には志賀直哉の短編作品を手本にしますが、社会問題となっている新聞記事をテキストに創作、評論、討論などに挑戦します。テキストになる社会問題は、「下原ゼミ通信」でお知らせします。が、興味あるものがありましたら提案ください。ちなみに最初に観察する社会問題は、近年、凶悪化している少年犯罪をとりあげます。(関係記事3、4頁)


目 次
□車中雑記「或る不条理的些事」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
□後期ゼミとゼミ誌について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
□「社会観察」新聞記事とテキスト紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4、5、6
□テキスト『兒を盗む話』を読む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7、8、9、10
□情報、掲示板、編集室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11、12、3、14、15、16
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.37 ――――― 2 ―――――――――――――――――――

車中雑記         ある不条理的些事
車中も、よく見れば社会の縮図でもある。8月20日、広島から東京行きの新幹線に乗った。16時21分発の「のぞみ128号」。車内は、盆過ぎとはいえほぼ満席状態。乗客は老若男女様々だが夏休み期間らしく家族連れが多かった。車内はざわついていた。いつどこで乗り込んだか、そのへんは定かではないが、12番BC席の若いカップルがなんとなく周囲の注目を集めていた。すっかり二人の世界に入っていたからである。女の子は、周囲の目も憚らず男の子の胸に顔をうずめたままである。名古屋に着いたとき、窓際のA席の女性客が、もう我慢できぬといった顔でそそくさと降りていった。代わりに5、6歳の男の子が入ってきた。愛知博にでも行ってきたのだろうか。男の子は空いたA席を見て立ち止まった。が、隣席で抱き合っているカップルを訝しげにながめた。二人は気がついて離れた。後からきた母親らしき女性が、空いているA席を指差して「早く座りなさい」と男の子の背中を押した。   座席指定席だから当日買いで一つしかとれなかったのだろう。母親は、男の子にマクドナルドのハンバアガーと飲み物を与え、しばらく通路でうろうろしていたが、そのうちどこかに行ってしまった。名古屋からの乗客の検札がはじまった。背の高い、レスラーのようにがっしりした体格の車掌が、のしのしと歩いてきた。無銭乗車する人々から恐れられた車掌の映画『北国の帝王』を思い出した。彼は、ちらっとA席を見た。男の子は無心で食べて飲んでいた。車掌は一瞬、立ち止まりかけたが、「ま、いいか」といったん感じで歩き去った。すっかり熱を冷まされたアベックは、普通に座っていた。車内は平穏だった。
しばらくして車内放送があった。「---号車のデッキにトランクを置いている方はとりに来てください」そんなお知らせだった。ロンドンのテロ以来、車中の不審な荷物は気になるのだろう。車中の荷物のことでJR批判をしていたある作家の雑記を思い出した。自分の座席の近くにトランクを置いていった持ち主が、いつまでたっても現れない。不安だから別の場所にと頼んだら、てんで相手にされなかったという憤慨記事。ちなみに持ち主は隣の車両にいて、降りるときにその場所が便利だからが、理由。外国なら、とっくの昔に盗まれているか、テロ対策班の爆弾処理係が来て大騒動になっている。まさに平和ボケニッポンと作家は皮肉っていた。そんな記事を思い出していたら、前の方で乗客が、レスラー車掌を呼び止め自分の頭の上の網棚を指差した。車掌は困惑気味に周りを見た。どうやら乗客は、自分のではない荷物が真上にあるのが気にかかる様子。なんとかしてくれと訴えていた。満席で、郷里からの乗客が大半。どこに知らない荷物があっても不思議ではない。が、乗客は、あの記事の作家と同様憤慨していて車中の全乗客の視線を集めていた。誰も名乗らない。持ち主はいないようだ。車掌は、渋々中型の黒っぽいボストンバックと二つの紙袋をおろし、頭上に掲げて大声で「この荷物の方は」と叫んだ。車内はシーンとしたままだ。車掌は紙袋の中をのぞき見て、もう一度呼びかけた。と、そのときカップルの男の方が恐る恐る手を挙げて、隣席でポテトを頬張っている男の子を指差して「この子供のです」と、言ったあと付け足した。「この子のお母さんが載せているのを見ました」。車掌は12番席までのしのし歩いてくると男の子に「お母さんは」と聞いた。が、子供は首をふるだけ。ポテトを食べるのに夢中だ。車掌は、あきらめて母親を探しに出ていった。持ち主がはっきりして、乗客も安心したらしい。車内は再び、落ち着きを取り戻した。車窓に町の灯が流れた。昼間なら富士山がみえるあたりか。暫くして、母親が、あわてた様子でやってくると、荷物と子供を抱えて、急ぎ出ていった。推測するに、どうやらA席の指定券は持っていず、たまたま空いていたので、名古屋からではもう誰も座らないと見越して、子供を座らせたようだ。検札のときレスラー車掌も、それを承知して見逃したのだろう。が、公然となれば目をつむるわけにもいかない。A席が空いたのでカップルは、ABCの3席を独占して再び大胆にも二人の世界に入っていった。隣席の乗客が利用するのには問題ないらしい。
車掌も売り子も、見ぬふりをして通り過ぎた。あの荷物騒ぎがなければ、男の子は東京まで、座って行かれたものを。今ごろは満員の自由席車両の床の上に座り込んでいるかも。なにか釈然としない空気が車内に残った。   (編集室)
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2005年、読書と創作の旅・後期

