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2005年11月28日

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.45


日本大学芸術学部文芸学科     2005年(平成17年)11月28日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.45
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
 ホームページ http://www.shimoharanet 編集発行人 下原敏彦
                              
2005後期9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28
12/5 12/12 1/16 
2005年、読書と創作の旅

11・28下原ゼミ

11・28の下原ゼミは、下記の要領で行います。(文ゼミ1) 都合で44号と重複します。

1. ゼミ誌委員に原稿提出、ゼミ誌委員から報告(あれば)  11・21ゼミ報告
      
2. 「社会観察」の提出あれば発表と感想
  社会観察①「運転室に長男」の運転士解雇、当然か厳しいか
      ② 振り込め詐欺はなぜなくならないのか
 
3. 読書の秋 『若きエルテルの悩み』(5月4、10、12、13、15日までの書簡)

4. 少年犯罪 → 家庭の問題を探る、テキスト『にんじん』「うさぎ」「鶴嘴」
        

2005年、読書と創作の旅・社会観察
 
  この1週間、目についた記事。(朝日、読売から11・19~11・27)
□下水汚泥を燃料に都、07年度事業化 (19朝) オレオレ詐欺被害額増加(19読)
□元少年と被害者が面会 昭和レトロ本出版相次ぐ(20朝)塀の中の詩人たち 伊(20読)
□Qちゃん復活V (21読) はやぶさ、着陸できず イトカワまで10㍍(21朝)
□主将は金髪力士チェコ留学生東大相撲部(21朝)米映画大手のゲーム進出加速(21読)
□領土に歩み寄りなし日露首脳(22読)映画「インサイド・ディーブ・スロート」公開中性めぐる表現の自由問い直す 進路開拓探る大学院 文科省が人材育成プログラム(22朝)
□小1女児下校中殺される(23読)責任能力めぐり弁論宮崎被告は「無関心」(23朝)
□民間検査甘い実態 耐震偽装(24読)管理職なんてイヤ 昇任試験経る東京都(24朝)
□女性・女系天皇容認 大学設置虚偽申請に罰則(25朝)オウム「危険増大の恐れ」(読)
□歌舞伎、「人類の遺産」に(26朝)はやぶさ再着陸 岩石採取成功か(26読)
□たどり着いた「内なる自由」加島祥造(26読)東京からカモ激減(26朝)
□朝青龍、未到のV7連勝、年6場所制覇、年間最多83勝(27朝)
□移民差別根深く 仏暴動1ヶ月 ゲットー急増過激派温床の恐れ(27読)


□土壌雑記「小6観察」「11月21日ゼミ報告」・・・・・・・・・・2、3、4、5、6、7
□社会観察(新聞から)、家庭観察「にんじん」・・・・・・・・・・・8、9、10、11、12
□連載創作ルポ解析『生きている兵隊』⑤他・・・・・・・・・・・・・・13、14、15
□掲示板、編集室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.45 ――――― 2 ―――――――――――――――――――
土壌雑記         子ども世界の観察

少年犯罪の凶悪化が問題になっている。かれらを生み出す要因は何か。一般的には、家庭、学校、社会といった子どもを取り巻く環境があげられる。あのとき家庭が、学校が、地域社会がしっかりしていれば・・・そんな悔いをよく聞く。が、これにもう一歩踏み込んでつけ加えるなら、子ども世界の観察ではないかと思う。子ども同士が、どんな関係にあるのか、それを把握しているのも重要なことである。
子どもを観察する場合、小学校高学年が適切だ。なぜか。子どもは、小学生から中学生になるとまるで変わってしまう。身体も性格もである。まさに短期間に「彼は昔の彼ならず」と変身するである。そう一夜で虫になったあの『変身』の主人公のようにだ。それだけに、その端境期にある高学年、とくに小6に注目してみると面白い。この時期の心はさなぎが孵化する過程のように過敏で神秘である。彼ら自身にもわからない何かが心と体の中で起きているのだ。それ故に彼らの扱いは難しいところがある。目下、家族観察でテキストにしている『にんじん』も、まさにそんな最中といえる。複雑な年齢。
さて、何故にこんな話をするのかといえば。現在、(全員男の子だが)小6の子ども3人を観察していて、そのことで、頭を悩ませているからである。今年の下原ゼミのタイトルは『柔』である。そして表紙絵、裏表紙とも、恥ずかしながら私の稽古着姿。これからわかるように私は、ボランティア活動として地域の青少年に柔道を教えている。現在、小学生の部には1年から6年生までの子が11名いる。このなかに小学6年生が3人いる。この3人、1人ひとりは、長短はあるがまじめで、練習も一生懸命だ、あいさつもしっかりできる。柔道に関しては、よい子どもたちである。だが、観察していると、一人をいじめているようだ。三人という数がいけないらしい。いつも2対1になって、一人の子を攻撃している。(もっとも、その攻撃される子も、それなりの理由があるのだが)子供同士のこと、そのうち自分たちで解決するのではと静観していた。が、エスカレートするばかりだ。
三人といえば三本の矢を思い出す人もいるだろう。西の戦国大名が、三人の息子たちに教えた、教訓だ。一本なら弱いが三本なら強い。息子たちは、教えを守り、国を西国一の大大名にした。まさに2×2が4の話である。が、大概はこうはいかない。ドストエフスキー的見方をすれば、人間は、矢ではない。けっして2×2が4にはならない。むしろ2×2が0になる可能性の方が大きい。小6の弟子たちは、一人ひとりは、よい子である。本来ならば、3倍によくなるはずである。が、そうはならない。
あるとき「なぜけんかをするのか」と、聞いてみた。一人ひとりの答えは、「自分は悪くない。相手がふざけているから注意したのだ」と、言う。自分は、高学年としていいことをしているのに、叱られては心外だ、といわんばかりなのだ。どうやら3人という数字にも問題があるかも。争いをやめさせるには、どうしたらよいのか。罰すれば表面上は解決はするだろう。が、それでは真に解決したとはいえない。で、もう少し観察することにした。
3人の家庭と性格をみた。Aは二人兄弟の長男。三つ下の弟も柔道に通っている。柔道は強いが気が弱く、指導力にむらがある。弟をよくいじめる。ほかに5年生の子といじめっ子いじめられっ子の依存関係にある。Bは、二人兄弟の次男。長男も道場に通っていて、現在は高校受験生。Bは、指導力があるので下級生のまとめをやらさせている。Cは、三人兄弟の真ん中。下に年の離れた妹がいる。やはり長男も道場に通っていた。Cは礼儀正しく寡黙だが、ときどきかっとなる。このCが、Aをからかう、というか、Aのだらしないところを指摘する。Aは、ふてる。すると、BがCに同調して、2人でAをからかう(注意しているのだというが)。2対1になるのは、長男対次男という構図もあるのだろう。対立は、これに第何期目かの反抗期が加わる結果だろう。そんな見当がついた。が、さてどうするか。
子どもは毎日のように変化する。昨日悪くても今日はよくなっている。成長が速い。それだけに子どもの世界の観察は、面白くも面倒だ。        (編集室)


