2004年12月アーカイブ

下原ゼミ通信21

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車窓雑記

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◆先日、テレビでネット依存のことを知った。若者が、インターネットのゲームにはまり抜け出せなくなってしまうのだ。◆テレビに出て、その恐ろしさを伝えていたのは、もう何年も家に閉じこもってゲームばかりやっていた青年だった。学校も仕事にも行かずひたすら、ゲームをしていた。が、最近、その状況から抜け出したくなった。しかし、どうしたらやめられるのか、それがわからない、という。◆やめられない、という点でネット依存は、拒食症やアルコール依存といった、その手の患者と同じかも知れない。映画「酒とバラの日々」など見ると抜け出すのは容易ではなさそうだ。◆ドストエーフスキイは、てんかんの作家と知られているが、もう一つ別な顔があった。それはギャンブル依存という賭博者の顔だった。ルーレットをどうしてもやめることができなかった。◆そのため家族を苦しめ、常に自己嫌悪に陥っていた。が、どうすることもできなかった。やめるぞ、やめるぞ、と決心しながら、家庭や妻子から無け無しの金をもぎとっていくのだ。◆妻のアンナは理解できなかった。死刑に直面し、酷寒のシベリア流刑を強い意志で耐えることができたのに・・・そんな彼がなぜルーレットごときの誘惑に負けてしまうのか。◆依存――ギャンブル熱。それは、家族への愛も他者へのいたわりも、自分のプライドまでもさえ無くしてしまうもの。◆しかし、ある日、突如、ドストエーフスキイの身体から依存が消えた。1871年4月28日ドストエーフスキイは妻に興奮した口調でこう手紙を書いている。◆「信じてほしい!じつは私の身に重大なことが起きたのだ。過去10年間にわたって私を苦しめつづけてきた、あのいまいましい賭博熱が、いまここにわたって消え果たのだ!」◆もちろんアンナは信じなかった。「その言葉が守れたためしがなかったのだ」と冷やかだった。しかし、この約束は真実だった。アンナはこう証言している。「その後夫は、何度も外国に出かけたが、もはやけっして賭博の町に足を踏み入れようとはしなかった。」◆ドストエーフスキイは、なぜ依存というアリ地獄から抜け出すことができたのか。そのことについて作家は何も語ってはいない。◆ゼミ学生のなかでゲームやなにかの依存にあると思う人、実際に苦しみ悩んでいる人。そんな人に、ぜひドストエーフスキイを読むことをすすめたい。もしかして作品や、生き方のなかに抜け出すヒントが、あるかもしれない。そう思うからです。(編集室)