後期ゼミについて

後期ゼミは、「ゼミ誌掲載作品の合評」と「社会観察」を行います。

【ゼミ誌作品の合評】
 後期ゼミの前半は、ゼミ雑誌作成に向けての活動が主体になります。提出作品の発表と合評を順次してゆきます。他者の評を聞く、他者の作品を読む。この両輪で自身の作品を見直し、しっかり校正・加筆して、よりよい作品に仕上げてください。なお、ゼミ雑誌の作成手順は、下記のようになります。
☆ 後期におけるゼミ雑誌作成は、以下の計画手順で進めてください。ゼミ誌編集委員に協力してください。編集委員は、中村健人さんと中谷英里さんです。

1. 9月26日(月)ゼミ誌原稿締め切り。編集委員に原稿を提出してください。
  ※提出が遅れると、掲載できない場合もあります。
2. 印刷会社をきめ、希望の装丁やレイアウトなどを(印刷会社と)相談しながら編集作業をすすめます。
3 印刷会社から見積もり料金を算出してもらってください。
※10月中旬までに
4. 10月末日までに「見積書」をかならず出版編集室に提出してください。
  ※予算内に収まらないとゼミ員の自己負担となるので、注意してください。
5. 11月中旬までに印刷会社に入稿してください。
12月、ゼミ雑誌が刊行されたら出版編集室に見本誌を提出する。
印刷会社からの「請求書」を出版編集室に提出する。
ゼミ誌予算  →  250000円 オーバーしないように注意!
発行部数   →  最大250部以下
印刷会社について → 過去に依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッフまで問い合わせてください。それ以外の印刷会社を利用したい場合は、かならず事前に学科スタッフに相談すること。

【後期は「社会観察」】
 後期ゼミは「社会観察」に挑戦します。前期は、「車内観察」ということで、JR西日本の脱線事故を除けば自分の視点から直接に観察した上での作品でした。が、「社会観察」はマスメディアという間接物が入ります。(むろん、直接、目撃した社会観察でもかまいません)それだけに、より観察力と創作力を必要とします。たとえ小さな事件、なんでもないような出来事でも、観察と創意工夫によって様々な物語を紡ぎだすことができます。合評終了後は「社会観察」から創作、ルポ、コラムに挑戦してみましょう。
【1844年6月9日「北方の蜜蜂」新聞を読んでいたドストエフスキーは、小さな囲み記事に目を止めた。それは「希代のけちんぼう」と見出しされた記事で、死後大金を持っていたことが判明したある浮浪者の話だった。彼は、この記事をヒントに、その浮浪者の心理を想像して短編小説『プロハルチン氏』を書いた。この作品は、検閲によって作者曰く「生き生きしたところがすっかりなくなってしま」ったということであるが、その後も彼は新聞の事件記事からいくつもの大作を書き上げている。
 ※ 夏休み中に体験したことを本通信で発表しましょう。帰省、旅行、バイト、読書・映画感想なんでも結構です。提出ください。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.37 ――――― 4 ―――――――――――――――――――

2005年読書と創作の旅・社会観察
 
少年犯罪を観察する

 少年犯罪が起きるたびに「心の闇」「屈折した精神」といった言葉が聞かれる。だが、それは言葉だけで解決や解明のためには何の効力も発しない。「心の闇」は永遠に未来永劫「心の闇」のままか。「心の闇」とは何か。「屈折した精神」とは何か。事件を深く観察することで、その暗部の領域を照らし出すことがきるのではないか。
下記は、新聞で報道された中学生がかかわった最近の主な凶悪事件です。(別な事件でも結構ですが、この中の一つの事件を選び、当時の新聞などから調査し、事件の推移や少年少女の心を内側から照射してみてください)。

2005年(平成17年)8月24日 水曜日 朝日新聞朝刊 第2社会面から
■■中学生がかかわった最近の主な凶悪事件■■
1997年2~5月 神戸市で中3少年が小4女子、小6男子を殺害、3人を傷害
1998年1月 栃木県黒磯市(当時)で中1少年が女性教諭を刺殺
1998年3月 埼玉県東松山市で中1少年が同学年男子を刺殺
2000年2月 東京都江東区で中3少年ら3人が公園で無職男性を殺害
2002年1月 東京都東村山市で中学生5人を含む少年らがホームレスの男性に暴行、
       死亡させる
2003年6月 沖縄県北谷町で中学生ら4人が中2男子に暴行、死亡させ墓地に遺体隠
       す
2003年7月 長崎市で中1男子が男子園児を殺害
2004年6月 東京都新宿区で、中2女子が幼児を階段の踊り場から約11㍍下の地上に
       突き落とし、けがをさせる
2005年8月23日 宮城県で中3少年が交番で銃狙い警官刺す、警官重症

凶悪事件、止まらず 少年上半期747人摘発
 
警察庁によると、今年上半期(1~6月)に刑法犯で逮捕されるなどした少年は5万8795人(前年同期比約6%減)で、そのうち中学生は1万7912人だった。成人を含めた刑法犯検挙者に占める少年の割合は約31・4%で、統計が残っている79年以降では最低となっている。しかし、少子化の影響で、全体に占める刑法犯少年の割合は戦後最悪だった75年ごろと同程度の水準という。
 少年事件は減少しているものの、凶悪事件を起こす少年は少なくない。過去10年間は1千人程度で推移している。今年上半期は747人にのぼり、罪名別では殺人32人、強盗601人、放火48人、強姦66人だった。/。
 他に中学生ではないがこんな事件があった。今年6月、埼玉で無職少年(15)が自宅で実兄(23)の顔面などをハンマーで殴りつけ殺害。6月東京板橋区では、都立高校1年の男子生徒(15)が両親を殺害したうえ、室内に都市ガスを充満させ爆発させた。6月には山口県の光高校で生徒が爆発物事件を起こした。また昨年は長崎県佐世保で小6女子が同級生の女児をカッターで殺害した。2003年に千葉市で、私立高校1年男子生徒(当時15)が、交番で警官に切りつけた。警官は拳銃を発砲、少年の左足太ももを貫通した。少年は「拳銃を奪おうと思った」「自殺が目的だった」
「事件、非常に重い」文部科学省