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2005年、読書と創作の旅 11・21ゼミ報告

 11・21ゼミ報告
 
出席者は5名

 この日の出席者は、5名。寒波到来のせいではなく、おそらくゼミ誌の原稿書きに追われている。そのように想像した。頑張って仕上げてください。

ゼミ誌原稿提出状況

 21日は、ゼミ誌原稿の締切日でした。が、この日、原稿を中村編集委員に提出できた人は、田中さん、林正人さんの2名、小河原さん、関さんは編集室で手直しでした。

表紙・裏表紙写真を見る

 「表紙・裏表紙の写真がよく撮れています」中村編集委員から報告を受け、パソコンで見せてもらった。なんと表紙は稽古着姿の全身!ということで冷や汗たらたら。裏は関さんとの格闘シーン。こちらは、側面なので少し安堵。

読書談議・司馬遼太郎作品について

 この日は、原稿提出者のみのゼミとなった。田中さんが司馬遼太郎の『燃えよ剣』が「面白かった」との感想。田中さんは夏休みに父親所蔵の『竜馬が行く』を全巻読破。すっかり司馬遼太郎ファンになったとのこと。中村さんも、同じく司馬遼太郎ファンで、しばらく司馬作品談議。昨年NHKの大河ドラマ「新撰組」は、原作が司馬作品ではなかったので、不満の人が多かったときく。(日芸出身の脚本家が手がけたらしいが・・・)私も二十歳前後の頃は、司馬作品をよく読んだ。読まなくなってからは息子や娘に読むようにすすめ、京都の竜馬の墓を詣でたり、壬生の新撰組屯所跡を見学しりした。司馬作品は青春を思い出してなつかしい。かって、国民文学といえば吉川英治だったが、その後は司馬遼太郎といっても過言ではない。歴史を面白くするジャーナリステックな文体と血沸き肉踊るストーリーは他の作家を追随させないものがある。だがしかし、これほどまでに国民から支持されている司馬文学が、世界文学線上に乗らないのはなぜか。司馬文学を高く評価し、世界文学線上にひきあげようと努力している人たちもいる。朝日新聞コラムニストのF氏もその一人だ。たしか、何年か前、ニューヨークから、そんな記事を発信していた。現在は、東海大学の高橋誠一郎教授が、ドストエフスキー研究と併せ、司馬遼太郎研究者として活躍している。(高橋教授は、ドストエフスキーと司馬遼太郎作品の比較文学論を数多く出版している。)
 司馬作品は、夢と冒険に満ちているが、全作品をみたときあることに気づく。ブーメランのように元に戻っているということだ。中世時代、小さな港町から出航した船が、数々の冒険を終えたあと、再びもとの小さな港に帰ってきた。そんな印象を受けるのである。
 処女作『梟の城』は、数ある直木賞のなかでも群を抜く作品である。名もなき忍者が、天下の英雄の命を狙う。が、主人公重蔵は秀吉を目の前にしたとき英雄のむなしさを知る。しかし、その後の司馬は、なぜか国事に走る英雄伝説ばかりを書いていく。「天下を取る」「歴史を動かす」そんな大言壮語を好んで使った。『国盗り物語』『竜馬が行く』と歴史を代表する英雄列伝。だが、最後に書いた作品は、名もなき船頭だった。なぜ、司馬は、最後にきて歴史の英雄でなかったのか。もしかして、こう悟ったかも知れない。
 歴史を動かすのは、一市民であって、英雄ではなかった、と。 
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2005年、読書と創作の旅 社会観察11・21ゼミ報告

読書談議・1970年11月25日について

11月25日が近いことから1970年のことと、当時25日の出来事について少しばかり話した。1970年については、インドシナのことや赤軍派のことなどいろいろあるので、話すのはまたの機会にする。ここでは25日の三島事件について、話したい。が、この事件については、最近、新聞にも取り上げられているし、文芸学科の清水正教授も、さきごろ『三島由紀夫・文学と事件』を出版しているので、改めて話すこともないと思う。その代わりというのも何だが、同書に栞として書いた私の三島観を紹介する。
以下は清水正著『三島由紀夫・文学と事件』の栞に掲載したものである。