※上記の事件を創作ルポする。
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社会観察・事件を創作ルポする

例 8月23日、宮城県で登米市で起きた中3男子による駐在所襲撃事件

中3、銃狙い警官刺す 殺人未遂の容疑で逮捕

事件までを創作ルポタージュする。(新聞記事コピー参照)

 8月23日、時刻は午後4時30分を回っていた。が、暑さは、まだ厳しく通りに人影はなかった。もうすぐ刈り入れを迎える豊作の水田に囲まれたY駐在所は、まさに開店休業状態。ひっそり閑としていた。T市は、ことし4月に宮城県北部の9町が合併して生まれた。大きくはなったが、それによって犯罪が比例したわけではない。記録を見る限り、凶悪事件は一件も起きていない。静まり返った駐在所の中で初老の警官が一人、パソコンに向かっていた。田舎とはいえ最近、空き巣が多くなった。で、注意を呼びかける『駐在所便り』を作成していた。警察官は、単身赴任して6ヶ月だが、この日は妻がきていた。どこを案内しょうか。そんな思いをめぐらせながらの勤務であった。
 ふと顔をあげて入口を見た。何分かに一度、習慣になっている動作だ。外は相変わらず日差しが強そうである。一瞥して、視線を再び画面に戻しかけた。が、あわてて入口に戻した。少年が立っていた。白いワイシャツに黒ズボン。このへんの中学生か。顔が合った。
「こんにちは」少年は、緊張した顔でちょこっと頭を下げた。
「おう、暑いねえ」気軽に言って警察官は、笑顔をみせて右手をちょつとあげてみせた。
部活帰りの中学生が、好奇心から覗いた。そんな気がした。が、少年は立ち尽くしている。
「なにか・・・」
「警察のこと知りたいんです」少年は、ぼそっと言った。「警察の仕事に関心あるんです」
「夏休みの宿題か」
「はい、そうです」
「そうか、よしいいだろう」警察官は、頷いて自分の前の空いた椅子に扇風機を向けながら言った。「こっちにきてここに座りなさい」
「はい」
少年は、こっくりしてゆっくり入ってきた。
この瞬間、少年の心の中で事件へのカウントダウンがはじまった。が、警察官は知るよしもなかった。最近の中学では体験学習という勉強方法がある。いろいろな仕事場に行って、実際にその職業を経験してみる。少年の訪問はそれに違いない。57歳の警部補は、孫のような少年に教えるのを楽しく思った。が、質問する少年の胸のうちは、〈いつやるか〉緊張が風船のように膨らんでいた。30分ほど過ぎた。冷たいものをだそうか。警察官は立ち上がって背中をみせた。〈いまだ!〉風船がはじけ、少年は踏み越えた。
 逮捕された少年は、祖母と両親の4人暮らし。一人っ子である。性格はおとなしく、無口。母親は病弱で入退院をくりかえしている。趣味はテレビゲームとモデルガン集め。警察で、少年は「事件の前に(手首を切って)自殺を図ろうとしたが、未遂に終わった」と話している。が、その傷痕はないという。「自慢の孫がなぜ」と祖母は嘆き、父親は「口数は少なかったが、しかし・・・」と、当惑するばかりだという。
※「なぜ、少年は交番を襲撃したのか?」新聞記事から、創作してみる。
その後も少年の犯罪は相次ぐ
▽2005年9月4日中1男子(13)が父襲う。包丁で切りつける。動機、「勉強しろといわれたから」
▽2005年9月7日藤沢で女子中学生が、自分の学校の生徒に消化剤をまく。生徒は不登校だった。理由は「むかつくから」
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.37 ――――― 6 ―――――――――――――――――――

社会観察・少年犯罪       少年犯罪を解く鍵

いまでは、凶悪な少年犯罪は珍しくも驚くべきことでもなくなっている。4頁で紹介したように、最近の事件を見てもあれほど多いのだ。なぜ、少年犯罪は続発、増加するのか。ゼミにおいてその謎の解明に挑戦してゆきたい。それには、ある一つの事件が注目される。その事件に少年犯罪を解く全ての鍵があるような気がするからだ。資料も多い。
凶悪少年犯罪を象徴する事件といえば、8年前に起きた神戸の、あの事件―「神戸連続児童殺傷事件」である。一人の男児と、一人の女児を殺害し、一人の女児を傷つけた残虐な手口は、日本中を震撼させた。が、逮捕された犯人に人々は驚愕し暗澹たる気持になった。
あのときの被害者は、当時10歳、11歳だったから、あんな目にあわなければ現在、大学1、2年である。つまりゼミ受講者の皆さんと同世代ということだ。それだけにより身近に考えられるのではないか。そんな視点からとりあげることにした。この事件について書かれた本はたくさんある。本通信では、手許にある本、高山文彦著『「少年A」14歳の肖像』新潮社、少年A両親著『「少年A」この子を生んで』文藝春秋刊などを参考にする。

あの事件とは
 日本中を震撼させ、すべての教育者と子を持つ父母を恐怖と絶望の淵に叩き込んだ「あの事件とは」何か。すでにマスメディアにおいて語りつくされている感もあるが、当時、11歳前後だったゼミ受講者の観点から考えるために、事件の全容を振り返ってみた。

 1997年5月27日未明 事件は行方不明だった小6男児の切断された遺体が中学の校門で見つかった。このときから事件がはじまった。だが、実際には3ヶ月も前から、すでにこの事件は、はじまっていたのである。推移は下記の通り。

2月10日 公園で小6女児二人が何者かに殴打される。
3月16日 公園で小6女児二人が襲われる。頭部を殴られた女児、一週間後に死亡。
5月24日 小6男児が行方不明。
  26日 須磨署が公開捜査。
  27日 未明に切断遺体発見される。中学校の校門に置かれていた。手紙も。
        手紙の内容は「さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない 人の死が見たくてしょうがない / 積年の大怨に流血の裁きを /」といった挑発的なもの。
6月4日 神戸新聞社に声明文が届く。
  28日 捜査本部、14歳中三少年Aを逮捕。

透明な存在
 6月28日土曜日 夕食後だったか。テレビを見ていた家族が、突然、驚きの叫び声をあげた。つづいて「犯人が捕まった!」の声。とんでいって見ると、須磨署の前でアナウンサーが興奮した口調で報じているところだった。犯人は、中学3年の少年。そのことに驚いたが、次の瞬間、それにも増して驚いたことがあった。テレビ画面のある光景だった。須磨署の前に大勢の若者が集まっていて、「犯人は14歳」と報じた途端、ワーと歓声をあげたのだ。それは、まるで英雄か何かをたたえるようだった。あれは何だったのだろう・・・。
 少年Aを、この残忍な犯罪にかりたてたものは何か。精神鑑定はじめ、いろいろな分析がなされた。私は、Aが神戸新聞社に送った声明文のなかにあった「透明な存在」という言葉に注目したい。この「透明な存在」こそが謎を解く鍵になりそうな気がするである。
(次号につづく) 
               
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2005年読書と創作の旅・テキスト犯罪創作作品の観察

一般に「心の闇」と呼ばれる若者の犯罪事件。テキストである志賀直哉の作品にも、「心の闇」に光を当てた作品がある。若者は、どんな動機から事件を起こしたのか。事件最中の心境はどんなだったか。『兒を盗む話』は、容疑者の心の闇を隈なく照らし出している。

テキスト『兒を盗む話』紹介

 女の子を誘拐する。近頃、そんな事件が多くなっている。なぜ女の子を。誘拐するのか。容疑者の心の闇とは何か。志賀直哉の作品『兒を盗む話』は、まさにその闇に光を当て犯罪者の心理を白日の下にさらした貴重な作品である。(太字は全集抜粋)

この作品は、1914年(大正3年)4月1日発行の『白樺』第五巻第四号にて発表。1917年(大正6年)6月、新潮社刊行の「新進作家叢書」の1冊『大津順吉』に収録、そのとき末尾に「(大正2年)」と執筆年が明示された。
【創作余談】
 尾の道生活の経験で、半分は事実、子を盗むところからは空想。然しこの空想を本気でしたことは事実。友達もない一人生活では空想という事が日々の生活で相当に幅を利かしていた。それを実行するには未だ遠いにしろ、そういう想像を頼りにする。今ならそういう想像をする事の方を書くかも知れないが、その時代は想像をそのまま事実にして書いてしまった。もっともこれは何れがいいとか悪いとか云うことをいっているのではない。『兒を盗む話』は今はもう愛着を持っていない。多少愛着を感じていたこの小説の描写は『暗夜行路』の前篇に使ってしまった。 

 「ロリコン」社会の危機 (2005年8月31日水曜日 読売新聞夕刊 文化欄)
 幼女誘拐は、なぜ起きるのか。先ごろ、その深層に迫った興味ある記事を見つけた。書いたのは生命学者で大阪府立大教授の森岡正博氏。以下、その抜粋(太字)である。
 氏は、これまで/脳死になった人はほんとうに死んでいるのだろうか、オウム教の人たちはどうしてあのような事件をおこしてしまったのだろうかなどの問題である。それらをトータルに考えるための「生命学」という新しい学問を、提唱してきた。ところが、氏が、このところずっと考えていたのは、そうした問題ではなく「ロリコン」についてなのである。なぜか!?氏は、それについてこのように疑問視する。この社会を見てご覧なさい。毎日、少女売春などで捕まる男たちはあとを絶たないし、幼女を狙った犯罪も多発している。なぜ一人前の男たちが、と年端もいかぬ少女たちに、こんなにも激しく性的に関わろうとしているのか。なぜか、その理由は、いまの日本の全体が、もうどうしょうもない「ロリコン」社会になっている、からだという。たとえば、アイドル写真集の売り上げ上位にランクされるのは、12歳前後の小中学生で、その内容も、下着姿で挑発的/セクシーなものが多い。こうした現象の要因は、アイドルの親自身が「ロリコン」ではないかと指摘する。そうして、このように結論づける。つまり元祖「ロリコン」世代の男たちがいま40代後半になりつつあり、彼らの娘たちは、ちょうどいま小中学生なのだ。ちなみに、少女売春や盗撮などで捕まる男たちもこの世代が多い、という。そうしてこうも糾弾する。この世代の男たちこそが、日本を「ロリコン」大国にした張本人、だと。テレビでは、小中学生の少女に性的な視線を公然と浴びせかける番組が花盛りだ。最後に、氏はきっぱりこう断言する。「ロリコン」世代の私がいうのだから、間違いはない。と。
 91年前、この病的な男の本能を志賀直哉は、冷静に観察し作品とした。