三島事件の謎
下原敏彦

三島由紀夫は謎の多い作家である。私も、気になることというか検証してみたいことが三点ほどある。一つは、この作家は、いわゆるドストエフスキー作家であったかどうかということである。二つ目は、三島事件についてである。私が割腹自殺した三島の年齢、つまり四十五歳になったとき、私ははたして若者を道連れにできるか、大義のために若者に一緒に死ねと命ずることができるかということだった。三つ目は、三島事件とは完全犯罪だったのか、である。
まず三島由紀夫がドストエフスキー作家であったかどうか。書かれた本の中に言及したものは少ない。好きな作家はトーマス・マンと答えている。しかし、三島はドストエフスキーを意識しないでいられるはずはないのである。この作家が師と仰ぐ川端康成は、自分のところに来る文学青年たちに、だれかれとなくドストエフスキーを読みなさいとすすめていた。また、三島研究の英国人ヘンリー・スコット氏の印象も三島は「アンドレ・ジードになぞらえられるようになるかもしれない」と評している。これらの印象から、三島が十分にドストエフスキー作家だという仮定がつく。それに、なによりも『仮面の告白』の冒頭を『カラマーゾフの兄弟』の引用で長々と飾っているという事実。つまるところ三島由紀夫という作家は、好むと好まざるとに関わらず、ドストエフスキーを感じる環境下にあった。ドストエフスキー作家としての資格は十分に持ちえていたのである。だがしかし、あの事件を起こしたことで、私のなかで三島は決定的にドストエフスキーと遠い存在となった。今回、三十五年ぶりに三島由紀夫を批評対象にした清水正氏も本論初頭でこう述べている。「第一、文学の天才が若い青年に首を切らせるような真似をするかい」この文が否定の全てである。ドストエフスキーの究極の目的は精神の解放である。他者を救うことはあっても、他者の精神の自由を束縛し、なおかつ肉体までに犠牲を強いることは絶対にない。それ故に長らく収容所国家であったソビエト時代は忌み嫌われてきたのだ。三島はドストエフスキー作家ではなかった。
 二つ目は、私が、四十五歳になったとき若者と死ねるか、という問いである。三島事件を知ったとき、私は強い衝撃を受けた。割腹自殺という時代錯誤の死に方に驚愕したこともあった。が、それより衝撃が私の胸のなかにいつまでも残ったのは、一緒に死んだ若者が知人だったからである。二年前、森田必勝君はバイト仲間だった。その頃は政治家になりたいと語っていた。東西線の高田馬場駅で偶然会ったとき「これから会に行くところだ」といって誘った。私はパスポートをみせた。外国に無銭旅行に行くことにしていた。私たちは「じゃあ」と別れた。それが最後になった。そして二年後、その死を知った。なぜ三島についていったのか。なぜあんな死に方をしたのか。そんな疑問ばかり先に立った。三島由紀夫のことは、ボディビル好きの作家という以外ほとんど知らなかった。ただ四十五歳という年齢が気
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になった。著名な流行作家。そんな人間が、人生半ばで、若者と死んでいく。なぜか。二十三歳の私には想像できなかった。それから二十一年後、『江古田文学』でドストエフスキーの特集を組んだことがあった。そのとき当時編集長だった清水正氏から原稿を依頼されたので、森田君への追悼文のつもりで「ドストエフスキーと三島事件」と題したエッセイを書いた。このとき、私は三島由紀夫が死んだ年齢とほぼ同じになっていた。で、自分だったらどうするか考えた。非凡人と凡人では、話にならん、といわれればそれまでだが、とにかく四十五歳の目線でみた。答えは、明白だった。たとえどんなに崇高な大義があったとしても、私は二十歳も年の離れた若者を、しかも自分を信じてついてきている若者を、断じて死なせはしない。終戦末期の特攻隊しかり、現在のイスラム過激派自爆テロ犯しかり。また無理心中の親しかりである。人間は生まれてくるときも死ぬときも一人なのだ。太宰治が情死したときに、志賀直哉は、「死ぬなら何故、一人で死ななかったらうと思った」と感想を述べた。全く同感である。なぜ三島は希望ある若者に生への道を残さなかったのか。「人柄については真面目で、立派な人だと思う。あんなふうに死んだのはそんな事がなければ今でも生きていて、自由に仕事ができたのにと思うと非常に残念な気がする。」と小林多喜二の死を悼んだこれも志賀直哉の言葉が思い出される。あんなことがなければ、森田君は、いまごろ国会で中堅議員として活躍していたかも知れない。三島が死んだときから、さらに十四年が過ぎた。前途ある若者を犠牲にするなど、私にはますます考えられなくなっている。
最後の三つ目は、三島事件は完全犯罪か、である。ドストエフスキーの真髄は懐疑である。百人が百人、千人が千人、同じ意見であったとしても、まず「本当だろうか」と問うところからはじまる。それは、たとえ相手が神であっても変わることはない。三島事件は、作家の日頃の言動や凄惨な結果もあって、ほぼ計画通りに運んだとみられている。つまり完全犯罪だったというわけだ。が、はたして本当にそうだろうか。私は事件直後からそんな疑念が湧いて仕方がなかった。歴史に「たら」「ねば」はないが、三島事件をみたとき、推移にこの禁句があまりに多すぎるのだ。それ故、二人の割腹自殺までに至った三島事件は建前の成功であるように思えてならない。三島が真に夢みたのは、割腹寸前に取り押さえられた自分の惨めな姿ではなかったか。
そもそも三島事件とは、どんな事件だったのか。三島由紀夫と四人の学生が市ヶ谷にある自衛隊東部方面駐屯地へおもむき、総監たちを監禁して自衛隊員に決起を促す。失敗したら皆の見ている前で割腹自殺する、といった筋書きである。計画は実行され失敗に終わった。で、当初の計画通り自殺した。建前的には成功したのかも。だが、この事件を完全犯罪とみるには疑わしい。人知れず列車の前に横になったり、ビルの屋上に立つのとはわけが違う。衆人環視のなかで、たっぷり時間をかけて実行するのだ。しかも戦争プロの人間たちのなかで、である。どう考えても完遂率は半分以下としか思えない。もし正門で衛兵が規則通りに刀を預かったら。総監室の小競り合いでもう少し自衛隊員が強かったら。バルコニーから引きずりおろされていたら。割腹前に催涙弾を撃ち込まれていたら。どれも完全犯罪をすすめるには大きな障害だ。三島は掣肘を覚悟で実行していたに違いない。なぜか。『仮面の告白』に「私はただ生まれ変わりたかった」とある。が、ここから想像できることは三島の真の狙いは計画の完遂ではなく、計画の挫折にあったのではないか。「名誉の戦死」を夢みながら、徴兵を逃れることができたように。「武士らしい割腹」を夢みながら、政治犯として収監される。それを見越しての、行動だったような気がしてならない。例えば『金閣寺』の最後をこんな文で締めくくったように。
「気がつくと体のいたるところに火ぶくれや擦り傷があって血が流れていた。手の指にも、さっき戸を叩いたときの怪我とみえて血が滲んでいた。私は遁れた獣のようにその傷を舐めた。ポケットをさぐると、小刀と手巾に包んだカルチモンの瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。」