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.37 ――――― 8 ―――――――――――――――――――

『兒を盗む話』を読む①

 幼女誘拐犯の「心の闇」とは何か。テキストを検証することで、その謎に迫ってみたい。事件をヒントに創作したとすれば、事件は下記のような新聞報道からでは。

幼女、誘拐犯逮捕 犯人は東京から来た勘当息子 尾道警察

 この誘拐犯は、なぜ尾道にきたのか。これは彼誘拐犯の手記ともいえる作品だが、冒頭の数行にその動機らしきことが書いてある。(原文を編集室が現代表記)

ある朝父が、「貴様はいったいそんなことをしていて将来どうするつもりだ」と蔑むように言った。「貴様のようなヤクザな奴がこの家に生まれたのは何のバチかと思う」
 なお父は私の顔を見るさへ不愉快だとか、私が家にいるために小さい兄弟の教育にも差し支えると言った。父は私が現代の弊害を一人で集めてる人間のように言って、だから、私(あるいは私達)が社会からひん斥されるのは当たり前だと真正面から平手で顔をピシャリピシャリなぐるような調子で言った。その所で私も乱暴なことを言った。そして久しぶりで泣いた。私はそう言われたことではそれほど感情を害さなかったが、翌日、日が暮れると、烈しい雨の中を荷車に荷を積まして家を出た。その時私を頼りにしていた上の妹が泣いていた。それから京橋区のある小さい宿屋で半月ばかり暮らしたが、私は更に誰からも一人になって暮らそうと思い、9月末の或る日、五百哩ばかりある瀬戸内に沿うたある小さな市へ来た。
 
ここまでは、事件の引き金というより、家を飛び出すことになった経緯が書かれている。どのような理由からか判然としないがこの若者は父親に相当憎まれている。のっけから「貴様はいったいそんなことをして」と責められている。そのところから、若者は父親にとってよからぬことをしているようだ。が、それがどんなことかはまったくの不明。現代の弊害とあるが、この時代の弊害とは何か。印象から不良とか放蕩者ではなさそうである。現代的にとらえれば引きこもり型か。父権の強すぎた時代である。父と子の対立は、よくある話であったに違いない。が、この時代、外国をみれば、ロシアは革命前夜であり、ヨーロッパは第一次世界大戦前のきな臭い状態であった。日本は領土拡張を目的に海外進出をはかっていた。こんな内外ともに喧騒とした、一攫千金を求めていた時代。家にこもって何やらこそこそやっていれば父親でなくとも腹も立つということは想像できる。

 知っている人は誰もいなかった。しばらく宿屋住まいをした後で、市全体と海と島とを一目に見渡せる山の中腹に気に入った小さい貸家を見つけて、そのところに一人住まいをすることにした。もっとも一度、散歩してふと口入宿の前に出たとき、女中はないかと聞いてみたことがある。その店には大きな婆さんが一人でつぎ物をしていたが、私が純粋の一人者だということを聞いた後、年は幾つぐらいのがいいかねと尋ねた。若い方がいい、と答えると眼鏡越しにジロリと私の顔を見上げて、それではないと言った。私は女中を雇い入れる事はやめにした。

 父子喧嘩の果て家を飛び出した彼は、夏の間、都内で暮らすが9月になって瀬戸内にある小さな市、尾道にきた。彼は、部屋を借りることにする。このとき女中を雇おうとする。
漱石の作品もそうだが、この時代の小説の主人公は、部屋を借りると必ず世話係がいる。  
若い男が、なぜと疑問に思うところだが、ロシア文学でもよくこんな場面がある。どんなに
貧乏でも、そうした人をちゃんと雇っている。矛盾というか疑問というか、そんなものを感

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じるが当時としては、それが普通だったのか。ここでは詮索しないことにする。その話は若
い方がいいと希望をだしたため断られ、結果、あきらめることになるのだが、もしここで誰か雇っていれば、この事件は起きなかっただろう。そのことを考えると、物語の流れの中では、この箇所は重要なポイント箇所ともいえる。見知らぬ土地で一人暮らしをはじめた彼の生活とは、どんなものだったのか。

 私は大家から鍵を受け取って雨戸を開けて見た。腐れかけた畳の上に海老のような背をした、きたないコオロギがじっとうづくまっていた。私は爪立って中へ入って行った。するとその虫が10匹余り一時に部屋の中を飛び回りはじめた。しまいにカビの生えた壁へ飛び上がってそのところでまたじっとしてしまった。

 貸家はどんな家か、家の様子よりもそこに棲む生き物を観察するのが、作者の得意とするところである。自ら心境小説と名づけた『城の崎にて』の片鱗がみられる。

 町から畳屋と提灯屋を呼んで来て、畳表と障子紙とを新しくさした。電燈屋へも電話をかけさせたがその日は出来ないというので大家からランプを借りてきた。なおガスも引くことにして、その晩は掃除の出来た6畳の部屋でゆったりと静かな気分になって寝床へ入った。何かしらん一人住まいから予期できる自由ないい気持がした。私は床の中で読みかけの本を読んでいた。知らぬ間に立ち働いた疲れが出て、私はランプをつけたままうとうとしたと見える、ふと何かに驚いて眼を覚ました。起きかえると、三寸ばかりの青黒いムカデがいま枕の下から這い出すところだった。妙にドキリとした。ムカデはたくさんある足を波のように動かして静かにシーツから畳へ下りて行った。私は本で叩いたが殺しそこなった。ムカデは急に早くなって畳と敷居の一分程あいた隙間へ逃げ込んでしまった。それから眠れなくなってまた本を読み始めた。しばらくすると後の山寺で12時の時の鐘をつきだした。