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 清水氏は、そのへんの三島の心情を「死を恐れながらも、死を欲求し、死を欲求しながらも、死を恐れる」と指摘し、その信念のなさを「たとえばドストエフスキーの人物たちのようには生きていない」と切っている。この頼りなさ、この周到さはどこからきたのか。生後四十九日目にして母親から離された孤独。三島はアダルトチルドレンだったのだ。
 以上、三島由紀夫とその事件について不審に思っていたところを、自分なりに推理検証してみた。しかし、これはあくまでも空想の域をでるものではない。これらの問題が清水氏の想像・創造批評によってきちんと解析されることを期待したい。清水氏は「『仮面の告白』の中に三島由紀夫の<死>の秘密は潜んでいたという確信を得た。」としている。そこから、平岡公威と三島事件の解明が少しでもできれば、と思っている。(了)
 以下は、追加である。
(ちなみに、このとき自衛隊東部方面総監部のM総監は57歳だったというから、今の私の年齢とほぼ同年齢である。もしこのとき私が総監だったらどうしたか。切腹などすれば大量の血で床を汚すことになる。それだけでも自分の部屋で絶対に切腹などさせない。なんとしても阻止する。三島の射殺命令をだしてでもである。昭和元禄を謳歌する日本。そのなかで機動隊は強くなったが、自衛隊は質が低かった。はからずも市ヶ谷自衛隊が証明する結果となった)
1970年11月25日・ドキュメント三島事件
 (H・S・ストークス『三島由紀夫 死と真実』及び河出書房新社『三島由紀夫』参考)
10時過ぎ 三島邸に盾の会の学生4人が白いコロナで迎えに行く。窓から父親平岡梓は「また訓練をやりにいくのか」と思いながら息子三島由紀夫(45)と学生を見送る。
10時54、5分 市ヶ谷自衛隊東部方面総監部正門に着く。日本刀を持っているにもかかわらず警衛所の隊員は通過させる。(失態1)
11時00分 閲兵グランドに駐車。徒歩で総監部へ。ここでも日本刀を見過ごす。(失態2)
  S三等陸佐が迎え2階の総監室に案内。ここでも日本刀の存在を知りながら預かろうと
しない。3月に「よど号」のハイジャック事件があったが、犯人赤軍派の武器は日本刀
だった。だというのに白昼堂々、刀を持って都心を行くのだ。あの事件は何の教訓にも
なっていない。まさに平和ボケニッポン。サラリーマン化した軍人。
11時05分 M総監室に入る。総監(57)「よくいらっしゃいました」と迎える。さすがに
総監だけは、日本刀を見て訝る。
  「りっぱな刀のようですが、そんなものを吊って、警察にみとがめられませんでしたか。
私は規則をよく知らんが、われわれも軍刀を携行しておらんのです」
これに対して三島はこう答えた。
  「いや、かまわないのです。ちゃんとした美術品で、このとおり鑑定書も持っています
ので」関の孫六、17世紀の名刀である。
11時10分前後 突如、M総監を襲い縛り上げ。ドアにバリケードを築く。
11時20分 幹部隊員らがドアを「開けろ、開けろ」とたたく。
11時30分前 幹部・下士官自衛官数人ドアを破って乱入。三島たちと向き合うが、刀に怯えて逡巡。2名、三島に斬られ重傷。外に逃げ出る。(大失態)
  再び7名で突撃する。乱闘になり、学生(森田)から短刀を奪う。あとの3人は特殊警棒と灰皿の武器。三島がめちゃくちゃに刀を振り回して負傷者続出、下士官連、再び外に逃げ出る。(大失態)110番する。(三島は剣士としては、素人並、有段者評)
11時35分 要求書をだす。(自衛隊員の集合と盾の会の会員召集など)
正午 三島 バルコニーで演説するも「気違い」「チンピラ」「引きずりおろせ」などと野次られ、意気消沈。「天皇陛下バンザイ」を三唱し、怒りで興奮して部屋に戻る。切腹。
午後零時23分 三島と森田が切腹と頭部切断により死亡と確認された。
以上が、事件の顛末である。※軍部の中心を1民間人と4学生に占拠される。前代未聞。

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最近の三島事件関連記事  11月4日読売新聞、21日朝日新聞、22日読売新聞、

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.45 ――――― 8 ―――――――――――――――――――

2005年、読書と創作の旅 社会観察 11・28ゼミ 44号掲載

① 「運転室に長男」の運転士解雇 妥当か厳しいか

 小さなことだが(本人には大きなことではあるが)さきごろ、ある不祥事の処置に対して新聞に抗議が多数寄せられた出来事があった。運転室に3歳の長男を入れて電車を運転した運転士が会社から懲戒解雇された、というニュースを知ってのことである。10日、朝日新聞が、この記事を掲載したところ、「解雇は厳しすぎる」などの電話やメールが新聞社に殺到したという。その数2千件というから反響の大きさがわかる。
 今年は大きな電車事故があった。この記事の当事者東武鉄道も、竹ノ塚駅の遮断機で死亡事故を起こしている。おそらく、そんなこともあって厳しくしたのだろう。
前期ゼミでは、車中観察やJR西日本の脱線事故について感想を発表しあった。それだけに、この電車関連ニュースは他人事とはおもえない。大いに考えさせるものがある。志賀直哉だったら、きっと作品にしたかも知れない。と、いうわけで今一度、この現場を検証し創作観察してみたい。そのうえで解雇は当然であったのか、厳しすぎるのか、会社側の立場と一般社会の立場に立って感想を述べ合ってみる。

「3歳長男、運転室に入れたまま 次駅まで運行 運転士を解雇へ 東武鉄道」
 
 11月1日、火曜日、晴れ。今年の10月は天気が悪くまるで梅雨のようだった。が、さすがに11月の声をきくと秋らしい天気となった。そんな小春日和の朝遅く東部野田線の普通電車の先頭車両に乗った。大宮発、柏行である。週はじめの午前中の車内は空いていた。一番前の座席に親子連れが坐っていた。久し振りの秋晴れに外出した。そんな和やいだ雰囲気だった。母親は2歳の女の子を抱っこし、3歳ほどの男の子は、横で外をみていた。が、しばらくして景色にあきてきたようだ。男の子は母親に甘えだした。が、女の子を抱える母親は、とりあわなかった。男の子はグズりだした。
「しんぼうしなさい。もう少しだから」
母は叱った。
 男の子は、半べそをかいて、何ごとか叫びながら、母親の元を離れると車両の最前部に駆け寄ってうずくまった。
「○○ちゃん!よしなさい。連れていかないわよ」
母親の言葉に男の子は、なおも泣き顔になると、何を思ってか右拳で運転室の扉をドンドンとたたきだした。最初の反抗期か、きかんきの子のようだ。
「やめなさい」母親のきつい声がとんだ。
 男の子は、怒ってますます強くたたきだした。その光景を乗客たちの半数は、微笑ましそうに、何人かはうるさそうにながめていた。母親はすっかり恐縮していた。電車は、南桜井駅に到着した。ドアが開いて乗客が降り出した。そのとき運転室の扉が開いた。扉をたたくのを注意するのかと思った。が、次の瞬間、男の子は、待っていたとばかりに、まるでネズミが入り込むように、するっと運転室に入り込んでしまった。とたん、扉は閉められた。運転士の親切とは思えない。運転士は、あの子の何かだ。多分、父親。乗客がそう思うのに時間はかからなかった。次の駅の川間駅に着いたとき、扉が開いて男の子がでてきた。3分の冒険旅行。笑顔で、自慢そうに少し胸を反らしていた。
 が、その後、運転士は「運転室に第三者を入れることは重大な規則違反」として懲戒解雇されることになる。会社は、その処分を妥当な判断とした。新聞社に寄せられた2千件のほとんどが「厳しすぎる」「乗務停止で十分」「子供が将来傷つく」だった。「安全のため処分はやむをえまい」は約160件にとどまった。
□他に理由があるとすれば別だが、上記の状況なら会社の処分は妥当か?
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2005年、読書と創作の旅 社会観察 11・28ゼミ

② 振り込め詐欺はなぜつづくのか

少年犯罪も謎であるが、振り込め詐欺も謎といえる。かつてはオレオレ詐欺、いまは振り込め詐欺。この詐欺に引っかかる人が後を絶たない。この詐欺事件についてテレビのニュースでも注意していた。新聞にも被害者の記事が掲載されていた。それなのに、相変わらず騙される人がいるのだ。11月13日(日)、16日(水)の新聞にも相次いで「振り込め詐欺事件」の記事が載っている。この事件、だまされた人について当初なら、新手の詐欺の被害者ということで子ども思い、孫思い、夫思いの人たち。と、そんなふうに気の毒に思ったりしたものである。が、しかし、たびたび起こる被害者に毎日のように、「なぜ、振り込んでしまうのか」と、いった疑問がわいてくる。騙されて、振り込むお金は、大抵が大金である。
それにしても、電話で孫や子どもに泣きつかれただけで、誰にも話さず確かめもせず、銀行や郵便局の窓口で職員が止めるのも聞かずに大金を振り込んでしまう。この情報社会で、である。なぜか、大きな謎である。

息子と信じ6回振込み 61歳5070万円被害 「会社で帳簿トラブル」と

11月13日の新聞のケースは、横浜に住む無職男性(61)の自宅に9日夜、電話があった。若い男の声だった。
「会社で帳簿上のトラブルがあり、穴埋めしないと大変なことになる」
無職男性は、別に住んでいる会社員の息子(30)だと思ってしまった。声が似ていたという。男性が一人住まいか、家族がいたのかは不明だが、男性は誰にも相談せず翌日の10日、電話で要求された金額800万円を4回3270万円を、翌日の11日にも「足らない」と要求され2回1800万円を、結局この2日間で6回に分け、現金5070万円を振り込んでしまったのである。振り込む際、窓口で、郵便局職員から何度も
「大丈夫ですか」などと注意を促されていたという。
 長男は、会社では経理を担当していなかった。

振り込め詐欺1千万円被害 横浜の82歳

11月16日の新聞のケース。こちらも横浜で起こった詐欺。被害者は無職女性(82)。彼女は息子と同居している。事件をルポすると、以下のようであった。
11月15日火曜日(上の詐欺も火曜日というから関連あるのか)午後2時半ごろ、女性宅に電話があった。やりとりを想像してみた。
「○○さんですね」
「はい、そうです」
「私は、何々法律事務所の弁護士をやっております○○です。息子さんが電車で痴漢をしたんです。示談金を振り込んでください。振り込みましたらお電話ください」
 女性は、だれにも相談しないですぐに振り込んで、確認のため電話した。
「まずいです、被害者は妊娠中で治療費が必要なんです」
結局計3回にわたって975万を振り込んだ。