 知らない土地の貸家で一人暮らしをはじめた、初めての夜の感覚がよくあらわれている。一人暮らしをした者でしかわからない心境。生き物の気配。山寺の鐘の響き。ずっしり重い夜の静けさ。彼の観察は、さびしさ、心もとない気持から逃避するように思い出へと移っていく。

 私は物心ついて3週間以上東京を離れたことがなかった。ちょうど3年前の秋、急に家が嫌になって2、3ヶ月京都に住むつもりで、それだけの用意をした大きい荷を持って夜汽車で東京をたった。翌朝着くと荷を停車場へ預けたまま一日貸間探しをして歩いた。きたない部屋ばかりだった。そのうち、急に京都が嫌になってきた。そして一晩も泊まらずにその夕方の汽車で大きな荷物を持ってまた東京へ帰ってきた。

この歳になるまで東京を3週間以上離れたことがなく、京都に住むつもりで荷物を持って家をでたが、一晩も泊まらずにとんぼ返り。この甘さは、おそらく中村光夫などに言わせれば「貴族気質にも通ずる彼のむかしからの性格のひとつであり、ことによると彼の芸術の根本をなす思想かも知れないのです(『志賀直哉論』)」ということになるのだろう。が、その人の育った環境についてどうこういっても仕方がない。「おまえは貧乏人の家に生まれ育ったから悪い」「金持ちの家だから悪い」といわれても、本人の責任ではない。第一、これは創作作品なので、作者とは関係がない。それに主人公の甘ちゃん性格は、作品を構成する上で重大な要素になっている。つまり、この物語は、犯人の甘いぼっちゃん性格がなくては、成り立たないわけである。  (つづきは次号38に掲載)

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2005年、読書と創作の旅
7・25報告

司会は畑茉林さん
 7月25日前期最終日のゼミ出席者は8名。前期ゼミ出席者数の平均は7.3名なので、まあよしとするところ。授業は前期ゼミ感想のあとNHKアーカイブス『教え子たちの歳月』のビデオ鑑賞をした。が、放映時にはメディアの評判はよかったが、今回観てみると、不備が目立った。具体的には、もっと大勢の過去・現在を簡潔に伝えた方が・・・である。50歳ということで、当時は中高年の視聴者に評価されたが、若い世代には退屈だったのでは。
 ちなみに前期ゼミの出席状況は、11名、10名、9名、7名、7名、6名、7名、8名、
10名、4名、8名でした。最多が11名、最小が4名ということになります。残念ながら12名全員の出席はなかった。(初日ガイダンスは除く)受講者の出席日内訳は、次のようになります。

皆勤11回全授業出席者 → 2名  精勤10回授業出席者 → 2名
2回欠9回授業出席者 → 1名   3回欠8回授業出席者 → 2名
4回欠7回授業出席者 → 1名   6回欠5回授業出席者 → 2名
9回欠2回授業出席者 → 1名   10回欠1回授業出席者 → 1名

【前期ゼミ感想】

出席者に、前期ゼミの感想を述べてもらった。テキストから関連作品を選びテーマを一つにしぼってすすめたことに、「書くことがはっきりしていてやりやすかった」の意見が多かった。全体的に、書くことへの習慣化は、できてきた、そんな印象を得ました。

志賀直哉は知っていたけど、作品はきちんと読んでいなかった。ゼミでとりあげたことで読むきっかけになったので、よかった。車内観察することで、書く習慣ができた。(S)

志賀直哉に興味を持つことができてよかった。同じ一つのテーマを書き続けるのがよかった。車中観察は、これからも続けていきたい。(H)

習慣化された。テーマがしぼられたことで筆がすすむようになった。ちょつとしたことでも書けるようになった。(O)

頑張ろうと思ったけど休みが多くなってしまった。後期はがんばります。(H・E)

サークルで休みが多かった。後期は出席して課題もきちんとこなしたい。(Tu)

他の人の意見を聞くのはためになった。担任の感想も聞けたらいいと思った。(O・N)

前期、短く感じた。楽しかった。後期はもう少し書いて発表したい。(N)

サークルの稽古で休みが多くなってしまつた。後期は、出席して書きたい。(H・M)

講評:前期の反省点をあげれば、JR問題など課題が多すぎた気がする。「車内観察」1本にしぼった方がよかったのでは・・・。「書く」はできたが、「読む」が少なかったように思える。もっと名作読みを増やした方がよかったのでは。提出原稿が多かった。さすが文芸と感心した。が、提出にバラつきがあった。毎回、提出する人、ほとんど提出無しの人。両者の差がありすぎた。全体的には、前期の旅は、楽しくできた。
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2005年、読書と創作の旅      文芸情報

ノミネート作品紹介

『黒澤明記念ショートフィルムコンペティション』に
吉本直聞氏(ドストエーフスキイ全作品を読む会会員)の作品
「ドライ」がノミネート !!

下原さま
この度、『黒澤明記念ショートフィルムコンペティション』にて作品がノミネートされました。
478の応募作品の中から15本ノミネート作品が選ばれ、僕の作品『ドライ』はその中の
1本になったというわけです。
それで9月4日(日)に全ノミネート作品上映と授賞式が有楽町マリオン11F朝日ホールにて
開かれることになりました。(が、惜しくも受賞はとり逃しました。)

黒澤明文化振興財団ホームページ
http://www.kurosawa-foundation.com/index.html

新刊紹介

 清水 正著 D文学研究会刊/星雲社発売 定価(3200+税)
『三島由紀夫・文学と事件』
――預言書『仮面の告白』を読む――

【三島由紀夫没後35年記念出版】
『仮面の告白』に、すでに三島の〈死〉は予言されていた。緻密な分析で三島由紀夫の〈文学〉と〈事件〉の秘密に肉迫する。画期的な三島由紀夫論。第Ⅰ部『仮面の告白』を読む。第Ⅱ部三島由紀夫の〈死〉。三島由紀夫の行動美学と武士道。三島由紀夫、その文学と事件。

 昨日、この本の校正を終えて、一息ついて、あらためて蘇ってきた三島の言葉がある。母倭文重が三島の日記帳に発見した「僕はいつも号泣したいのに我慢している」という言葉である。生きて有る〈現在〉を必死に精一杯生きた三島の内心の声である。こういう声を聞いてしまうと、三島の〈事件〉を善悪の次元で片づけることはできなくなる。文学に係わる者は、だれもが号泣を我慢して生きている。否、この世に生を受けたすべての者がそのように生きている。  ――「あとがき」より――
 
栞―――「意志の人」山下聖美、「鮮烈な光景」浅沼 璞 、「三島事件の謎」下原敏彦

阿久澤騰共著 芸術メディア研究会編 タイケン 定価2300円+税
『芸術・メディアの視座』

ポピュラー映画の文化政治学 映画「マトリックス」の解説 阿久澤騰

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2005年、読書と創作の旅・文芸情報

朝日新聞 2005年9月23日 金曜日

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2005年、読書と創作の旅・文芸情報

読売新聞夕刊 2005年9月16日 金曜日

横山光輝が「狼の星座」に漫画化したが小説の方が断然面白く読める作品。


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2005年、読書と創作の旅・文芸情報

読売新聞 2005年9月18日 日曜日

国立国語研究所の日本語の意味にかんする調査結果

朝日新聞 2005年9月14日 水曜日

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2005年、読書と創作の旅・文芸情報

少年犯罪の事件記事(新聞切抜き)紹介

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掲示板
 
ゼミ後期提出原稿(提出数は何本でも可、郵送、メール可)

□「少年犯罪についての創作」(最近の事件記事をヒントに)
□「社会観察」(興味ある事件・出来事について調査、コメントし発表する)
□テキスト『子を盗む話』の感想

演劇  劇団ZAPPA VOL.8 『空―SORA-』
     作・演出/澤田正俊 第17回池袋演劇参加作品 毎年連続受賞しています!
公演:2005年9月28日(水)~10月2日(日)
会場:東京芸術劇場小ホール1
時間:28日(19時~)29日(14時~、19時)
   30日(同)1日(同)2日(12時半~、17時~)
料金/前売・当日共3000円(日時指定・全席自由)
劇団ZAPPAチケットセンター
TEL:080-3155-6143
http:/zappa.k-free.net/
幕末エンターテイメント

読書会・例会(ドストエフスキー関係)

・ドストエーフスキイ全作品を読む会・第211回読書会
10月8日 土曜日 午後2:00~4:45 東京芸術劇場小会議室1
作品『地下生活者の手記』
・ドストエーフスキイの会第171回例会
10月29日 土曜日 午後6:00~9:00 千駄ヶ谷区民会館
発表者 木寺律子氏    
・ドストエーフスキイ全作品を読む会・第212回読書会
12月17日 土曜日 午後2:00~4:45
東京芸術劇場小会議室1 作品:『地下生活者の手記』2回目

ロシアの古典 詩と音楽
・10月22日(土)19時開演「ようろっぱ風さろん 蛮」
・宇和島(四国)・ロシア文化交流協会主催
 以上詳細は下原まで

編集室便り

☆原稿用紙は、文芸専用原稿用紙を配布します。題名をしっかり書いてください。
☆提出原稿は直接か下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール:toshihiko@shimohara.net TEL・FAX:047-475-1582 
☆本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。
☆後期も頑張って発行していきますので、よろしくお願いします。皆さんの原稿、お待ちし
ています。

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罫線の描き方↑
罫線(A)→線種とページ罫線と網掛けの設定→水平線→線を選んでOK
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日本大学芸術学部文芸学科・文芸研究Ⅱ「下原ゼミ通信」提出原稿用紙 
「2005年、読書と創作の旅」テキスト「』感想
                         名前