□これだけ報道されているのに被害者は、なぜ振り込んでしまうのか。振り込め詐欺にあう被害者はどんな人か。心理や性格を考え分析してみてください。


文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.45 ――――― 10 ――――――――――――――――――

振り込め詐欺、関連記事  11月19日土曜日 読売新聞

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2005年、読書と創作の旅 11・28ゼミ 一部44号掲載同じ

3.読書の秋

 今日の読書の秋は、ロッテのリーグ優勝、日本1、アジアの王者を祝ってゲーテの『若きエルテルの悩み』(竹山道雄訳)の最初の手紙数通を朗読します。
なお、読書の秋で紹介する作品は、旅の途中ということでさわりのみだけに留めます。見るのは、ほんの一部分だけです。興味をもった人、深く知りたい人は、自分でしっかり全部を見学し研究してください。
『若きエルテルの悩み』について(訳者・解説から)
 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832)が書いたこの作品は1774年9月に出版された。ゲーテが25歳のときに書いた作品。出版されたとたん、異常なセンセーションを引き起こしたといわれる。昭和26年3月に書かれた訳者解説によれば、「・・・エルテル熱ともいうべきものがおこって、精神的インフルエンザがひろまり、若い人々はエルテルの服装をして、自殺を論じ、考え、決行した。離婚が流行した。ライプチヒの市会は、大学の神学部の申し込みによって10ターラーの罰金を課して発売を禁止した。劇となり模作がされ、パロディが作られ、街頭の読物となった。ドイツ文学はここにはじめて外国に出ることとなり、ナポレオンがこれを陣中にたずさえて7回読んだ。18世紀の終わりまでに、フランス語で15度、英語で12度イタリア語で2度印刷され、そのほかヨーロッパの各国後に翻訳された」とある。
  晩年のゲーテは、「エルテル」について、このように語っている。
「・・・『エルテル』は私が、さながらペリカンのように自分の胸の血で養った作品だ。あの中には、私の心の内面のもの、さまざまな感情や思想がたくさんに盛られているので、あの位の本が10冊できるほどの内容がある。『エルテル』が出版されてから、私はただ一回しか読みかえしたことがなく、ふたたびとは読まないようにしている。あれは危険な花火だ!読んでいて恐ろしくなるし、生みだした当時の病的な状態をもう一度くりかえして感ずるのが心配だ。・・・個人的な身近な切実な事情が、私に『エルテル』を書かせ、生むような気持にしたのだ。私は生き、愛し、悩んだ。・・・」
 この小説はゲーテの伝記の外的事実にモデル的にも忠実なものではあるが、しかしその真の生命は、上記にいわれているように、若いゲーテの内面精神のほとんどすべてがここに吐露されているという点にある。ゲーテが味わった青春のあふれるような情感や恍惚たる陶酔、それから不安。絶望、幻滅、世界苦が、無比の抒情的な言葉をもってのべられているところにある。これが当時の時代精神の暗流をなして表現を求めていた未知のものを端的にひきだしたのであったから、それでこのもっとも個人的な書が、あれほどにも時代を動かしたのであった。(訳者)

「ロッテはただちにゲーテの注目をすっかり
惹きつけてしまった。彼はロッテが婚約の身
であることをしらなかった。私は幾時間か遅
く行った。ロッテは彼を完全に征服した。そ
うしようと少しも努めたわけでもなく、むし
ろ楽しみに没頭していたので、なおさら彼の
心を捉えたのだった。」
           (ケストナーの日記)

右は、シャルロッテ・ブク
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2005年、読書と創作の旅 社会観察・家族観察テキスト

少年犯罪の要因は、すべて家庭にあるとみても過言ではない。少年犯罪の象徴ともいえる1997年の神戸の少年Aの家庭も先日の母親毒殺未遂の高1少女の家庭も、外からはごくごく普通の、あるいは普通以上によい家庭だった。然し、事件は起きた。なぜか、おそらく犯人となった少年少女の間に家族のものにも分からないズレがあったに違いない。両親にも家族にも分からない。本人しか知りえないズレ。そのズレを照射することが事件を未然に防ぐ最良の手段といえよう。
ルナールの『にんじん』は、そのズレを文学で表現した名作である。フランスの田舎町の平凡な家庭。両親と三人の子供。それにお手伝いさん。家族とのズレのなかでにんじんは成長した。運のいいことに彼は犯罪者の道は辿らず作家になってこれを書いた。その意味でこの作品の解析こそが家族の問題の解決に繋がると信じている。
ゼミでとりあげた『にんじん』の小話は、「めんどり」、「しゃこ」、「犬」、「いやな夢」、「失礼ながら」、「尿瓶」です。これだけでも、なにかしらこのルピック一家に異常なものを感じます。いったい、家族のものは「にんじん」をどう思っているのか。この6話を読んだ印象では、このように考えているのでは
ルピック氏  → 末っ子という以外、あまりよく考えていない。能天気な父
ルピック夫人 → よくとれば、末っ子を兄や姉と同等にしたいために、「にんじん」ば
         かりに用事をいいつける。愛の鞭。
         悪くとれば、なぜか(まさにニンジンのような風采)を嫌悪している。
         ほかの理由、虐待することで自分の精神安定をはかっている。
フェリックス → 一般的な長男、要領がよい。弟思いではない。
エルネスチーヌ → こちらも一般的な姉。少しだけ弟思いのところがある。

これまでの作品の中で最大の謎は、「失礼ながら」のこの点である。

 ○ ルピック夫人は、本当におねしょをスープとまぜたのか?
 ○ 兄や姉は、にんじんがおねしょを飲まされると知っていて、はやしたてるのか?
 ○ にんじんは、おねしょがまざっていると思っているのか?

以下は、『にんじん』の家庭のような家の子の相談です。11月19日読売新聞

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社会観察・戦争の傑作創作ルポ解析見本

⑤『生きている兵隊』を読む(中公文庫 571円+税)

なぜこの作品を読むのか 戦争こそが、人間の本性が一番にみえるときである。先の衆院選挙で圧勝した自民党は、「新憲法草案」をまとめた。「戦争の放棄」を謳った第九条はどうなるのか。改正に賛成も反対も「戦争とは何か」。まずそれを知らなければならない。「戦争とは何か」を教えてくれるものは、映画・小説・記録など多々ある。そのなかで作家石川達三が書いた創作ルポ『生きている兵隊』は秀逸である。この作品に書かれてあるのは戦争賛美でも戦争批判でもない。ただ戦地において戦闘においの兵隊たちの日常が淡々と活写されているのみである。戦争とは何か。この作品から、第九条を考えてみてください。
前記 石川達三は、この作品を1938年(昭和13年)2月1日から書きはじめ、紀元節の未明に脱稿した。「あるがままの戦争の姿」を知らせたくて書いた。が、即発売禁止された。
 1937年7月7日から日中戦争がはじまったことから大日本帝国は、9月25日言論統制のための内閣報道部設置。11月大本営が宮中に設置した。ゆえに、この作品は創作ルポの形をとり「部隊名、将兵の姓名などもすべて仮想のものと承知されたい」とした。

「人間は、何にでも慣れる。そしてどんなこともできる生き物」ドストエフスキー

前回まで、戦場となった石家荘の郊外の惨状。部隊は、勝利を確信して移動する。どこへ向かうのか。兵たちの戦意は高い。 (太字は原文・傍線は伏字・加筆と修正は[])

 「部[小]隊長殿、天津へ行ってどうするんですか」と一人の兵がほの暗い貨車の隅で揺られながら口を切った。平尾という勇敢な一等兵で酔うと太腿を叩きながら満州馬賊の歌をうたう男であった。

 倉田少尉は眼鏡の奥の柔い視線を彼に向けていかにも優しい笑い方をした。返事に窮した表情であった。
「戦線が変わるんならば北京から京綏線で張家口の方へ行かなきゃならんです」と平尾一等兵は不満そうに言った。
「天津にはいま戦線は無いですよ」
「天津警備だよ」と他の兵が言った。
「僕にも解らないね」と倉田少尉は静かに答えて諦めたように微笑し、明かりを入れるために細目にあけた貨車の扉の間から外を眺めた。沿線の黍の枯れた平野が扉の間を縞になって後方に流れていた。斜な夕陽のあたった畠で農夫たちの働いている姿が見られた。ここはもう平和がきている。・・・・・・

 戦線を求めて移動する兵士たち。夕陽の沿線で農夫たちが働いている姿が見える。「ここはもう平和がきている」この言葉に限りなく戦争批判がこめられている。

 その夜天津に着いた。二昼夜の貨車の旅に疲れた兵たちは漸くほっとなって、腰を曲げて立ち上がり、背嚢を抱いてレールに飛び降りた。すると大隊本部の伝令が走って来て叫んだ。
「降りるんじゃないぞ。乗れ乗れ、すぐ発車だ」
 兵隊はあわててまた元の車に這い上がり、一体どこへ連れていく気だろうと口々に呟いた。そしてこの長い軍用列車は行く先を知らぬ一個大隊を乗せたまま再び発車した。

つづきは、次号46号に掲載予定。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.45 ――――― 14 ――――――――――――――――――

2005年読書と創作の旅・試作創作ルポ

いまでは汐留は、高層ビルやショーウィンドが並ぶ瀟洒な街である。しかし、かつてここは貨物列車の発着駅だった。日本全国から荷物を積んだ貨車が入り、また出て行った。広い構内には、何両もの貨車がならび大小さまざまな鉄道荷物がホームのあちこちに山と積まれていた。いろんな若者が働いていた。挫折した奴、夢がある奴。さまざまな青春があった。ある年の冬、彼らの青春を創作ルポタージュしてみた。既に三十数年の年月は経っているが、人物名は仮称とした。なお、場所や地名はそのままである。