○ 9月8日、木曜日の朝日新聞朝刊一面4段見出し「箱島新聞協会長 辞任へ」「秋山本社社長、おわび会見」
 これは、8月21日、22日の朝日新聞朝刊に掲載された記事(虚偽メモ発覚)の責任をとったと報じたもの。虚偽メモ発覚とは、(衆院解散後)亀井静香元議員と田中康夫長野県知事が長野県内で会って新党設立の密談をしたという報道記事。記事内容は、本社長野総局の記者(28)が実際田中知事に取材していないにもかかわらず、さもインタビューしたような架空の取材メモを作成(創作)した。本社はこのメモを基にして選挙関係の記事を作って掲載した。が、田中知事が記者会見で指摘し発覚した。朝日新聞は、若い一人の記者のまったくの創作メモから選挙記事をつくり発表したのである。発覚後、記者は懲戒解雇、本社編集局長は更迭されたという。
 若い記者は、なぜ、そんなウソのメモを作ったのか。あまりに稚拙すぎて信じがたいが、動機は、たんに自分をよくみせたいという単純なものであったという。原因について朝日新聞本社社長は、「社員、記者の一部にモラルの低下がみられた」とわびた。
 しかし、謎はのこる。なぜ、この若い記者は、調べれば(調べなくても)すぐにバレるようなメモを作ったのか。今日、本当に記者のモラルは低下したのか。低下したとすれば、それはなぜか。考えのある人は書いてください。

紹介・この記事を読んでいるとき、昨年の暮れに亡くなった元新聞記者(71)が書いた本のことを思いだした。本は、今年はじめ出版された。

本田靖春著 講談社2005年2月発行 定価2500円
『我、拗ね者として生涯を閉ず』
土壌館創作道場・不定期連載物予告『青春水滸伝』

[前記]1960年代末の日大は混乱を極めた。68年夏、学園紛争とは無縁だった日大に突如、火の手があがった。大学の不正事件が原因だった。火の粉は、たちまちのうちに全学部に燃え広がった。日大の長い歴史のなかで、あの一時期は暗黒の時代だった。が、また一塊の金剛石のような時代でもあった。一瞬の閃光の中に多くの物語が見えた。しかし、あの時代について書かれたものは僅かだ。見た者も多くを語ろうとしない。従ってあの時代は何であったか、今もって深い霧のなかにある。最もこの稿は、日大闘争の記録でも、あの学園紛争の真相を描くものでもない。あの激動の時代にこんな学生群像があった。たんにそれを記したかった。ただそれのみの動機である。なお、この話はあくまでも作者の自由な創作である。学部学科名、職員及び学生の姓名、出来事などすべて架空のものであることを承知されたい。

下原ゼミの理念「人類全体の幸福に繋がりのある仕事」(『暗夜行路』から)

9・26ゼミについて
何かと喧騒に満ちた夏も去り、朝夕もようやくしのぎやすくなりました。2005年文芸研究Ⅱ下原ゼミ受講の皆さんには、後期を目前にして早くも心は所沢校舎にあるかと思います。9・26は皆さんの元気な顔に再会できるのを楽しみにしています。
さて、後期ゼミはじまりの9・26は、下記の要領で行います。
1. ゼミ誌について(原稿提出、編集委員からの作成手順再説明や題名など)
2. 後期ゼミについて。「社会観察のこと」
3. 「夏休み観察」(読書・体験・日記・映画感想など)の発表、(本通信に掲載するので原稿で提出ください)&テキスト読みか名作読み(時間があれば)

社会観察・第44回総選挙結果

ドストエフスキーと司馬遼太郎

今年の夏は、感動に水を注された高校野球、甚大被害をもたらした台風14号、そ
れにアメリカのハリケーンと内外ともに芳しからぬ話題が多かった。こんななかで、唯一お祭ごとだったのは、衆議院解散と総選挙。小泉首相対造反組、小泉自民党対岡田民主党。1対複数勢力との戦いだった。結果は、小泉さんが岡田さんに圧勝した。なぜか。テレビのワイドショーや新聞は連日、勝因について報じた。分析は様々だ。
勝敗は、どこにあったのか。両者の愛読書に注目してみるのも面白い。公示前、新聞で二人のプロフィールが紹介された。その中に愛読書の欄があった。小泉さんの愛読書は司馬遼太郎の『国盗り物語』。岡田さんの愛読書はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。世界文学から見れば、両者は比較にもならない。しかし、国内では、司馬遼太郎は、国民的大作家である。『国盗り物語』は、一介の油売りが地縁も血縁も看板もない美濃で一国一城の主になる痛快英雄伝説だ。まさに選挙宣伝には、打って付けである。それに比べ、ドストエフスキーは、ぱっとしない。一昨年の新年号だったか、文芸誌に、ある大学の研究室で教授が、院生からいきなり「ドストエフスキーって誰ですか」とたずねられて愕然としたという体たらくである。『カラマーゾフの兄弟』は、未完成ながら世界文学の最頂点を極める作品だが、読みきった人は少ないとみる。
人気と不人気において両作品は、対極にある。が、二人の選挙運動を観察すると、印象だが、その選挙戦術は、愛読書とはまったくだったように思える。『国盗り』をあげた小泉さんは、実際には、『カラマーゾフ』的戦術。人間一人ひとりに呼びかける戦術。つまり葉書や手紙という個人に直結する郵政問題がそれである。ところが、岡田さんの戦略は司馬遼太郎が好んだテーマ「英雄」だった。愛読書には人類一人ひとりの幸福を願った作品『カラマーゾフ』をあげながら、実際の行動は、政権交代だの千載一遇のチャンスだのと勇ましい。英雄出現は、戦国時代なら支持されるだろう。が、民主主義の今日では、歓迎されない。
小泉さんが、ドストエフスキー作品を読んでいるかいないかは知らない。が、その選挙運動は、英雄伝説的手法ではななく、人間観察した『カラマーゾフ』てきドストエフスキー手法によるものだった。歴史は、英雄や組織ではなく、一人ひとりの人間が動かすもの。小泉さんは、そのことをよく知っていたようだ。図らずも対照的な愛読書をあげた二人だが、作品から学んだことは、皮肉にも違っていた。