連載4
汐留、青春グラフィティ

プロ野球選手

 このところの小雪まじりの鉛空ばかりだったが、今日は、朝から雲ひとつない青空だった。気温の方も日が上るにつれかなり暖かくなった。この陽気で汐留操車場に降り積もっていた雪がとけはじめていた。雪原のところどころにレールがみえていた。
 昼過ぎ、雪で列車が遅れていた。積み荷班の臨職連中は、電線に並んだすずめよろしく、ホームの端に一列に腰掛け日なたぼっこを楽しんでいた。久しぶりのポカポカ陽気に、誰もが口を開くのにも億劫といった顔だった。
「バシッ!」
突然、鞭打つような音が静かな操車場に響いた。
皆一斉に音の方角を見た。向こうのトラックターミナルの端で若い国鉄職員がキャッチボールはじめだしたところだった。軽く投げ込んだあと、二人ともワイシャツ姿になった。国鉄職員の太っちょ大阪なまずとフランケンも、陽気に誘われたらしく、早々、でてきて、緑色のコンテナを背にキャッチボールを見物していた。
 長髪の青年が本格的な投げ込みを開始した。国鉄の野球部か草野球のエースのようだ。遠目にも、なかなかの速球とわかった。全部のエンジンが停止し、雪どけの雨だれ音だけがきこえる駅構内にボールを受け止めるミットの音が、小気味よく響き渡った。
 皆から見られている、と思ってか、ピッチングにますます力がはいった。フォームにも恰好をつけだした。が、それが過ぎて足をすべらした。
「あっ!」叫び声があがって大暴投になった。
 ボールはとんでもないクソボールとなって捕手のはるか真上を通過した。そうして、レールに当たって、大きくバウンドすると、方向を変えて引込み線の方に転がってきた。
 わーとホームに歓声があがった。パチパチと手をたたく者もいた。ボールは皆が見守るなか雪どけの水しぶきをあげながら転々と転がってくると臨職たちが並ぶ積み荷ホームの手前で止まった。キャッチャーは、背伸びをしてボールの行方を確かめていたが、ボールが止まると大袈裟に肩をすくめて向かってきた。
「おーい、そんなものとってむらわんかい!」
見物していた太っちょの大阪なまずが大声で言った。
 長髪のエースは、自分の責任とあって両手をあげて叫んだ。
「すみませーん」
 皆はボールを見た。が、誰もおりて行かなかった。
「おい、だれかとってやれよ」
早川は、言って見回した。
「タカ、おまえ肩いいだろ。投げてやれよ」
「いやだよ、届かんもん」高槻は、慌てて断ると居眠りしている畑野を振り返って言った。
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「おい、グズラさん。たまにはスポーツしろよ」
「おーい。投げてくれ!」捕手は期待してミットを振りかざした。
「しょーがねえなあ。いっちょ肩のいいとこみせやるか」
見かねてか団が冗談ぽく言って立ち上がりかけた。と、そのとき
「タマ拾いも練習のうちだあ」
後ろから大声がした。
 南条班長が毅然と立っていた。江戸の敵を長崎で討つ。そんな覚悟らしい。
「なんだとー」太っちょなまずとフランケンは気色ばんだ。
「駆け足!」南条班長は、機嫌よく叫んだ。
「汚ねえマネさらすんじゃねえ。行かでもええ」「とってもらえ」
「駆け足、駆け足」
 太っちょなまずとフランケン対南条班長の罵り合戦がはじまった。間に立つ長髪エースと捕手の青年は、まごついていたが、捕手はやはり自分で拾いにくるしかない、と思ったらしく、憮然とした顔でふたたびこちらに向かって歩き出した。
 不親切は気持のいいものではなかった。が、拾うチャンスを逃したのと、南条班長に気兼ねして見守るしかなかった。ボールを前に重い沈黙が漂った。そのとき不意にレールに飛び降りた者がいた。雪どけ水がはね飛んだ。平岡だった。彼はジャンバーに両手を突くこんだまま、近づいて行くと、ゆっくりボールを拾った。捕手の青年は、なんだいまごろといった仏頂面で、かったるそうにミットをかまえた。
平岡は、すぐに投げ返さないでボールをズボンで丁寧に拭った。捕手の顔が和らいだ。「あんがとうよ」皮肉っぽく礼を言って、ふたたびミットをかまえた。
 だれもが、これで一件落着と思った。ところが平岡は意外な行動にでた。目前でかまえる捕手に、右手でもって横に寄れと指図したのだ。意味がわかるのに数秒かかった。ホームにどよめきが起こった。捕手の青年は、もつと驚いたようだ。一瞬、鳩が豆鉄砲くらつたようにキョトンとしてつ立っていたが、不意にかまえていた両腕をだらりと下げると、馬鹿にしたような薄笑いを浮かべて
「おおお、本気かあ」と、叫んだ。「よしや、やってみい」彼は、ターミナルを振り返って叫んだ。「おーい、このあんちゃんが、そっちに投げるっていっとる。受けてやってくれ」
「ほんまかいな」長髪エースは、笑い声で言った。
「おー、でかいこといって、知らんでー」
「恥じかかんといてよー」
なまずとフランケンは、野次をとばしなた
 平岡は、気にする様子はなかった。何度か肩を回して、遠くのエースを見た。
「よしゃ!投げてみい」
エースは威勢のいい声で叫んで、かまえた。
「無理だよ。外野の一番深いとこぐらいあるぜ」
皆は、不安になった。もし届かなかったら・・・だれもが、そんな心配を抱きながら息を殺して眺めた。平岡は、大きなフォームから、まるでスローモーションのようにゆっくりと投げた。左手から離れた白球は、ぐんぐんのびていって、あっというまにターミナルでかまえるエースのグラブに吸い込まれた。ビシッという小気味よい音が広い操車場の隅々まで響き渡った。一瞬水を打ったように静まり返った。次の瞬間、ワーと歓声があがつて拍手が起こった。長髪エースは、きつねにつままれた顔で一人佇んでいた。なまずとフランケンは、面白くなさそうに帰っていった。
「やっぱりプロは違うねえ」早川は、戻ってきた平田に言った。
 平岡は、ちらっとはにかんだ笑みをみせただけで、ホームにあがると元の台車の上に腰をおろし日なたぼっこをはじめた。操作場は、何事もなかったように、ふたたび静まり返った。
                           つづき
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.45 ――――― 16 ―――――――――――――――――――
掲示板
近日刊行
 下原敏彦著 鳥影社  定価2000円+
『ドストエフスキーを読みながら』
    ―― 或る「おかしな男の」手記 ――
『江古田文学』「読書会通信」掲載・世田谷市民大学講演記録など収録。
 
下原ゼミ後期提出原稿について(提出数は何本でも可、郵送、メール可)

後期のゼミ提出原稿のテーマは下記の通りです。

□「社会観察」(憲法改正・靖国問題について・他)
□テキスト『兒を盗む話』『にんじん』の感想
□創作・コラム「なぜニートになるのか」「少女はなぜ母親を毒殺未遂したのか」など
□普通の一日を記憶する

読書会・例会(ドストエフスキー関係)
   
・ドストエーフスキイ全作品を読む会・第212回読書会
12月17日 土曜日 午後2:00~4:45
東京芸術劇場小会議室1 合評『悪霊論』と『地下生活者』
親睦会5:30~  
・ドストエーフスキイ全作品を読む会・第213回読書会
 2006年2月11日(土) 午後2:00~4:45
 東京芸術劇場小会議室1 作品:『地下生活者の手記』2回目
 以上詳細は下原まで

投稿者 shimohara : 2005年11月28日 18:25

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